太田述正コラム#3449(2009.8.8)
<アテネ・海軍・民主主義(その1)>(2009.12.27公開)
1 始めに
拙著『防衛庁再生宣言』で、私は、「アテネ<に>・・・<「>民主主義<」>が定着したのは、紀元前5世紀初頭の数次に渡るペルシャ戦争の賜物だった。490年には、武具を自弁できる裕福な市民によって構成されるアテネの重装歩兵がマラソンの戦いでペルシャ陸軍を打ち破り、・・・480年には、無産市民を漕ぎ手の中心とするアテネ海軍が、更ミスの海戦でペルシャ海軍を壊滅させたが、アテネ市民は、アテネの民主主義こそ、これらの勝利をもたらしたと信じたのである。・・・」(137~138頁)と記したところです。
その際、付した典拠は、John Thorley, Athenian Democracy と R.K.Sinclar, Democracy and Participation in Athens の2冊でした。
さて、このたび、米国人のJohn R. Haleによって LORDS OF THE SEA The Epic Story of the Athenian Navy and the Birth of Democracy が上梓され、同じような指摘を行っています。
改めて、この本の書評を通して、この種の指摘が具体的にいかなるものなのか、皆さんにご理解をいただこうと考えました。
A:http://www.nytimes.com/2009/08/07/books/07book.html?hpw=&pagewanted=print
(8月7日アクセス)
B:http://www.washingtontimes.com/news/2009/may/14/ancient-naval-ventures-and-errors/
(8月8日アクセス)
C:http://www.proprofs.com/certification/comptia/a-plus/amzn/shop.php?c=books&n=9&i=067002080X
(8月8日アクセス)
2 アテネ・海軍・民主主義
「・・・ヘール氏の“Lords of the Sea”のテーマは、 もっぱら、軽量の戦闘艦艇であるところの、3段の総計170人で漕いだトライリーム(trireme=3段オールのガレー船)として知られるものからなる強力なアテネ海軍の建設が、まさにアテネの黄金時代とその進化した形態の民主主義をもたらした、というものだ。
紀元前480年から322年までの一世紀半以上にわたって、約20万人の人口を擁したアテネという都市国家は、地上で最強の海軍を保持し続けた。
「アテネ海軍なかりせば、パルテノンも、ソフォクレスやユーリピデスの悲劇もプラトンの『国家』もアリストテレスの『政治学』もまたなかっただろう」とヘール氏は記す。
「一連のペルシャ戦争が始まる前頃までは、アテネは、哲学、建築、演劇、政治学、あるいは歴史記述に関する偉大なる伝統を形成してなどいなかった。
これらすべてが、紀元前5世紀の初頭に、アテネ人達が艦隊の建設に賛成票を投じ、自分達を海軍大国に変貌させることとした後で押し寄せてきたのだ」と。
艦隊を建設し維持するという大変な作業が<アテネ>社会の凝集性を高めた。
海軍による保護のおかげで、アテネは繁栄すること、アテネを席巻して、その寛容で何でもかんでも知りたがる性格を変えてしまったに違いないところの、様々な敵をかわすことが可能となった。
このトライリームの大艦隊や小艦隊を指揮した者の中には、戯曲作者のソフォクレスや歴史家のツキディデスもいた。・・・
ヘール氏は、トライリームの使用は、「戦争の新しい時代」を招来したと指摘する。
史上初めて、「大部分の戦闘員が直接敵と戦わない、いやそれどころか、敵の姿さえ見ることなく、戦闘が行われるようになった」というのだ。
トライリームで戦闘に勝利する方法は、敵の船に舳先をぶつけるというものだが、力尽くでというよりも、うまく立ち回ることがずっと大事だった。
アテネを興隆させたのは海軍のおかげだったが、最終的にはそれがアテネを滅ぼした。
大きな、そして維持するのが容易ではない海軍を保持していると、それを使いたくなってしまうものだ。
腰を落ち着けることができないアテネ人達は、彼等の同盟者達に対して戦役をしかけたし、しばしば侵略的に、かつ向こう見ずに危険な敵を挑発して戦争を起こさせた。
愚行(folly)と倨傲(hubris)は、ヘール氏が一度ならず使用する一対の言葉だ。
プラトンは、アテネの飽くことのない食欲を持つ海軍に対する批判者の一人だった。「トライリーム民主主義」は、それ自体が、そして他者に対しても悪である、と考えたアリストテレスもそうだ。
アテネの黄金時代は紀元前322年に終わった。
この年、アテネの海軍は決定的にかつ屈辱的にマケドニアによって打ち負かされた。
黄金時代は、かくして「突然、あたかも誰かが電灯を消したかのように」終わった、とヘール氏は記している。・・・」(A)
(続く)
アテネ・海軍・民主主義(その1)
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