太田述正コラム#3432(2009.8.1)
<欧州へのイスラム移民(その2)>(2009.12.20公開)
4 イスラム移民受け入れにおける戦略の欠如
「・・・コールドウェルは、大量移民受け入れに係る経済的及び福祉国家的議論についても粉砕する。
1950年代には、<欧州の>大部分の国では、追加的に労働力がどうしても必要であるということはなかったと指摘する。
英国のケースで言えば、アイルランドが依然として大量の労働予備軍を提供していた。
この本の中に出てくる一番びっくりする数字の一つは、1971年から2000年の間にドイツにおける外国籍の住民の数は300万人から750万人に増えたが、外国人の雇用者数は同じ200万人にずっととどまっていたというものだ。・・・
大部分の欧州諸国では、自由主義的普遍主義と移民主義(immigrationism)イデオロギーによって制約されて、余りにも移民に対して自由放任過ぎたのだ。
近現代史において初めて、欧州の様々な社会は、意を決して、大集団の市民達が外国の文化の中で暮らし続けることを認めたのだ。・・・」(C)
「・・・<大量に移民を受け入れたのは、>既に衰亡過程にあった諸産業につっかい棒をする、そして後には、健康や観光といった産業における職員を確保する、というアイディアによるものだったが、そのために必要な費用を我々の諸社会は支払うことを拒否し、現在もなお支払おうとしていない。
低賃金の卑しい仕事をやらせるためには継続的に新たな移民の流入を維持するしかない。
なぜなら、一旦構築された移民社会<の住民達>は、もっと良い仕事にありつくか、受け入れ地で生まれた白人の住民達の多くのように全く仕事に就かずに福祉国家に依存するか、のどちらかを選んだからだ。
<その後、移民の流入は厳しく規制されるようになったが、家族や結婚相手の呼び寄せにより、流入は続いている。>・・・」
E:http://www.guardian.co.uk/books/2009/jun/13/christopher-caldwell-revolution-in-europe
非熟練労働力だけを受け入れるとこうなる、ということが予測できなかったなんて、にわかに信じられないような話ですね。
5 欧州文明とイスラム文明の類縁性
「・・・先週の日曜日(7月26日)、ロンドンのガーディアン紙<
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jul/26/radicalisation-european-muslims
>は、EUで行われた新しいギャラップ世論調査の結果を掲載した。
分かったことの一つは、ロンドン<(コラム#789~792、803、804)>とマドリードにおけるテロ攻撃<(コラム#289、291、300、324、394、395、789~791)>が起こった頃の2004年から2006年にかけて恐れられていたような、欧州大陸のイスラム教徒達の大量過激派化は生じていないように見えることだ。
ガーディアン紙は、同時に、サルコジ<仏大統領>の安全保障顧問のアラン・バウアー(Alain Bauer)のイスラム移民に関する楽観的見解を引用している。
すなわち、バウアーは、「我々は、<欧州在住の>イスラム教徒のうち、欧米、就中欧州を積極的に拒絶しているのは約10%であり、10%は欧州人よりも欧州人的であり、約80%はその中間であって、とにかく何とかやっている人々だ」と指摘し、「憂慮されるべきは欧州生まれの、ないしは欧州にやってきたテロリスト達ではなく、イランのような国だ」と付け加えている。・・・」(A)
「・・・<これは、一見コールドウェルの議論の反証のように見えるが、彼自身、自分の議論にあきたらないものを感じているようにも見える。>
彼いわく、「世俗的な欧州人達が「イスラム」と呼ぶところのものは、ダンテ<(Durante degli Alighieri。1265?~1321年)(コラム#726、1186、3130、3407)>とエラスムス<(Desiderius Erasmus Roterodamus。1466/1469~1536年)>が自分達にとっての価値であると認識するであろう一連の諸価値に他ならない」と。
逆に言うと、「欧州の中核的諸価値」を構成する、現代的な世俗的諸権利は、「ダンテとエラスムスを仰天させるに違いない」<というわけだ>。
換言すれば、イスラムの諸価値に対置されるところの、歴史超越的な単一の言葉群ないしは単一の欧州的諸価値は存在しない<、とコールドウェルは言う>のだ。・・・
コールドウェル自身も含め、このところのイスラムとの邂逅は「痛みを伴い暴力的」であるかもしれないが、それは同時に、「面白みがなく、つまらぬ粗探しをする、物質主義的な欧米の知的生活に酸素を注入してくれているのであって、我々はこれに感謝の意を表明しなければならない」ことを認めている。・・・
2005年の秋にフランスの諸都市を燃え上がらせた暴動者達<(コラム#944、945、947、952、953、955、956、958~963、967、968)>について<も>、「イスラムを信奉していたのではなく、チーム・イスラム」への愛着を持っていたに過ぎない、とコールドウェルは指摘する。・・・
・・・真の問題は、移民ではなく、イスラム教徒たる移民でもなく、進歩的、世俗的、人文主義的(humanist)なもの(project)に対する自信の欠如なのだ、と。」(B)
「<彼が、>「不安に苛まれ、順応性があり、相対主義的な(欧州の)文化が、しっかりと根を下ろし、確信があり、共通の教義によって強化されている(イスラムの)文化と出会えば、通常前者が後者に合致するよう変わるものだ」としている<点について、ある書評子は、>彼の今日の欧州に係る、このような究極的な見解を<我々が>論駁することは困難だ<と述べている>。」(A)
これじゃ、イスラム移民が過激派化する必要がないわけですよね。
実質、欧州そのものがイスラム的であったかつての欧州に回帰しつつあるのですから・・。
以上は要するに、私の言葉に置き換えると、イスラム移民によって持ち込まれたイスラムによって、欧州・・ただし当然のことながら英国を除く(後述)・・のアングロサクソン的金メッキが剥げて、欧州がかつての欧州、本来の欧州に回帰しつつある、ということなのです。
この話をもう少し続けましょう。
(続く)
欧州へのイスラム移民(その2)
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