太田述正コラム#3529(2009.9.17)
<イギリス貴族(その1)>(2010.1.27公開)
1 始めに
随分前に(コラム#92で)「イギリスには、言葉の本来の意味における階級制度は、いまだかって存在したことがありませんでした」と記したところです。
イギリスには貴族がいるじゃないか、貴族院たる上院もあるではないか、という疑問をお持ちの方もおられると思います。
このたびローレンス・ジェームス(Lawrence James。1943年~。イギリスの著述家にして歴史家)が’Aristocrats: Power, Grace and Decadence –Britain’s Great Ruling Classes from 1066 to the Present’を上梓し、ようやく複数の書評がそろったので、これらの書評を通じ、イギリスの貴族がいかなる存在であったのかをご披露したいと思います。
A:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/6163307/Aristocrats-Power-Grace-and-Decadence-by-Lawrence-James-review.html
(9月16日アクセス)
B:http://www.ft.com/cms/s/2/79a57cc0-9362-11de-b146-00144feabdc0.html
(9月2日アクセス)
C:http://www.guardian.co.uk/books/2009/sep/12/aristocrats-lawrence-james -charles-spencer
(9月12日アクセス)
2 イギリス貴族
(1)序
「2006年にローレンス・ジェームスは英国の中産階級の歴史についての本(690頁)・・・を出版した。
その中で彼は押しとどめることのできない、中産階級の、単に経済的なだけでなく、心理的かつエートス的な勃興について描写した。
その物語の中での中心人物の一人はトーマス・アーノルド(Thomas Arnold。1795~1842年)博士(注1)だ。
(注1)詩人のマシュー・アーノルド(Matthew Arnold)は息子、「すばらしい新世界(Brave New World)」の著者オルダス・ハックスレー(Aldous Huxley)(コラム#1105)はひ孫だ。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Arnold
彼は<パブリックスクールである>ラグビー校の有名な校長であり、彼のシステムは、何世代にもわたるイギリス男性のふるまいを形成した。
それは、古典文化、騎士的ふるまい、キリスト教信条、そして運動場においてエネルギッシュに膝を泥まみれにすることの組み合わせからなっていた。・・・
<英国人2,000人を対象として行われたある世論調査によれば、>62%が自分達自身を中産階級、33%が「労働者階級(working class)」と見ており、残りはDKだった。
ただの一人も、厚かましくも、あるいは真面目にも自分自身を上流階級の人間であるとした者はいなかった。
<当時、私はこの本を褒めた上で、>次のようにコメントした。
<この本で>鮮明に描かれていないのは、どのようにして古い上流階級が競争相手たる中産階級の上昇に適応したのかだ。
アーノルド博士によって誑し込まれたか改宗させられたのか。(アーノルドのシステム全体が古い貴族的なやり方に反対する方向を志向していた。すなわち、もはや男の子達は彼等の馬や猟犬や銃を学校に持ってくることは許されなかった。)
それとも、貴族は単に巧妙に背景に溶け込み、自分自身をカムフラージュしたために、今や<上記世論調査で上流階級の>一人のメンバーも見つけることができなくなったのか。
これは恐らく、もう一冊の分厚い本のテーマたりうるだろう、と。・・・
<そうしたら、まさに貴族をテーマにした彼の本がこのたび上梓されたわけだ。しかし、残念ながら、それは余り分厚くないし、できも微妙なところだ。>」(A)
(2)通史
「・・・帆船の貴族丸は、1066年にノルマンディーの港を出発した。
その後、戦利品と持ち物で一杯になりながら、750年に及ぶ船旅を乗り切った。
スコールや時には台風に遭遇し、船上で幾ばくかの男達は亡くなった。
・・・船友達は全般的には繁栄し30世代を重ねたが、19世紀に至ってあらゆるものが変わり始めた。
帆が蒸気に取って代わった。
乗組員達は<変化に>適応しようと大わらわだったが、彼等は船という孤立した構築物の上で生きてきたので、彼等の周りでめくるめく速度で起こっていた近代化を真に理解し、これに対応することができなかった。
そして20世紀となり、いよいよ避けられないことを受け入れる時がやってきた。
既に力を失っていたことから、残された乗り組み員達は、不承不承、貴族丸を静かな港に向かわせた。
この港では、この船は、その歴史と伝統にもかかわらず、古風で趣のある観光名所以上の何物でもなくなってしまった。・・・」(C)
この比喩的な書評からうかがえるのは、イギリスの貴族というものは、征服者たるノルマン人が持ち込んだ封建制の一環としてイギリスに入ってきたものである、ということです。
封建制は真の意味ではイギリスに根付かなかった、ということはたびたび申し上げてきたところですが、その一環たる貴族制もまた、真の意味ではイギリスに根付かなかった、という理解でよさそうです。
(続く)
イギリス貴族(その1)
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