太田述正コラム#3708(2009.12.15)
<米仏「同盟」(その3)>(2010.4.27公開)
(3)後書き
「・・・<この物語は、まるでフィクションのように面白いが、>悪い奴らが栄え、良い登場人物の大部分がいい思いをしなくなるのだから、やはりノンフィクションなのだ。
すぐに、デオンが男か女かなど、どうでも良くなった。
彼女/彼は誰も面倒を見てくれない老人として亡くなった。
<亡くなった時に外見的には男であることが分かった。(太田)>
ボーマルシェは大金持ちになったがそれがどういうことか推測してみたまえ。
彼の豪邸はバスティーユ<の牢獄>から数ブロックしか離れていなかった。
彼はフランス革命を愛したが、革命の方は彼にその愛を返してはくれなかった。
そして可愛そうなサイラス・ディーンについては、フランスにやってきた時点では、良い家庭を持った、金持ちで陽気で見栄えの良い実業家だったのに全てを失った。
中でも最も心が痛むのは、以前の友人たるベン・フランクリン、ジョージ・ワシントン・そしてジョン・ジェイ(John Jay<。1745~1829年。フランスのユグノー系の家にニューヨークで生まれる。コロンビア大学の前身卒。建国の父の一人にして二度にわたって大陸会議の議長。駐フランスと駐スペイン大使。(国務長官の前進たる)外務長官。初代最高裁長官。ニューヨーク州知事(同州における奴隷解放を実現)。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Jay (太田)
>)の<彼に対する>好意も失ったことだ。
実際、ディーンは、恐らくはスパイによって殺されたのに対し、リーは、あれだけ悪いことをしながら、金持ちとして亡くなっている。
彼等がかくも罪を重ねたというのに、これら革命家達を我々は尊敬するよう教わったのだ!
<そう我々に教えてきた>連中は、何と途方もない大嘘を語ってきたことだろうか。
(私は、<この本を読んで、>とりわけトム・ペイン<(コラム#3327、3329)>に興ざめした。)
彼等は生き、インチキをし、何度も性懲りもなく言った言葉を違えた。
にもかかわらず、彼等はまことにいい目を見続けた。
アーサー・リーですら、年をとり、病気になり死ぬまでそうだった。
こんなにみっともない企みの中からかくも偉大なる<米国なる>国家が生まれたことこそ驚異なのだ。」(A)
「・・・我々の建国の父達は生身の人間だった。
彼等は欠陥を持っていた。
彼等は、良い男達であり、同時に悪い男達でもあった。
彼等は、彼等がそのために戦ったところの種々の理想に匹敵するほど値打ちのある者達ではなかった。
しかし、ここで重要な点は、普通の人々が偉大なことを達成できるということだ。
[今日]多くの人々が、米国の政治における問題は、我々の指導者達の貧弱な人格が反映されたものであると感じている。
私が言いたいのは、欠陥のある人格を持った人々でも偉大なことが可能であるということだ。・・・
私は、我々が通常歴史について考えているのは、歴史は普通、ワシントンのような偉大な男達によってか、啓蒙主義のような偉大な種々の理想によってか、或いは、偉大な社会諸運動によって、形成されることだ。
私は、これらのすべてが重要だと思うけれど、自分のこの本は実は、機会の重要性、歴史が辿る偶然の道、瓢箪から駒で歴史が形成されるということ、を描いているのだ。
<この本に登場する>これら3人の連中は、互いに知り合いになる理由などなかったのだ。・・・」(F)
3 終わりに
著者のポールは、自分が書いた本の主要登場人物達であることから、さすがに遠慮した表現を用いているけれど、「彼等がかくも罪を重ねたというのに、これら革命家達を我々は尊敬するよう教わったのだ!」という一人の書評子の言葉こそ真実なのでしょう。
これは、この本の書評等を読んだ限りでは、彼等が結託した相手たるフランス人達についてもあてはまるように思われます。
米独立革命時の米仏同盟は、英国の敵同士が便宜的に手を組んだものではなかった、というのが私の考えです。
それは、互いによく似た、欠陥人間達同士が結託することによって締結するに至った同盟であり、それは、欧州の代表格であるフランスと、欧州に「汚染された」できそこないのアングロサクソンたる米国とが、啓蒙主義や人種主義等、互いに深く相通ずるところがあったからこそ、あっけないほど簡単に実現した、ということではないか、ということです。
すなわち、ずっと後になって、米国が、第一次世界大戦に参戦することでフランスの勝利をもたらしことも、また、第二次世界大戦に参戦することで一旦滅亡していたフランスを復旧したことも、決して偶然ではない、と考えるべきなのです。
(完)
米仏「同盟」(その3)
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