太田述正コラム#3820(2010.2.9)
<人間主義と自然との共生>(2010.3.13公開)
1 始めに
 日本文明は、縄文文化を基調とする文明ですが、その縄文文化は、人間(じんかん)主義と自然との共生を属性としています。
 ところで、人間主義とは、人間は他人との関係性において存在するとの考え方ですが、自然との共生については、この人間主義の系である、という位置づけもできそうです。
 なぜなら、人間主義とは、他者との関係性において自己が存在するとの考え方、と一般化ができるのであって、そうなれば、人間とは自然との関係性において存在する、という考え方が導き出されるはずだからです。
 こんなことを以前から考えていたところ、先だって、ニューヨークタイムス掲載記事
http://www.nytimes.com/2010/01/31/magazine/31ecopsych-t.html?ref=magazine&pagewanted=print
(1月31日アクセス)で、米国等において、自然との共生に関する科学的研究が進められていることを知りました。
 そこで、この記事をご紹介することにしました。
2 自然との共生
 「・・・「ソラスタルギア(solastalgia)」は、ラテン語のソラシウム(慰安)とギリシャ語源のアルギア(痛み)の組み合わせであり、「人が住み愛している場所が攻撃に直面していることを認識した際に感じる痛み」と定義される。
 これは、人が「自分の住まい」にいるにもかかわらず感じる一種のホームシックだ。・・・
 ソラスタルギア・・・は、世界中で見られる。
 現在進行形の環境破壊(degradation)の下で、多かれ少なかれ様々な場所の様々な人々によって感じとられているのだ。・・・
 自然界の健康と精神の健康との直接的つながりを究明しようという、アルブレクト(<Glenn >Albrecht<。西オーストラリアのマルドック大学教授
http://en.wikipedia.org/wiki/Glenn_Albrecht (太田)
>)の哲学的試みは、心理学の各種分野において、次第に多くの賛同者を集めつつある。・・・
 <他方、米国では、>「環境心理学(ecopsychology)」<が勃興しつつある。>
 ・・・フロイトが様々な神経症(nuerosis)は我々の心中奥深い性的かつ攻撃的本能を抑圧した帰結であると信じたように、環境心理学者達は、悲しみ、絶望、そして不安は同様に心中奥深い環境的本能の抑圧の帰結であると信じているのだ。
 「もし君が臨床心理学の始まりを想起するならば、・・・その焦点は精神内部(intrapsychic)の諸力にあてられていた」、すなわち、頭の中のエゴ、イド、そしてスーパーエゴの間の相互作用に・・。
 「それから、場が拡大し、人々の間の関係や相互作用といった人間の間の諸力を考慮に入れるようになった。
 そして今度は、巨大な跳躍を行い、全家族と人々のシステムを見つめることとなった。
 そして更に拡大し、社会システム・・・すなわち、人種、性別、階級といった社会的アイデンティティーの重要性・・・を考慮に入れるところにまで来た。
 環境心理学は、環境システムを見つめるために場をもう一つ広げようとしている。・・・
 それは、地球全体を考慮に入れようとしているのだ。」・・・
 最近のある研究では、・・・学生達を3マイル近く歩かせた。
 その半分は・・・樹木園の中を、そして他の半分は人通りの多い道を。・・・
 この・・・研究では、自然の中を歩いた者は<認知能力の>劇的な改善を見せたが、街中を歩いた者はそうではなかった。
 <前者は、>自然の認知に係る顕著な元気快復力を示したわけだ。・・・
 <もう一つの研究では、>成人達に小さなストレスをかけて次の三つの光景のうちの一つを見せて彼等の心拍数がどうなるかをモニターした。
 草が生い茂り木々がある広々とした場所に面したガラス窓、同じ光景をリアルタイムで見せる50インチのプラズマテレビ、そして何もない壁<という三つの光景>だ。
 <その結果、>本物の自然の光景を見せられた人の心拍数は、テレビ画面で映像を見せられた人より多くなったこと<が分かった>。
 テレビ画面を見せられた人の心拍数は何もない壁を見せられた人と同じ程度<の心拍数>だったのだ。・・・
 
 ・・・<環境心理学から出現した>「ソリフィリア(soliphilia)、すなわち、「場所、生態地域(bioregion)、地球、そしてその中における相互に連関した利害の共通性(unity)に関する愛と責任」・・・<という言葉>は、「ソラスタルギア」同様、人口に膾炙するようになるだろうか。
 そうはなりそうもない。
 「ソラスタルギア」は、環境破壊に対する感情的反応を描写したものであって、<現在が、映画の>『WALL・E/ウォーリー(WALL-E,< WALL?E>)』、
http://ja.wikipedia.org/wiki/WALL%E3%83%BBE/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC (太田)
『THE ROAD』、
http://news.livedoor.com/article/detail/4496525/ (太田)
そして『アバター』<(コラム#3748、3757、3759、3764、3765、3769、3777、3779、3793、3809)>といった文化的試金石の時代であることはもとより、全球的気候変動の時代であることから、普遍的な感じがする。
 ところが、「ソリフィリア」は、持続可能性(sustainability)と親和性のある諸価値を既に有していることに依存するところの、持続可能性の心理的基盤を描写している。
 <冒頭登場したアルブレクトが住んでいる西オーストラリアの>ケープ・ツー・ケープ(Cape to Cape)の住民達は「相互につながっている感覚(sense of interconnectedness)」を持っているかもしれないが、どうやったら我々を含むその他の人々がその感覚を取り戻すことができるのだろうか。・・・」
3 終わりに
 日本人は、縄文時代の環境を、弥生時代以降も、鎮守の森
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E5%AE%88%E3%81%AE%E6%A3%AE
や里山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E5%B1%B1
の形で、また山は伐採した分は植林をすることによって、更にはリサイクル型の経済を維持する
http://www.simofuri.com/recycle/recycle.htm
こと等によって維持して来ました。
 アングロサクソンの一部がオーストラリア等でようやく取り戻したところの、環境の「持続可能性の心理的基盤」は、日本人なら、米国におけるように科学的研究結果を待つことなく、大部分が生来身に付け続けて来たのです。
 日本人は、自然との共生を含め、自分達の文明について、普遍的な言葉で、そしてできうれば科学の言葉で、これまで以上に世界に向けて発信して行くべきだし、その責任がある、と私は思います。