太田述正コラム#3423(2009.7.28)
<米国の国家エリート像>(2009.12.6公開)
1 始めに
 コラム#3421で、社会科学を身につけた米国の国家エリートを話をしたばかりですが、ちょっと前に、ニューヨークタイムスに、米国の国家エリート像についての論争が掲載されていたので、その要点をご紹介しましょう。
2 論争
–デーヴィッド・ブルックス(David Brooks)–
 「・・・マクナマラは、ベスト・アンド・ブライテスト(注1)たる支配階級に属していたわけだが、彼等は・・思うに全部男性だった・・はテクノクラートとして高い水準の教育を受けていた。
 (注1)ジャーナリストのデーヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)がベトナム戦争の起源について著した本の題名。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Best_and_the_Brightest
 <今や、米国の国家エリートは>メリトクラシー<の権化のような人物ばかりだが、かつての米国の国家エリートが備えていた>貴族的偉大さ(grandeur)の幾ばくかを彼等は失ってしまった。・・・
 かつては、ウォルター・アイザックス(Walter Isaacs)とエヴァン・トーマス(Evan Thomas)が『賢人達(The Wise Men)』で記したような支配階級が存在した。
 彼等はウォール街の、公的奉仕の気持ちのある金持ち達だった。
 ジョン・マクロイ(John McCloy)、ディーン・アチソン(Dean Acheson)、アヴェラル・ハリマン(Averell Harriman)、そしてジョージ・ケナン(George Kennan)<(コラム#1233、1568、2534、2846、3328)>らがそうだ(注2)。
 (注2)「・・・ジョン・マクロイは、米国で最も影響力のある私的市民の一人だった。・・・アヴェラル・ハリマンは、自由奔放に振る舞った外交官でローズベルトのチャーチルとスターリンに対する特使だった。ディーン・アチソンは、トルーマンよりもトルーマン・ドクトリンについて<(コラム#3255。なお、アチソンは、コラム#247、611、871、1233、1528、2089、2092、2142、2534、3403にも登場する)>、また、マーシャル将軍よりもマーシャル・プランについて、責任があった。ジョージ・ケナンは、自らを鋳造した(self-cast)アウトサイダーであり、ワシントンのエリートの知的人気者だった。・・・
http://books.simonandschuster.com/Wise-Men/Walter-Isaacson/9780684837710
 彼等は米国において古典主義(classicism)の教育を受けた最後の世代だ。
 死の床でマクロイは、自分の息子にギリシャ語を学ばせるように言い残したものだ。
 彼等は、ただ同然の報酬で働き、第二次大戦の戦後期における諸機関を作り上げた。
 私としては、彼等はかなり素晴らしい仕事をした、と言いたい。
 <更に遡れば、>米国の建国の父達がいる。
 彼等は、一般的には名門出身であって自己修養の能力を持ち、自然発生的な貴族制(natural aristocracy)を信奉していた。・・・
 ・・・<ところが、>今日の我々の支配階級は、アイヴィーリーグ<の大学>で教育を受け、メリトクラティックであり、用心深く、かつ野心的だ。
 <現在の>我々の支配階級は高いSATの点数を稼いでいる。
 それは寛容で多様だ。
 それは心地よく、またそれは無限により公正でより正義にかなったシステムによって生み出されている。
 私は、賢人ないし建国の父達の貴族的システムよりも我々のメリトクラシーの下で生きることの方を好む。
 それでもなお、・・・<賢人や建国の父達において見られたところの、>幾ばくかの人格類型(character formula)、幾ばくかの貴族的偉大さが失われてしまった<ことは残念だ>。・・・」
–ゲイル・コリンズ(Gail Collins)–
 「・・・私は、<あなたのように>往事の日々に夢中にはなれない。
 我々女性にとっては彼等はさほど偉大ではなかった<からだ>。
 建国の父達のうち、自分の妻をまともな人物と見なしていたように見えるのはジョン・アダムスだけだ。
 その妻のアビゲイルが、新しい国の様々な法律を起草する時にご婦人達のことも忘れないでね、と彼に伝えた時、彼は笑った。
 笑ったのだ! 
 もちろん、当時には奴隷制だってあった。
 要するに、建国の父達は、彼等自身とそっくりな人々とは、分別良く、かつ細心の注意を払って接する能力を有する男達ではあったけれど、その他のすべての人々は彼等の命じた通りに走り回らなければならなかったのだ。
 戦後期の賢人達ですら、彼等の人種と階級に属する、彼等以外の男達の意見についてだけしか本当のところ耳を傾けない、という世界で活動したのだ。
 私は、こういったすべてのことは、単なる挿話(sidebar)であるとは思わない。
 自分自身の写し絵のような人々のリーダーであることと、自分自身とほとんど、あるいは全く共通点がないかもしれない連中の巨大な混淆体に応えるための優雅さ、想像力、そして謙遜さを培わなければならないケースとでは大違いだ。
 また、あなたの網はもっと大きくしなければならないのではないか。
 戦後の賢人達の中に<「容共」分子狩りを主導した>ジョー・マッカーシー<(Joseph Raymond McCarthy。1908~57年)>はどのように収まるのか。
 そして、ブッシュ政権はオバマ型のメリトクラシーの一部なのか。
 私としては、イラクの大量破壊兵器に係る大チョンボは、ベスト・アンド・ブライテスト症候群がどこでも、ワースト・アンド・ディメスト(worst and dimmest)の間でさえ発症しうることを示唆している、と言いたいところだ。・・・」
http://theconversation.blogs.nytimes.com/2009/07/08/whos-best-whos-brightest/?pagemode=print
(7月9日アクセス。以上すべて同じ)
3 終わりに
 マクナマラは、メリトクラシーの粋であって、その光と影を一身に体現している人物であると同時に、日本の都市への一連の空襲の企画に携わったことを悔やみ反省し続けたという点で有色人種差別意識から完全に自由であった人物であり、しかも、思うに、幸せな結婚生活を2度も送った(コラム#3380)フェミニストでもあったという意味で、米国の現代の国家エリートの嚆矢とも言うべき存在です。
 私には、オバマとマクナマラがだぶって見えます。
 ただし、オバマはマクナマラの「失敗」を百も承知している以上、我々が、オバマ政権の光だけでなく、影についても語らざるをえなくなる、という心配はする必要がなさそうです。
 それにしても、「賢人」達の時代までの米国の国家エリート達は、何とまあ偏狭な人々であったことでしょうか。