太田述正コラム#3768(2010.1.14)
<日進月歩の人間科学(続x11)>(2010.2.14公開)
1 始めに
 ニューヨークタイムスの健康問題担当編集者のバーバラ・ストローチ(Barbara Strauch)が4月に上梓する本 ‘The Secret Life of the Grown-Up Brain’ のさわりをご紹介したいと思います。
 (本日は、やぼ用があり、余り時間がとれないので、「日進月歩の人間科学」シリーズとしては、比較的軽く、かつ短いものにしました。)
2 著者自身の解説より
 「・・・脳は、中年にさしかかると、中心的観念や大きな図をより良く認識するようになる。
 脳を良い形で維持できれば、脳はパターン認識することを助ける回路を引き続き構築することができ、その結果、若い人よりもはるかに迅速に重要なこと、更には解決法さえ見つけることができる。・・・
 <ある専門家は、>「脳はまずもって情報の貯蔵庫だ。我々は物事を知らなければならない。
 しかし、我々は、その域を超えて我々の世界についての見方(perception)に挑戦しなければならない。
 もしあなたが自分と同じ考えの人とばかり過ごし、あなたが既に知っていることに違背しないものばかりを読んでいると、あなたは自分の確立した脳<の神経>結合と取っ組み合うことにはならない。・・・」
http://www.nytimes.com/2010/01/03/education/edlife/03adult-t.html?hp=&pagewanted=print
(1月9日アクセス。以下同じ)
3 書評より
 「・・・中年は、寿命が延びた今では、40代から60代末までと言ってよい。・・・
 <中年とは、>のど元まで(tip-of-the-tongue、すなわちtots)の時代だ。
 つまり、中々物事を思い出せなくなるのだ。
 <ある専門家の>研究が示すところによれば、こういうことが増える理由の一つは、情報を受容し、処理し、伝達するところの神経結合が、不使用により、または加齢により弱体化するからだ。
 しかし、彼女<(ストローチ)>は、前もって覚えようとすることと似ている音をあらかじめ教え込まれておれば・・例えば、ブラッド・ピット(Brad Pitt)の名前を思い出そうとする時に誰かがチェリー・ピット(cherry pit<=サクランボの種>)のことを語ったとすれば・・突然忘れていた名前が頭に蘇るだろう。
 音の類似性が弱った脳の神経結合を活性化させることができるわけだ。・・・
 <それはさておき、肝腎の話に移ろう。>
 教育者達は、成人にとって、神経細胞をそっと一押しして正しい方向へと誘う一つの方法は、若かりし時に<情報を>集積すべく極めて頑張って作業をしてきたところの諸前提そのものに挑戦することだと言う。
 脳は、既に良く結合した回路だらけなのだから、成人たる学習者は、自分自身のものとは正反対の様々な思想と対峙することによって「シナプス(synapse)を軽く揺さぶってやる」べきなのだ。・・・
 ストローチは、新しい事実を教えることが成人教育の焦点であってはならないと言う。
 そうではなくて、引き続き脳を発達させためにとるべき豊饒な学習形態は、あなたが異なった「人々や考えとぶつかり合う」ことでなければならない、というのだ。
 歴史の授業では、それは、複数の視点<の史書>を読む<べき>ことを意味するのかもしれない。その上で、あなたが学んだことがあなたの世界観をどのように変えたかを反芻することによって脳のネットワークをこじ開けるわけだ。・・・」
http://www.bettermost.net/forum/index.php?action=printpage;topic=44571.0
 「・・・私は、私の若い現代人のようには早く新しい物事を学習できないかもしれない。
 しかし、私は極めて複雑で深い諸概念を理解することができ、若い人よりも速く、諸問題について、結果と重要性と解決方法を認識することができる、というのだ。・・・」
http://massage.largeheartedboy.com/archive/2010/01/training_the_mi.html
4 終わりに
 手前味噌な話をさせていただけば、太田コラムをお読みになることは、英米を中心とする世界において、毎日のように報道される新しい物の考え方やニュースに接することによって、脳を活性化することに最適であり、とりわけ中年以降の読者にとってそのメリットは大きい、ということになりそうですね。
 いや、こういう私自身にとってこそ、インターネットで英米を中心とする記事を追い、それらをもとにコラムを書くことで、脳の老化が食い止められ、ひょっとしたら、まだ若干なりとも脳が「進化」してきているのかもしれません。
 そう思いたいところですね。