太田述正コラム#3654(2009.11.18)
<米国とは何か(続x4)(その2)>(2010.3.9公開)
(2)エピソード
ア メイフラワー号
「・・・清教徒にとっては、モーゼの方が重要だった。
メイフラワー号の上で、ピルグリム(巡礼者)達は、モーゼを派手に描いた聖書を携えていた。
彼等は<英国王>ジェームス<1世>を自分達のファラオと呼び、彼等の任務が、「モーゼとイスラエルの民がエジプトを脱出した時」に匹敵するくらい枢要であると宣言した。・・・」(B)
イ 独立
「・・・1776年7月4日、独立宣言を採択した直後に、大陸会議(Continental Congress)は、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリン、そしてジョン・アダムスに米国の国璽を考えるよう求めた。
6週間後に彼等は案を提示した。
それは、モーゼがイスラエルの民を紅海を横切って率いている図だった。
独立宣言の5人の起草者のうちの3人が、それは独立革命の形をつくった人々のうちの3人でもある、がモーゼが米国の顔たるべきだと提案したわけだ。
彼等の眼から見ると、モーゼこそが<米国の>建国の父だったのだ。・・・」(B)
「・・・モーゼは独立革命の間を通じ、<イエスより>もっと重要だった。
トマス・ペインは、<英>国王ジョージ<3世>を「凝り固まった陰気な性格のファラオ」と呼んだ。
ベンジャミン・フランクリンは、憲法を受け入れさせるためにモーゼの助けを借りた。
そして、ジョージ・ワシントンは当時の超大国に対して攻囲された植民地側の一団を率いた際、「米国のモーゼ」と呼ばれた。
彼が亡くなった時、弔辞の三分の二は、「米国民族の指導者にして父」を「ユダヤ民族の最初の指揮者」になぞらえた。・・・」(B)
「・・・<米>独立革命戦争の混沌とした恐ろしい日々を思い起こせ。
政治家達と聖職者達は、将来の市民達の心の中に独立を根付かせるためには、彼等は英国教の長である英国王よりも高い権威が必要だった。
彼等、誰一人その権威に異を唱えることがないところの、は聖書を必要とした、とフェイラーは言う。
その中で、彼等は山のようにモーゼの話と<自分達と>の類似点を発見し、モーゼの言葉である「この土地に自由を遍く示せ」と自由の鐘(Liberty Bell)に刻んだ(注1)。・・・
(注1)旧約聖書のモーゼ5書中の一つ、レビ記(Leviticus)にある文言。なお、この鐘は、1774年の一回目の大陸会議の開会時と1775年のレキシントン・コンコルドの戦いの後に鳴らされたと言い伝えられる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Liberty_Bell (太田)
ジョージ・ワシントンが死んでからの346の説教を全部読んだある歴史家を引用して、フェイラーは、その三分の二が不承不承の大統領を不承不承の預言者<モーゼ>になぞらえている、とする。・・・」(G)
ウ 南北戦争
「・・・南北戦争中にモーゼはもっと重要<な存在>になった。
奴隷達と奴隷廃止論者達はモーゼの周りに集まった。モーゼが奴隷の境遇から逃れた先例を提供したからだ。・・・
モーゼは、最も聖書を引用する回数の多かった大統領をして、米国の統一に活用された。
エイブラハム・リンカーンは、出エジプト紀をゲティスバーグ演説で引用した。
そして、彼は良い(Good)金曜日に撃たれて死んだにもかかわらず、彼はその死においてモーゼにしばしば、更になぞらえられるようになった。
弔辞を述べる者達は、彼が奴隷を自由にしたことと、彼がモーゼのように、約束の地に到達せずして亡くなったという事実に言及した。・・・」(B)
「・・・南北戦争は、ある意味では、神学的な議論を巡って戦われた。
モーゼは奴隷廃止論者達の側に立って奴隷達を率いて出エジプトにより目指したのか、それとも、シナイ山で彼に与えられた法が奴隷制を認めていたことから、彼は奴隷所有者達の側に立つのか、という・・。
議論だけではこの問題にけりをつけることができなかった。
戦争だけがけりをつけることができたのだ。
そこで、その戦争が終わった時、エイブラハム・リンカーンは、もう一人のモーゼとして喝采が送られたのだ。・・・」(D)
エ 自由の女神
「・・・自由の女神は、聖書上の預言者<モーゼ>から霊感を得ている。
女神の頭の周りの光の忍び返しと彼女が腕に抱える冊子は、モーゼが十戒を携えてシナイ山から下りてくる瞬間からとったものだ。・・・(注2)」(B)
(注2)フェイラーがいかなる根拠に基づいてこのように主張をしているのか、本に直接当たらなければ分からないが、自由の女神に係るウィキペディアにはこんな話までは出てこない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Liberty (太田)
オ スーパーマン
