太田述正コラム#3616(2009.10.30)
<キリスト教の歴史(その1)>(2010.2.21公開)
1 始めに
ディアメイド・マックロック(Diarmaid MacCulloch)の浩瀚な’A History of Christianity: The First Three Thousand Years’ が上梓され、英国で大きな話題になっています。
この本の書評を手がかりに、この本にどんなことが書かれているかをさぐってみましょう。
A:http://www.guardian.co.uk/books/2009/oct/25/history-of-christianity-diarmaid-maculloch
(10月25日アクセス)
B:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/6271890/A-History-of-Christianity-The-First-Three-Thousand-Years-by-Diarmaid-MacCulloch-review.html
(10月26日アクセス。以下々)
C:http://www.spectator.co.uk/print/books/5356491/apologies-but-no-apologetics.thtml
D:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6839676.ece?print=yes&randnum=1256538465750
E:http://heritage-key.com/publication/history-christianity-first-three-thousand-years
F:http://www.economist.com/books/PrinterFriendly.cfm?story_id=14446991
(この本ともう一冊の本の書評)
G:http://www.ft.com/cms/s/2/5117ed50-9e62-11de-b0aa-00144feabdc0.html
H:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6857602.ece?print=yes&randnum=1256538952140
I:http://www.churchtimes.co.uk/content.asp?id=81057
マックロックは、オックスフォード大学のキリスト教会史の教授で宗教改革史が専門であり、かねてからその著書で何回も受賞歴がある人物です。
この本は、BBCのキリスト教史のシリーズもので、世界各地での実写を交えた番組の制作への彼の関与と平行してとりまとめられたものです。
マックロックは、父親が英国教会の神父である同性愛者です。
ちなみに、彼は、自分はキリスト教の友人ではあるがもはや信者ではない、という立場です。
(以上、A、B、Eによる。)
2 キリスト教の歴史
(1)全般
「・・・2009年には<キリスト教>信者は20億人を超えており、1900年に比べてほとんど4倍に達し、現在の世界総人口の3分の1を占め、これに次ぐ競争相手であるイスラム教の信者の数より5億人以上多い。
<もっとも、マックロック>教授は、International Bulletin of Missionary Researchに拠っているところ、この数字はちょっと大きすぎるのではないか。・・・」(C)
「・・・最近の<キリスト教>批判者達は、キリスト教の遺産について、それがおしなべて反理性的で時代遅れである、と言う。
だから、<彼等は、>敵<たるキリスト教>など一撃で粉砕できるというのだ。
マックロックはそうではなく、キリスト教を多次元的な運動として描写する。
1,000年間にわたって、キリスト教は単なる抑圧者としてだけでなく、解放者としても、そして、検閲者としてだけでなく知的な推進力として、活動してきたというのだ。
<旧約聖書中の>申命記(Deuteronomy)よりも<無神論者の>ドーキンス(Dawkins)によって形成された<と言ってよいイギリスの>文化の下では、これは偶像破壊的行為であると言える。
それどころか、マックロックは、「科学は・・・宗教の目的や意図と全く抵触しない」のであって、真の科学者は、いかなる神学者にも伍して、神の被造物の検証にあずかっているのだと説明する。
<これは、>今日の<欧米>世界では、放火まがいの声明であると言える。・・・」(A)
こういう書評を読むと、イギリスがいかに反キリスト教的な社会かが、改めてよく分かりますね。(太田)
(2)前史
「・・・著者は、自分の名前がつけられている宗教の教祖としてのナザレのイエスの重要性、特異性を矮小化することに汲々としているように見える。
そのためにか、彼は、イエス生誕以前の1,000年を<この本で>最初に扱い、キリスト教のルーツをギリシャとヘブライ両文明に求める。・・・
イエスを扱った節は20頁を超えないが、これには、現代の英国教による新約聖書批判の最も苛つく側面の全てが反映されている。
イエスの人格は描かれることがなく、読者は、これほども史実が残っていないのだとすれば、どうしてイエス、イエスと言うのか、という思いにかられてしまう。・・・」(C)
「・・・キリスト教は、一般には<生まれてから>2,000年経っているとされている。
しかし、マックロックは、ダビデ王からイエス・キリストまでの間の1,000年をキリスト教史の最初の1,000年であると主張する。
というのは、<彼に言わせれば、>その間に、キリスト教の考え方とイメージ(imagery)を形成する主要な諸観念が確立したからだ。
この諸観念には、ユダヤ史の様々な主題、とりわけ、神から遣わされ、神<の被造物たる>人々を訪れてこれらの人々を贖う救済者(deliverer)<の出現>への希求が含まれている。
しかし、これらの諸観念には、古典ギリシャから借り受けられたアイディア、及びローマ帝国から剽窃された組織制度が組み入れられている。
<このように、>キリスト教は、最初から吸収性のある(absorbent)宗教だったのであり、その適応能力においてほとんどダーウィン主義的であって、だからこそキリスト教は、その4,000年紀の始まり<たる現在>において、依然衰えを知らないのだ。・・・」(D)
「・・・「地上志向的で世界肯定的(world-affirming)なユダヤ主義」と、不変の非地上的な精神的な美を追い求めるヘレニズム的世界観との「恒常的対話」を理解することなくして、我々はキリスト教を理解することなど全くできない。
キリスト教の父達であるところの、イエスと聖パウロ(Paul)は、「この二つの文化の狭間に飛び込んだ」のだ。
その結果<成立したの>が、最初から、たくさんの異なった、そして相矛盾さえするところの、神、善、人間の本性、そして救済についての説明を提供する<という特徴を持つ>宗教<であるキリスト教>だったのだ。・・・」(I)
(続く)
キリスト教の歴史(その1)
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