太田述正コラム#3463(2009.8.15)
<アーサー・ランサムの半生(その2)>(2009.12.31)
「・・・ランサムは、最初にデイリーニュース、次いでガーディアン<・・当時はマンチェスター・ガーディアン・・>のロシア特派員のポストをうまく獲得した。・・・
1924年までにはもう一つの変化が生じた。
彼は、イギリス人の妻と離婚し、<前出の>ロシア人の女性とウィンダーミア(Windermere)の小屋で一緒に暮らすようになった。
それから彼はジャーナリズムとの関係を店じまいし、1930年に、一連の児童書の皮切りとなる『ツバメ号とアマゾン号』を出版した。・・・
<成人後の>三つのフェーズのすべてを通じ、ランサムのナイーブで真面目でメランコリーで浅薄な性格という本質的諸特性が通奏低音のように奏でられている。」(C)
「恐らくは驚くべきことではないが、英国の諜報員達が、英外務省に、ランサムは完全にボルシェヴィキに取り込まれていると警告を発するまでに長くはかからなかった。
しかし、1918年の夏、MI6は、彼をストックホルムで雇い入れた。・・・
・・・彼は、ある時、スウェーデンに、300万ルーブル入りのボルシェヴィキの外交公嚢(diplomatic bag)、彼自身のエフゲニアのための英国の旅券、及びラデクによって与えられた一件書類を持って到着したことがある。(ロシアを出発した時はボルシェヴィキの制服を着ていたが、スウェーデンに到着した時は、英国の服をこれみよがしに着ていた。)
その一年後には、その時にはガーディアンのために働いていたわけだが、エフゲニアと再びロシアを後にし、今度は、ボルシェヴィキの海外での目的のために約200万ルーブル相当のダイヤモンドと真珠を持ってエストニアに到着した。
「そう、彼は二重スパイだった」とチェンバースは言う。
「彼は英国政府によって給与を与えられ、同政府に報告を提出し、その一方で彼は英外交政策に関し、チェカに助言を与えた。・・・
・・・1919にこの作家は、<ロンドンの>キングスクロス駅で列車を降りたところで逮捕され、筋金入りの反共の特別班(Special Branch)班長のバシル<・「スパイキャッチャー」・>トムソン卿(Sir Basil <“Spycatcher”>Thomson)によって尋問された。
トムソンが聞いたことは、キミの政治的傾向は具体的にはどういうものかね(What exactly are your politics?)だった。
ランサムは、「釣りだ」と答えた。
それからというもの、この二人の男は、ほとんどあらゆる点で意気投合した。
エフゲニアとともに1924年に英国に帰国すると、ランサムはガーディアンのためにいくつか仕事をしたけれど、結局は同紙からのベルリン特派員になって欲しいとの申し出を謝絶した。
彼は湖沼地帯の小屋に住み込み、『ツバメ号とアマゾン号』が1929年に出版された。・・・」(A)
「・・・この素晴らしい伝記の終わり近くで、一人のロシア人の男が、その口調をそのまま写せば、青春のただ中に「面白い外国の原住民の生活を調査」するというのは典型的なイギリス人のすることなのだろうか」という問いを投げかけている。
アーサー・ランサムは確かにそれを行ったように見える。・・・」(B)
「・・・もしあなたがイギリスの監獄を探し歩けば、19世紀と20世紀に古典的な児童文学をものした連中ほどアブナイ一群の変人奇人・・その大部分は男性・・を見いだすことはなかっただろう。
チャールス・ドッドスン(別名ルイス・キャロル(Lewis Carroll<。1832~98年。『アリスの不思議な冒険』の作者たるイギリス人>))は、10歳の女の子に入れ込んでいた独身の一匹狼だった。
もう一人、中年の情緒的発達障害のJ.M.バリー(J. M. Barrie<。1860~1937年。スコットランド生まれ>)は、彼が写真を撮り、着せ、脱がせ、彼自身が創作した海賊ごっこを一緒にすることになる、<ロンドンの>ケンジントン公園で出会った5人の男の子に入れ込んだことで『ピーター・パン』を書くことになった。
ケネス・グレアム(Kenneth Grahame<。1859~1932年。スコットランド生まれ。金銭的理由でオックスフォード進学を断念>)が『たのしい川べ(The Wind in the Willows)』を書いたのは、一つには彼がイギリス銀行の書記長(Secretary)であった時のキチガイによる<3発の1発も当たらなかった>グラハム狙撃後の<銀行を退職した上での>精神療法のためであり、もう一つは彼の病弱で、後に<オックスフォード大学生の時20歳を目前にして>自殺することになる息子を喜ばせるためだった。・・・
・・・<こうして見てくると、>要は、チャールス・ディケンズからジョン・F・ケネディに至るまで、暗い側面を持つ有名な人物達こそ、最も優れた本や映画をつくることができる、というなのだろうか。・・・」(D)
3 終わりに
イギリス(イギリスで活躍した者を含む)が著名な児童文学家やファンタジー作家を輩出していることは興味深いことです。
もっとも、これは、イギリスが著名な文学者を輩出していることの一環なのかもしれません。
結局のところそれは、イギリスが根っからの個人主義社会であって、だからこそ、角がとれないままの奇人変人がうようよしているため、文学の題材がそんじょそこらにごろごろころがっているからであると私は思います。
それに加えて、アーサー・ランサムのように、若い頃に「面白い外国の原住民の生活を調査」する機会まであれば、鬼に金棒だ、ということなのでしょうね。
イギリスって本当に面白いって思いません?
(完)
アーサー・ランサムの半生(その2)
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