太田述正コラム#3850(2010.2.24)
<自由民主主義・専制主義・資本主義(その2)>(2010.3.29公開)
(3)冷戦論
「・・・<冷戦時代、>ソ連と中共を併せれば、民主主義的資本主義陣営より大きかったので、この陣営より強力になる可能性を持っていた。
しかし、最終的にこの2カ国はそれに失敗した。
というのも、その経済システムが制約となったからだ。
それに対し、非民主主義的資本主義大国であったドイツと日本は、小さすぎたために<第二次世界大戦という熱戦に>敗北したのだ。・・・」(B)
→何度も繰り返しますが、戦前の日本は自由民主主義国であり、ナチスドイツと一括りにされては困ります。(太田)
(4)現在のロシア・中共論
「・・・果たして、第一次世界大戦前の資本主義・産業国家たる帝政ドイツは、最終的には議会によるコントロールと民主主義化の進展へと動きつつあったのだろうか。
それとも、帝国日本が(1920年代の自由主義的期間の存在にもかかわらず、)そうであったように、官僚機構、軍、そして産業界の同盟によって支配された専制主義的寡占的体制へと発展して行ったのだろうか。・・・
→さすがに帝国日本とナチスドイツとを同一視することにはいささか忸怩たる思いでいたらしいガトが、ここで、帝国日本と帝政ドイツとを同一視するという説をひねり出しているわけです。しかし、帝政ドイツは自由民主主義国ではなかったのに、帝国日本は自由民主主義国だったのですから、これもやはり珍説であると言わざるをえません。(太田)
この頃を対象にした諸研究は、民主主義諸国は他の諸体制より一般的に経済的により成功していたことを示している。
しかし、専制主義的資本主義諸体制だって、その発展の初期段階においては、民主主義諸国よりも、とは言えなくても、それと同じくらい成功している。
ただし、一定の経済的かつ社会的発展の段階を超えると<専制主義的資本主義諸体制は>民主主義化する傾向があった。
これが東アジア、南欧、そしてラテンアメリカで繰り返し生起したパターンであるように見える。
しかし、これらの事実から、発展パターンについての結論を導き出そうとする試みには問題がある。
というのは、これらの一連の例においては、他の要因を顧慮する必要があるのかもしれないからだ。
すなわち、1945年以来、米国の巨大な引力と自由主義的覇権が世界的に発展のパターンを曲げてしまっていたのだ。
全体主義的資本主義大国であったドイツと日本が戦争で押しつぶされ、その後、この2国がソ連の軍事力によって脅かされることになったため、この2国は、全面的リストラと民主主義化に尽力した。
→日本は、戦前からロシア・・帝政ロシアであれソ連であれ・・と一貫して対峙してきた自由民主主義国なのであり、戦後、その帝国を失った上、米国の属国となる道を自ら選んだという点を除けば、敗戦は、日本の進路に全く影響を与えていません。帝国日本とナチスドイツとを同一視できないのと同様、戦後日本と戦後(西)ドイツを同一視することもまたできないのです。(太田)
その結果、共産主義ではなくて資本主義を選択したところの、より小さい諸国は、倣うべき競争相手たる政治的・経済的モデルを与えられず、かつまた、自由民主主義陣営以外に頼るべき強力な国際的プレヤーが存在しなかった。
これらの小さな諸国及び中規模の諸国がやがて民主主義化したのは、国内の諸過程の結果であったとともに、欧米の自由主義的覇権の圧倒的影響の結果だったのだ。
→韓国と台湾に関しては、その自由民主主義化は、それに先行した経済的離陸同様、両国が戦前の帝国日本の版図であったことの論理的帰結であり、米国の覇権が直接もたらしたものではありません。(太田)
現在、シンガポールは、真に発展した経済を持っているにもかかわらず準専制主義的体制を維持している国の唯一の例だ。
→前にも申し上げたように、シンガポールは、英国の植民地であった時の体制・・法の支配の下にある非自由民主主義体制・・を独立後も維持している、というだけのことなのです。(太田)
しかし、この国でさえ、その中で機能しているところの自由主義的秩序の影響の下で<今後>変化を遂げる可能性が高い。
いずれにせよ、シンガポールのような<準専制主義的体制を維持しているところの>、しかしながら<シンガポールとは違って>大国である国々が、かかる秩序の影響に逆らい続けることが本当に可能なのだろうか。・・・
・・・中共<と>ロシアは、・・・政治エリート、産業家、そして軍が同盟するところの専制主義的資本主義秩序を確立することができた。
→現在の中共とロシアとを同一視することにも問題があります。資本主義中共は一党独裁ですから歴としたファシズムの国ですが、資本主義ロシアは一党独裁ではないのでファシズムにはなり切っていないからです。もちろん、ロシアは(チェチェン問題等はあるものの)戦争をやっているわけではないので、戦時体制下の戦前の自由民主主義帝国日本と同一視することもできません。(太田)
それは、ナショナリスト的方向性を持ち、帝政ドイツと帝国日本がそうしていたように、全球的経済に自分の諸条件の下で参加して<おり、>・・・ナチスドイツや共産主義圏がそうしていたような自足自給経済(autarky)を追求するという選択を行っていない。
<しかも、>大国である中共は、狭い領土しか持っていなかったドイツや日本ほどは修正主義的ではないかもしれない。
→帝政ドイツと帝国日本とを同一視する珍説へのガトのこだわりがうかがえる箇所ですが、踏み込むことは控えるものの、ここの立論にもかなり無理があります。そもそも、前段と後段とがつながっていません。(太田)
(もっとも、ロシアの方は、帝国を喪失したことでよろめいており、修正主義の方に向かう可能性が、中共よりはある。)・・・」(B)
(5)米国論
「・・・米国が存在していなかったならば、自由民主主義は20世紀における大きな諸闘争に敗れていたかもしれない。・・・
米国という要素なかりせば、アテネがペロポネソス戦争に敗れたという背景の下で、紀元前4世紀のギリシャ人達によって発せられた民主主義のパーフォーマンスに対する否定的な評決と同じような判断をその後の諸世代が<自由民主主義に>下していた可能性が高い。・・・
・・・<なお、>米国の保護監督の下で、ドイツと日本は戦後強制的に<自由>民主主義的な方向へと歩む道を変更させられた<わけだ。>・・・」(B)
→耳タコでしょうが、日本は戦前から自由民主主義国であり、米国はそのことに何の関与もしていません。
なお、アテネが民主主義と呼ばれるのに値するかどうかには疑問があるとも申し上げたことがありますが、仮に民主主義だったとして、片や支那や米英に対して怒った日本の世論が日支戦争、ひいては日米戦争へと自由民主主義日本を突き進めさせ、片やアテネの世論がペロポネソス戦争へと「民主主義」アテネを突き進めた、という点で、どちらも民主主義、とりわけ若い民主主義が孕む陥穽に足をすくわれた典型的な例だ、ということになるでしょう。(太田)
3 終わりに
あえて詳しくとりあげませんでしたが、ガトが、米国を無条件に礼賛している点にも私は強い違和感を覚えました。
事実上の同盟国たる米国に軍事的経済的に依存しているイスラエルの国民として、(イスラエル政府の意を汲んで?)ガトが米国に胡麻を擂っていると言いたくなるほどです。
それにしても、ガトの日本についての認識は米国の教科書通りの陳腐なものであり、ブッシュ前大統領の米国が日本を民主主義化したという妄言を厳しく咎めることをしなかった日本の朝野のつけがこんなところに出ている、と嘆息することしきりです。
(完)
自由民主主義・専制主義・資本主義(その2)
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