太田述正コラム#3620(2009.11.1)
<キリスト教の歴史(その3)>(2010.2.23公開)
(5)その他
「・・・マックロックは、18世紀のプロテスタントのリバイバリスト達(Revivalists)(注3)のことについては生き生きと書いているが、・・・カトリックの道徳神学の自由主義的再形成を行った点でウェスリー(John Wesley<。1703~91年>)兄弟の業績と完全に重要性において拮抗するところの、偉大なイタリア人説教者にして神学者たるアルフォンソ・リグーリ(Alphonso Ligouri<=St Alphonsus。18世紀のスペイン生まれのイエズス会員>)(注4)については沈黙を保つ。
http://books.google.co.jp/books?id=7wyzdz6ZO-QC&pg=PA174&lpg=PA174&dq=Alphonso+Ligouri&source=bl&ots=lNeJ_Hftt0&sig=pvI3zXA7BKhHm9rRg30dXin2IaQ&hl=ja&ei=PzbtSoGXA4zW6gOz5PTlCw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&ved=0CBQQ6AEwAw#v=onepage&q=Alphonso%20Ligouri&f=false (太田)
(注3)18世紀における、英国での(ウェスリー(Wesley)兄弟を創始者とする)メソジスト(Methodist)とドイツでの敬虔派(Pietism)の生誕、及び米国でのFirst Great Awakening の総称。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_revival
(注4)カトリック教会における贖い派(Redemptorists)の創始者。最も恵まれない人々も救われると説いた。(太田)
http://www.kinnoullmonastery.org/redemptorists/
<なお、>マックロックのメソジスト(注5)主義に関する<深い>洞察は、彼が明らかにその聖歌(hymnody)が好きなことに由来する。
(注5)英国教会であった神父のウェスリーによって始まったプロテスタントの新派。イギリスよりもむしろ米国で広まったとか、青山学院や関西学院がメソジストの学校であるとか、救世軍はメソジストの流れをくむとか、日本語ウィキ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88
の説明が分かりやすい。(太田)
彼はキリスト教音楽に良く通じているのだ。・・・」(B)
「・・・法王庁はコントロール・オタクだ、このところの福音主義者達(evangelicals)は気味が悪い、古典ギリシャが旧約聖書と同じくらいキリスト教会に影響を与えた。・・」(A)
「・・・マックロックは、仏陀の古の生涯がサンスクリットからアラビア語に翻訳され、そこから今度はグルジア人のキリスト教僧によって魅力的なキリスト教の聖人に変貌させられた、という話をすることによって、キリスト教の伝統における創造的変貌の一例を示す。
そのような形において、それはヘブライ語、ラテン語、古ノルウェー語、ロシア語、コプト語、そして英語といった沢山の言語で中世におけるベストセラーになった。
その借り物のキリスト教的装いの下で、仏陀は彼自身の祝日、賛美歌、礼拝式を獲得し、彼のために祈祷が書かれ、彼の諸遺物はアントワープの教会で尊崇された。・・・」(B)
「・・・キリスト教がどうして韓国には根を下ろしたけれどインドではミンチ肉状態なのかについての分析は鋭い(注6)。・・・
(注6)この「分析」の中身が分からないのは残念だ。私の仮説は、日本の植民地統治は朝鮮半島の人々の意識と生活様式を根本的に改め「近代化」したために精神的アノミー状態がもたらされたのに対し、英国の植民地統治はインド亜大陸の人々の意識と生活様式を基本的に「放置」したためにヒンズー教やイスラム教信仰がそのまま続いた、という違いによる、というものだ。(太田)
・・・彼は米国の宗教的原理主義に対し、米国の中東におけるイスラエルへの彼の目から見ての非良心的な肩入れに関して非難を試みる。・・・」(C)
「・・・マックロック教授にとっては、英国教会こそ、分権的にして慎ましやかで冷静で、また、分裂に対処できて、かつ、信仰の複雑さに関して一歩退いて省察ができて、そして、それらについて笑い飛ばすこともできる、という意味ににおいて、「教会がそうあるべきはず」の絵柄をしているのだ。・・・
殉教者達の血が教会<発展>の種となるとの観念は、16世紀における日本のキリスト教徒達の経験によって全面的に否定された。
殉教者達が殺されただけでなく、それによって、教会もまた殺されたからだ。・・・」(I)
3 終わりに
「多分いつかは、興味深いキリスト教史がキリスト教徒でも元キリスト教徒でもない誰かによって書かれることだろう。」(F)
日本人の誰かが、この重い課題を引き受けてくれると良いのですが・・。(太田)
「・・・マックロックは、キリスト教が現在、これまでで最大の挑戦を世俗的無関心から受けているのかもしれない、ということを正しくもほのめかしている。・・・」(G)
「マックロック教授は、果たして自分の信仰のために死ぬことができるだろうか。
「私は自分がキリスト教徒であるかどうか、いやそもそも何らかの宗教的信条を抱いているどうかを明らかにするつもりはない」と彼は我々に警告する。
「<このように彼は自分のスタンスを明らかにしないのだが、>シェークスピアのハムレットは真実だろうか」と彼は問う。
「それは実際に起こったことではない」と。
そして続けて、「<しかし、>間違いなく俗っぽい感覚では真実であるところの、今朝私が食べた朝食の現実性に比べれば、それは、はるかに真実らしく私には見える」と述べる。・・・
このようにマックロックは自分がキリスト教に好意を持っていることを示唆しているわけですが、イギリス人らしくないな、と思います。(太田)
「・・・この素晴らしい本の静かな含意は、社会的かつ政治的多元主義の神学的かつ哲学的支柱それ自体が、原罪についての信条に基づく最終的失敗の自認を踏まえて唱えられたところの、キリスト教の理念たる「アガペー(agape)」、すなわち普遍愛、に多くを負っていることを示唆している点にある。
この恐るべき、学問的かつ歴史的作品の中で、彼は、民主主義と多元主義が、確信的キリスト教徒が世界にほとんどいなくなった今、果たして<今後とも>長く続くのだろうか、という問いかけをしているように見える。」(G)
書評子の上記のようなマックロック理解が正しければ、これもやはりイギリス人らしからぬ示唆であり、かかるキリスト教評には私は同意できません。
キリスト教は多元主義(自由主義)とは相容れないし、民主主義的独裁と親和性はあっても自由民主主義とはやはり相容れない、と考えるからです。
(完)
キリスト教の歴史(その3)
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