太田述正コラム#3711(2009.12.17)
<皆さんとディスカッション(続x685)>
<少数株主>
–読売の社説もおかしい–
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20091215-OYT1T01467.htm
小生は、体が3つぐらいほしい状況で、コラムもディスカッションの一部を斜め読みに見るぐらいで投稿しづらいのですが、半年伸ばしたことが、なんで党利党略になり国益に反するのでしょうか。
万が一(アメリカは大切な、ポチ(にほん)を捨てることは出来ないと確信してますが)、アメリカが日米同盟を破棄すると言ってきたら、これこそ、日本の独立であり、日本国内からアメリカはすべての基地を撤去する義務があります。当然日本は、必要な防衛力はすぐに整備しなければなりませんが、先日太田さんがお会いした、英国防省局長さん等にお願いし、武器は一応買えると思います。
そしてまず日英同盟を結ぶ、ということは、オーストラリア、ニュージランド、本来はカナダも、元首は、エリザベス女王であり、ココとも同盟を結び、これに、インド、ブラジル(支那が民主国家であれば、加わって欲しいのですが)、が加わてくれれば、世界恐慌的状況の中、日本にかなり混乱が起こるでしょうが、それを乗り越えたとき、たくましい日本になれる気がします。
それからアメリカと対等の立場で、同盟結ぶのもひとつの方法と思いますが、いかがでしょうか。
<太田>
同意。
<ΖββΖ>(「たった一人の反乱」より)
こういう報道もある。↓
でしゃばりすぎだよ羽毛田宮内庁長官
http://news.livedoor.com/article/detail/4508251/
<太田>
「・・・「9日の時点で、中国外務省の高官から小沢さんに直接電話がかかっている。『もし天皇会見を設定してくれたら、胡錦濤国家主席が民主党訪中団の議員ひとりひとりと握手できるよう取り計らう』とね」
この政府関係者によると、小沢氏は同じ9日に鳩山首相に対して会見の実現を要求。首相が、「1カ月ルール」を理由に会見を断ると、激しい言葉で罵倒したという。10日、折れた鳩山首相から指示を受けた平野博文官房長官が、先に触れたように宮内庁の羽毛田長官に会見を設定するよう命じることになったようだ。・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/4508105/
小沢幹事長も羽毛田長官も、どっちもどっちだね。
無権限なのに天皇会見を政府に強要するとともに羽毛田長官の辞任を求めた小沢幹事長に対するに、自分の上司である首相や官房長官を公然と批判するという、越権行為を行った羽毛田長官!
本件で、山内昌之東大教授が言っていることも
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091217/acd0912170807002-n1.htm
佐々淳行元内閣安全保障室長が言っていることも
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091217/plc0912170349002-n1.htm
ピンボケもいいところだ。
佐々さんや宮内庁の役人
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009121601000868.html
が言うように、仮に天皇会見が国事行為にあたらないとしても、公的行為ではあるのだから、内閣の責任の下に行われるものだ。
そのような天皇の行為は、すべて政治的行為なのだ。
憲法が天皇の政治的利用を禁じているのは、天皇を特定の個人や党派が利用してはならないということであって、天皇には党派を超えた政治的行為をしていただく必要がある。
個々の行為が果たしてそのようなものであったかどうかは、前にも申し上げたように、後世の歴史家が判断すべきことだ。
ただ、仮に自民党政権だったらどうなっていたかを想像すれば、その、短期的視点での答えはほぼ明らかだろう。
会見は実現していただろうし、それがショートノーティスの下で行われたという事実すらオープンになることはなく、何の話題にもなっていなかったろう、ということだ。
その傍証は、自民党の中曽根元首相だってこの会見を政府に要請したことで十分だろう。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009121601000868.html 上掲
こういったドタバタ劇を見るたびに、日本の政官界は、いまだに、悪い言葉で言えば下克上、良い言葉で言えばボトム・アップの日本型経済体制下にあると言わざるをえない。
外野や下僚が好き放題の言動を行い、鳩山首相は、(若干の好き嫌いくらいは表明しているが、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009121702000085.html
)右往左往してるだけだもんね。
一つだけはっきりしているのは、小沢には犯罪の嫌疑がかけられており、その嫌疑は濃厚である
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009121790091325.html
のに対し、羽毛田長官にはそのようなことがないという点だ。
だから、辞めるとすれば、当然小沢の方が先さ。
<ドイツゲーマー>
米国は人種主義的帝国主義的なイギリスだ、というという理解でよろしいでしょうか。