「・・・二人のユダヤ人の少年達、ジェリー・シーゲル(Jerry Seigel)とジョー・シャスター(Joe Shuster)とジョー・シャスター(Joe Shuster)は、モーゼの諸主題を彼等の最も良く知られている超英雄であるスーパーマンに具現化(incorporate)した。・・・」(D)
「・・・短すぎるくらい短い節にスーパーマンが現代のモーゼとしてつくられた話が出てくるのだが、この部分をヒットラーが見過ごすはずがなく、彼はこの「ユダヤ的」漫画本<のドイツでの販売>を禁止した。・・・」(C)
「・・・<自由の女神もスーパーマンも、>絶滅に直面した人々の間に生まれ、安全のために小さな船に乗せられ、拾い上げられて異邦人達によって育て上げられ、それから人類を救うために招じられている。
スーパーマンのもともとの名前はカル・エル(Kal-El)だが、これはヘブライ語で「即座の(swift)神」を意味する。・・・」(注3)(B)
(注3)原作者二人がユダヤ系であることは事実だが、スーパーマンをモーゼになぞらえたものとする説はあるものの、この二人は否定している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_Superman (太田)
カ 映画「十戒」
「・・・モーゼを冷戦の英雄に仕立て上げたのはセシル・B・デミル(Cecil B. DeMille)だった。
1956年に封切られ、史上5番目の観客動員数をたたきだした<映画>「十戒」の始めの部分で、デミルは、銀幕に登場し、観客に向かって、この映画は自由対共産主義についてであると伝えた。
そして、この映画の終わりの部分で、<モーゼを演じた主演の>チャールトン・へストンは、自由の鐘に刻まれたモーゼの言葉を口ずさみ、自由の女神のポーズのまねをしてみせるのだ。・・・」(注4)(B)
(注4)この映画に係るウィキペディアにも、このような話までは出てこない。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Ten_Commandments_(1956_film) (太田)
キ マーティン・ルーサー・キング
「・・・、南北戦争が単に始めたにとどまったところの、アフリカ系米国人達の米国社会への完全な統合への道を率いたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア<もモーゼを模範にしていた。>
そして、ネボ(Nebo)までしか行けず、ついに・・・彼が呪文のように唱え続けた(F)・・・約束の地には到達できなかったモーゼのように、キング自身、テネシー州メンフィスで暗殺されたために、彼の夢であった<黒人の米国社会への完全な統合に向けての>実質的な前進を経験することはできなかった。・・・」(D)
ク その他
「・・・20世紀の初め、ブルース・バートン(Bruce Barton)は、イエスとモーゼを、それぞれ模範的な企業家と幹部に仕立て上げた。
<また、>メトロポリタン・カジュアル生命保険会社は『モーゼ 人々の説得者』を出版し、モーゼを、「これまでのうちの最も偉大なセールスマンにして不動産販売員」と描写した。・・・」(D)
「・・・「<ファラオの所へ>赴け、モーゼ(Go Down, Moses)」は奴隷達の国歌だった。・・・」(E5)(注)
(注5)黒人霊歌。歌詞は次の通り。
When Israel was in Egypt’s land: Let my people go,
Oppress’d so hard they could not stand, Let my People go.
Go down, Moses,
Way down in Egypt land,
Tell old Pharaoh,
Let my people go.
この中のイスラエルは黒人奴隷を、エジプトとファラオは奴隷主を指している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Go_Down_Moses (太田)
「・・・エマ・ラザルス(Emma Lazarus)の詩「新しい偉人(New Colossus)」(注6)・・・」(D)
(注6)この1883年に自由の女神に捧げられた詩とモーゼを結びつけるのは、やや牽強付会か。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_New_Colossus (太田)
3 終わりに
仮にフェイラーのあげる例がすべて、或いは、少なくともおおむね事実だとすると、彼の主張はかなり説得力があります。
しかし、このように説得力がある新説が今頃登場するとは、米国の知識人達、案外自分の国のこと、分かってないってことなんですね。
いずれにせよ、私の米国理解は、フェイラーの説に接することで、一層深まった感じがします。
皆さんは、どう思われましたか?
(完)
米国とは何か(続x4)(その2)
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