太田述正コラム#3702(2009.12.12)
<政治的宗教について(その5)>(2010.4.24公開)
「マルクスの見解は、・・・共産主義の下では人間による政府は諸物の行政によって置き換えられるであろう<というものだった。>
<マルクスの>この鼓吹により、ハーバート・スペンサー<(コラム#3575)>は自由放任の産業主義に立脚した未来社会を夢見たし、その後のバージョンとしては、ハイエクの自由市場によって自然発生的に形成される社会秩序という妄想的なビジョンを鼓吹した。」(PP59)
→共産主義と市場原理主義は同根であるという、考えさせられる指摘です。前者が公定イデオロギーとなったのがロシアであり、後者がほとんど公定イデオロギーとなったのが、米国であるわけです。(太田)
「特段人種主義的とまでは行かないところの、人間が生来的に不平等な能力を持つところの明確に区別される集団に分かれているとの信条は、アリストテレスまで遡る。
彼は、人間のうちの幾ばくかは生来的に奴隷として生まれた、として奴隷制を擁護した。」(PP60)
「こ<の考え方が>啓蒙主義において復活し、その頃から人種主義的様相をとり始めた。
ジョン・ロック<(コラム#90、91、2281、2766、3148、3622)>は、人間は平等に創られたとの観念を抱懐すべきキリスト教徒だったが、・・・リチャード・ポプキン(Richard Popkin<。1923~2005年。米国の哲学史家
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Popkin (太田)
>)は次のように記している。
「イギリスの植民地政策の設計図を書いた一人であるロックは、例えば、<北米>カロライナ(Carolina)諸植民地の憲法を起草したところ、<アメリカ・>インディアンとアフリカ人達を土地に労働力を投下することができない(failing to mix their labours with the land)と見た。そして、この特徴から、彼等は財産権を持てないものとした。<更に、>彼等は(欧州人達に反抗することで)「死に値する行為を行った」ことからその自由を失い、よって奴隷にすることができるとした。」(PP60)
「ヴォルテールは、何人かのキリスト教神学者達が示唆したところの、ユダヤ人は、アダムが創られる前に存在していた古い種の残滓たる前アダム(pre-Adamite)的存在である、との前アダム理論の世俗的バージョンを信じていた。」(PP60)
「カントは、白人は完全への進歩に必要な全ての属性を持っていると判断したが、アフリカ人は奴隷たるべく定められているとし、・・・「アフリカのネグロはつまらぬことに拘泥し、それを超えようとする感覚を生来持ちあわせていない」とした。
他方、アジア人については、文明化はしているが停滞的であると見た。
この見解については、ジョン・スチュアート・ミル<(コラム#54、1677、3148、3152、3218、3622)>も『自由論』の中で支持することを明らかにしており、支那について、停滞的な文明であると言及し、「…彼は停滞的となり、その状態に何千年もとどまってきた。彼等が改善されることがあるとすれば、それは外国人によってなされなければならない」とした。
ここで、ミルは、インドについて彼の父親のジェームス・ミル(James Mill<。1773~1836年>)の見解を繰り返しているのだ。
すなわち、父ミルは、『英領インド史(History of British India)』の中で、インド亜大陸の住民は、その言語と宗教を捨て去らない限り進歩を達成することはできないと主張した。
おなじようなインドについての絵柄がマルクスによっても提示された。
彼は、植民地統治を、村での生活の無気力さを克服するための手段として擁護したのだ。」(PP61)
「奴隷制と女性の隷属を自然秩序であると擁護したアリストテレスでさえ、人類が明確に区別されるところの不平等な人種的集団によって構成されている、と唱える理論を作り上げはしなかった。
人種的偏見は大昔からのものかもしれないが、人種主義は啓蒙主義が生み出したものなのだ。」(PP61)
→最後のグレイの指摘は、ポプキン(上出)が最初に指摘したことのようです(ウィキペディア上掲)が、我が意を得たりという思いです。
しかし、ここにも、私が言う、イギリス人流の韜晦が施されています。
つまり、ヴォルテールとカントは確かに人種主義的であると言えるけれど、ミル父子は人種を問題にしているのではなく、支那やインドの文明が劣っているとしているに他ならないからです。私の見るところ、イギリスかぶれであったマルクスも同様です。
微妙なのはロックであり、彼だけは、人種主義と文明的優劣論との境界線で揺れ動いているように見えます。
いずれにせよ、ざっくり言えば、アフリカの黒人や北米の原住民に対する近代の人種主義は、アングロサクソンとは画然と区別されるところの、欧州に由来する、ということなのです。(太田)
(続く)
政治的宗教について(その5)
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