<太田>
そのとおりですが、もう一つ、米国がイギリスと異なる点があることを忘れてはなりません。
イギリス的生活様式と言ってもよい資本主義を初めて学問的に解明しようとしたスコットランド人のアダムスミス自身、決して市場原理主義者ではありませんでした(注1)し、イギリス自体も必ずしも市場原理主義的な社会ではありませんでした(注2)。
(注1)あのニール・ファーガソンは、通俗的なスミス理解をあえて(?)そのまま踏襲している。↓
・・・the last year・・・has・・・been a bad year for Adam Smith (1723-1790) and his “invisible hand,” which was supposed to steer the global economy onward and upward to new heights of opulence through the action of individual choice in unfettered markets. ・・・
http://www.foreignpolicy.com/articles/2009/11/30/dead_men_walking?print=yes&hidecomments=yes&page=full
しかし、スミスは、まずもって人間(じんかん)主義的思想家↓なのであって、このような通俗的なスミス理解は正しくない。
・・・Smith published The Theory of Moral Sentiments in 1759・・・. This work was concerned with how human morality depends on sympathy between agent and spectator, or the individual and other members of society. He bases his explanation ・・・on sympathy.・・・
Adam Smith’s advocacy of self-interest based economic exchange did not, however, preclude for him issues of fairness and justice. ・・・
・・・Smith・・・used <the term> ‘political economy’ ・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Smith
(注2)第一に、イギリスは、「1563年から1601年にかけて救貧法(Poor Law)が制定され・・・、それとほぼ同じくして、1597年から1601年にかけて慈善法(Charitable Uses Act)も制定され」たという人間主義的な社会(コラム#1577。#54、601、1212も参照)である上、第二に、経済の面でも、例えば19世紀において、市場原理主義的に運営されたのはイギリス本国内及びイギリスと大英帝国以外の地域との間だけであり、全体として世界人口の4分の1をしめた大英帝国中の植民地経済はもっぱら本国経済に奉仕させられており、このような世界秩序は、イギリス海軍、すなわちイギリス政府によって維持されていた。
http://blogcritics.org/books/article/economic-history-of-19th-century-england/
これに対し、米国人は、市場原理主義的なのです。
そもそも米国人は、当初はもっぱらイギリスから、基本的に権力や他者の介入を嫌って北米大陸に渡ってきた人であり、しかも、危険を冒すことを厭わない人々でもありました。
このことは、その後、欧州各地から、更には世界各地から様々な民族の人々が米国にやってくるようになってからも変わっていません。
そのため、米国は、最初から、市場原理主義的であり投機的な社会(コラム#307)であったのです。
ところで、私はかねてより、米国はできそこないのアングロサクソンであり、欧州に「汚染され」ているという言い方をしてきた(コラム#3708。未公開)ところですが、市場原理主義は欧州には見られないではないか、という指摘が予想されるので一言。
市場原理主義は、演繹的、合理論的思考、すなわち欧州的思考の産物であるという意味で欧州的であると言えますし、欧州各国では、経済こそこれまで市場原理主義的であったことはないけれど、スイスのワルラス、オーストリアのハイエク、同じく上出のオーストリアのシュンペーターらは、それぞれかなり異なっているとはいえ、広義の市場原理主義的方法論ないしは世界観を共有していたところです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~olympa/cambridge/hyoushi/no.9-interwar.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/L%C3%A9on_Walras
これらの経済学者の強い影響の下で、戦間期から戦後にかけて、米国で市場原理主義的経済学が花開き、いわば、これが米国の公定イデオロギーになるのです。(注3)
(注3)もちろん、欧州にも市場原理主義的でない経済学者がいたけれど、そのような経済学者は米国に影響を与えなかった。↓
