太田述正コラム#3595(2009.10.20)
<ウェードの本をめぐって(その5)>(2009.11.20公開)
(7)人間の家畜化
人間の諸種族の相互の敵意への情熱が減少してきている証拠は、後期旧石器時代の間に世界全体で<人間の>頭蓋骨が痩せてきた、換言すれば華奢化(gracilization)したことだ。
初期の現代人間の化石は、大きいしがっしりしている。つまり、骨が太いのだ。
しかし、この一般的な現代人の頭蓋骨が変わり始めるのが約40000年前だ。・・・
華奢化は世界各地で異なった度合いで進行したが、どこでも共通の趨勢を辿った。
例外は、四散者(diaspora)の極限たる二つの群であり、オーストラリアのアボリジニ(Aborigine)<(コラム#373、1054、2796、3457)>と南米の最南端のフエジア人(Fuegian)(注11)だ。
(注11)アボリジニ(女性)のいかつい姿は下掲参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Indigenous_Australians
また、フエジア人(男性)のいかつい姿は下掲参照。なお、純血の最後のフエジア人が1999年に亡くなっている。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Fuegians
このオーストラリア人の頭蓋骨は、他の人間群と同じく小さくはなったけれど、独立した進化の結果として、がっしりさを維持した。
フエジア人は、小さい孤立した群が自分独特の諸特性を発展させた遺伝的浮動の事例であるように見える。
華奢化は、サハラ以南のアフリカ人とアジア人の間で更に進行したけれど、欧州人のうちの若干においては、<体躯は>依然としてまだ大きくてがっしりしている。・・・(注12)
(注12)ここも興味深い。黒人と黄色人種は白色人種に比べてより家畜化しているところ、日本人は、縄文時代を経験した上、戦後は自ら米国の家畜になることによって、世界で最も家畜化が進んでいる人間群であると言えるのかもしれない。(太田)
研究者達は、(野生の先祖に比べて)家畜化された動物達が小さいことを、餌が違うこと、身体的活動が減ったこと、獲物を捕って繁殖するという条件下の淘汰圧力が緩和したこと、に帰している。
<同様、>農業によってもたらされた身体的活動の減少と食餌の変化がやはり人間の骨がより軽く小さくなった理由として示唆されてきた。
しかし、それでは説明になっていない。
というのは、人間の華奢化は、農業の始まりよりもはるかに前の、約15000年前の最も早い時期の定住化の前後から始まったからだ。
ナトゥーフ人は近東における最初の定住者だったが、既に、より華奢な様相、背の低さ、より小さい歯を持っていた。・・・
霊長類学者のリチャード・ランガムは、華奢化について面白い洞察を提供している。
彼の議論はこういうものだ。
まずボノボのことを考えてみよ。
連中はチンパンジーよりもずっと平和的な遊び好きだ。
連中のふるまいがチンパンジーのふるまいよりも子供らしいのと同様、連中の頭蓋骨は子供のチンパンジーのもののように見える。
この種の変化は、子供化変異(pedomorphic)と呼ばれる。
それは、先祖の種が、完全に成熟するまでに成長を途中で止めることによって新しい種へと発展する進化プロセス、すなわち子供の形態へとの趨勢、を指している。
ボノボは、多分、進化において、自分達が攻撃が余り得にならない環境にいることを発見し、大人の雄の典型的な攻撃的諸特性が備わる前に発達が完結するような個体を残(淘汰)し続けたのだろう。
子供化変異的な進化は、他の文脈、すなわち家畜化(domestication)の中において、生物学者達にはお馴染みだ。
犬を狼とを比較すると、犬の頭蓋骨と歯はより小さく、頭蓋骨は未成熟の狼のもののように見える。・・・
・・・人間<に関して言えば、人間>は自分達自身を家畜化してきたのだ。
一つ一つの社会において、暴力的で攻撃的な男性は、要するに、増殖の機会がより少ないまま生涯を終え続けたということだ。
このプロセスは、約50000年前に始まったが、ランガムの見解では、いまだに完結していない。・・・
このような家畜化は、それが他者との協力という傾向をもたらすものであるとすれば、社会についてより内部的凝集性を高めさせるとともに、その隣人達との関係においてより懐柔的たらしめることだろう。・・・
狩猟採集者達にとっては基本的に未知の代物であった余剰は、定住諸社会にとっては決定的に重要だった。
余剰は、貯蔵され、守られ、そして配分されなければならないが、これらの活動は、家族に基盤を置いた食糧あさり集団の緩やかな結びつきに比べ、より大きな社会組織の水準を必要とした。・・・
例えば日本では、人々は、陸稲の栽培が導入されたBC250年前後まで狩猟採集者として生活をした。
食糧あさりと陸稲農業が、水稲の栽培が始まったAD300年まで共存したのだ。
<水稲の栽培>には大規模な灌漑が必要であり、同じ時期に最初の首長諸国と古風な諸国家が<日本に>出現した。・・・
これらの初期の人間諸国家の出現にあたって、二つの強い力が働いたが、それらは、現代世界における諸国家間の関係を依然として形作り続けている。
一つは、防衛の必要性であり、もう一つは交易への依存だ。
このどちらの国家としてのふるまいも、人間の本性の最も深い源泉、すなわち、攻撃と相互性という互いに相反する本能、からわき出てくるものだ(注13)。
(注13)日本人に関しては、縄文時代において、基本的に平和な、本格的農業抜きの定住生活の約10000年を経験していたため、国家が形成されても、引き続き攻撃の本能は極めて低水準で推移したと言えないだろうか。(太田)
諸歴史書の中では戦争<についての記述>がはるかにスペースをとっているけれど、長期的には、交易と交換という懐柔的諸技術が物を言った。
世界保健機構(WHO)によれば、2002年における死者数のわずか0.3%しか戦争では生じていない。
我々の骨は、我々の後期旧石器時代の祖先達<の骨>よりも華奢だし、我々の個性はより攻撃的でなくなり、我々の社会はより信頼的で凝集的だ。
人間の選択の一つの要素であるところの、<他集団の>絶滅に比較しての<他集団との>交渉の選好が、<人間の>ゲノム(genome)に注入されたに違いない。
そして、このことが、この50000年の人間進化に関し、進歩が不可避であったと<我々が>感じているのがどうしてかを説明するのかもしれない。・・・」
(続く)
ウェードの本をめぐって(その5)
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