太田述正コラム#3760(2010.1.10)
<精神疾患と人間主義(その1)>(2010.2.10公開)
1 始めに
 このところ、ディスカッション・シリーズの中で、精神疾患の話題がよく登場しています。
 今月末に米国のエタン・ワッターズ(Ethan Watters)が ‘Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche’ を上梓する予定であるところ、まだ書評はほとんど出ていませんが、ニューヨークタイムスが、著者によるこの本を解説した長文のコラムを掲載したこともあり、また、人間主義との関係もこれあり、取り急ぎ、この本の概要をご紹介することにしました。
A:http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1950947,00.html
(1月10日アクセス。以下同じ)(紹介)
B:http://www.womenandchildrenfirst.com/book/9781416587088
(書評)
C:http://www.nytimes.com/2010/01/10/magazine/10psyche-t.html?ref=magazine&pagewanted=print
(著者による解説)
 ちなみに、ワッターズは、サンフランシスコ在住のフリーランスのジャーナリストです。(B)
2 ワッターズの主張
 (1)要約
 「・・・2008年には、グラクソ・スミス・クラインは、年間10億円もの<抗鬱剤>パクシル(Paxil)を、製剤の売り込み者(marketer)達が彼等に教えるまでは、鬱という問題があることを知らなかったところの、日本人達に売ったのだ。」(A)
→言いたいことが分からないでもありませんが、これじゃ日本人や日本の医薬界は未開の土人扱いされていると文句の一つも言いたくなりますね。
 日本の精神医学としては、もともとは鬱病に対するものではありませんが、神経症(軽度のパニック障害(かつての不安神経症)や強迫性障害(かつての強迫神経症)(コラム#3295)など)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%97%87
に対する森田療法が大正時代からあり、20カ国で実戦されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%99%82%E6%B3%95
 この療法は、「うつ病の回復過程にも・・・生かすことができ」るとされており、
http://www.jikei.ac.jp/hospital/daisan/morita/p02.html
上記のような記述ぶりは、米国知識層の倨傲を示すものである、と言うべきでしょう。(太田)
 「・・・我々は、世界が様々な精神疾患について語ったり、それらを治療したりするやり方を変えてきただけでなく、精神疾患そのものを変えてきたのだ。・・・
 我々が精神疾患を治療する米国流のやり方を紹介することで、我々は実際には<世界に>病気をまき散らしているのだ。・・・
 ワッターズは、日本人の鬱についての考え方(experience)を変えるべく行われたところの、世界最大の製薬会社の一つによる何百万ドルのキャンペーン・・文字通り、病気を製剤と一緒に売り込んだ・・の真相を暴露する。・・・
 我々が他の諸文化の人々の精神(psyache)に我々が及ぼした影響を眺めることは一種の肝試しのようなものであり、我々に、我々自身の精神的健康と治癒に関する諸信条に対して新たな視点から眺めやることを強いることにもなる。・・・
 ・・・我々は、いかに我々自身の文化が、我々の時代の精神疾患を継続的に形作り、かつしばしば創り出すかを理解し始めている。・・・」(B)
→前半の記述については、先ほど述べたことに加え、以前(コラム#3751で)「鬱病が新薬によって治りやすくなり、鬱病患者が逃げ隠れする必要がなくなってきた、ということでしょう。 そのことを素直に喜ばなくっちゃ。」と申し上げたことを繰り返しておきたいと思います。
 ちなみに、鬱病の回復過程に森田療法で対処する場合にも、投薬が排除されるわけではありません。
http://www.jikei.ac.jp/hospital/daisan/morita/p02.html 上掲
 後半の記述についても、この際、私の結論的感想を先回りして記しておきましょう。
 米国は市場原理主義が公定イデオロギーであると言っても過言ではない、極めて異常な社会であり、精神疾患の原因はもっぱらその個人に帰せしめられるでしょうし、治療もまた、人間(じんかん)主義的に行われることなどありえないことでしょう。
 また、米国は、犯罪率の高い危険な社会であって、医療皆保険も実現されていない等社会的セーフティネットも弱体である等、超大国でありながら発展途上国の側面を併せ持っており、精神疾患が自然治癒することも社会内で治癒することも容易ではなかろうと推察されます。
 幸か不幸か、超大国なるがゆえに、米国は世界の自然科学や人文社会科学をリードしており、米国の精神医学も世界で最も「進んで」いるわけです。
 しかし、米国の精神医学には上述したような歪みがあることから、米国の精神医学がグローバルスタンダードになっていることが、米国内の精神疾患者を含む、世界の精神疾患者の不利益になっている部分があることは大いに想像できることだと思います。(太田)
(続く)