・・・the “Austrians” — economists like Ludwig von Mises (1881-1973)・・・always saw credit-propelled asset bubbles as the biggest threat to the stability of capitalism. <However, n>ot many American economists carried forward their work into the later 20th century・・・(フォーリンポリシー誌上掲)
<Chase>
アイン・ランドの連載の時にも思いましたが、市場原理主義が欧州由来で、資本主義がアングロサクソンという分け方は、個人的には少しわかりにくさを感じます。
欧州が全体主義的性質を持つならば、市場原理主義の土壌はないように思うためです。
事実、経済学者的には市場原理主義が欧州由来とは承知しております。
私もなぜオーストリア学派のようなものが、欧州から出てきたのか疑問に感じておりましたが、なるほど教条主義云々の文脈では、欧州的かなと思える半面、全体主義の窮屈さとは対蹠的にも思えてしまいます。
太田さんのご主張は、市場原理主義を演繹主義(=イデオロギー的)の側面から掴み取る意味だとは思いますが、太田思想の隙のない論理構成から見ると、自分の中で収まりが悪い気がしております。
私の単純な理解不足かと思いますので、敷衍いただければ幸いです。
<太田>
欧州には、市場原理主義の土壌がないだけでなく、啓蒙主義の土壌だってありませんでした。
19世紀の市場原理主義と18世紀の啓蒙主義は、先進国イギリスにコンプレックスを抱いていた欧州の各国の知識人達が、それぞれ、誤解ないしは曲解に基づき、イギリスの資本主義やイギリスの自由主義を理想視し、純化し、原理主義化することによって、実践的、あるいは理論的にイギリスを追い抜こうとしたむなしい試みであり、その意図せざる結果として、どちらも、世界中に多大の惨禍をもたらした、というのが私の考えです。
<HN>
太田さんのメルマガを知り多くのことを学べた本年は、私にとって本当に良い年でした。感謝しております。
先日のオフ会には飛び入りで参加しようかと思ったのですが、体調を崩してしまい断念いたしました。
来年には参加させていただきたいと考えております。
太田さんもお体にお気をつけ下さい。
また来年も宜しくお願い申し上げます。
<太田>
どうも。
次会のオフ会でお待ちしております。
<globalyst>
≫globalystさんがこれからも翻訳を投稿なさるのなら、globalystさんとFUKOの翻訳する記事がダブらないようにした方がいいですね。≪(コラム#3709。FUKO)
そうですね。ダブらないのが良いとは思いますが…。
私は夕方の休みに翻訳するので、なるべく短い記事を翻訳しようと思っています。
でも太田コラムで紹介される人文系の記事の翻訳は難しくて、どこまでできるのか不安です。
ちなみに、私のbackgroundは機械工学科で専門は熱屋(伝熱や燃焼、発電プラント等)
<太田>
その他の記事の紹介です。
まっこと、ウイ奴じゃ。↓
「・・・韓国は現在、中国以外の国から稼いだ貿易黒字を日本に献上する状況に置かれれている・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20091217000006
19世紀末から20世紀にかけての米国によるアジア人虐殺数1,000万て言ったって、先の大戦以降、コンゴ内戦だけで500万人以上死んだんだから、大したことないとも言えるんだな。↓
The deadliest conflict since World War II, in which 5.4 million people have died and 200,000 women have been raped, rages far from Iraq and Afghanistan. It is in the Democratic Republic of Congo, where murderous militias are battling for control of valuable minerals such as tin, tantalum, tungsten and gold, which are essential to the worldwide production of consumer electronics. Congolese, in other words, are dying in extraordinary numbers for our cellphones and video games, digital cameras and laptop computers.・・・
http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-congo15-2009dec15,0,6738943,print.story
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太田述正コラム#3712(2009.12.17)
<政治的宗教について(その7)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x685)
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