太田述正コラム#3710(2009.12.16)
<政治的宗教について(その6)>(2010.4.28公開)
「H.G.ウェルズ(<Herbert George >Wells<。1866~1946年。言わずと知れたSFの父
http://en.wikipedia.org/wiki/H._G._Wells (太田)
>)は、「黒色や黄色や茶色の人々の群れが効率性の必要性に気づくことがない暁には?」と自問し、「そうだな。世界は慈善機関ではないのだから、彼等は去らなきゃならないということだと思う。この世のすべての主旨と意味は、彼等が去らなきゃならないということだと思う」と自答した。
当時の進歩的な思想家達の間では、このような観念が共通に見られた。
啓蒙主義的人種主義・・・ないし自由主義的人種主義・・・が達成した特異なことは、ジェノサイドに科学と文明のお墨付き(blessing)を与えたことだ。
大量殺害が最適者の生存なるインチキ(Faux)ダーウィン主義的諸観念によって正当化されるとともに、特定の人々の全員の殲滅が種の前進の一環として歓迎されたのだ。
ナチによる絶滅の諸政策は、天から降ってきたわけではないのだ。」(PP62)
→ここにも韜晦が見られます。ウェルズは、人種主義者と言うよりは、文明主義者なのであって、近代文明化・・要はアングロサクソン文明化・・することができない文明は滅びる、ということを言っているのであり、このように人種ではなく、文明に序列がある、という発想からは、断じてホロコーストは出てこないのです。
在欧のユダヤ「文明」は、イギリスのそれと同様かそれ以上に近代/アングロサクソン文明化していたことをお考えになれば、私の言わんとすることがお分かりいただけることと思います。(太田)
当然のことながら、ナチズムは、欧州文明の嫡出子です↓。(太田)
「エヴァ・クレンペラー(Eva Klemperer<。1906~51年。日記で有名なユダヤ系ドイツ人のVictor Klempererの妻
http://en.wikipedia.org/wiki/Victor_Klemperer (太田)
>)<や>フリードリッヒ・レック=マレツェヴェン(Friedrich Rech-Malleczewen)(註6)<は、>ナチズムと中世の至福千年信奉主義との類似性を認識した・・・。同じ頃に英国の外国特派員のF.A.ヴォイト(<Frederick Augustus >Voigt<。1892~1957年。ドイツ系英国人。ジャーナリスト>)は、ナチズムにおける終末論の中心的役割を明らかにした。」(PP65)
(註6)この人物について、情報をお持ちの方は、ご教示いただきたい。(太田)
「ジェームス・ローズ(James< M.> Rhodes<。1848~1927年。米マルケット大学政治学名誉教授
http://www.marquette.edu/polisci/faculty_rhodes.shtml (太田)
>)は、ナチズムが近代的至福千年信奉主義的運動であることについての体系的な検証を行った。」(PP66)
「ヴェーゲリン(<Eric >Voegelin<。1901~85年。ドイツの政治哲学者。米スタンフォード(大)にて逝去
http://en.wikipedia.org/wiki/Eric_Voegelin (太田)
>)は、ナチズムが、共産主義同様、グノーシス主義の現代復活版であることを理解した。」(PP68)
グレイは、更に、イスラム過激派も、イスラムの伝統よりも、欧州文明に負うところの方が大きい、と指摘します↓。(太田)
「19世紀末のロシアに、爆弾でもって自ら爆死する孤独で形而上学的なテロリストが出現した。アルカーイダの暴力の真の創世記は、コーランの殉教の概念よりも、つかまえどころのない理想世界を求めての個人的かつ悲観主義的叛乱という欧米的伝統によるところの方が大きい。(オリヴィエ・ロイ(Olivier Roy<。1949年~。フランスの政治学者にしてイスラム世界の研究者
http://en.wikipedia.org/wiki/Olivier_Roy
>)」(PP69)
「イスラム過激派(radical Islam)の知的創設者は、エジプトの知識人でナセルによって1966年に処刑されたサイード・クトゥブ(Sayyid Qutb)<(コラム#387、2270)>だ。
クトゥブの書いたものは、多くの欧州の思想家、とりわけニーチェの影響を示しており、ボルシェヴィキの伝統から剽窃された諸観念に満ちている。」(PP69)
(続く)
政治的宗教について(その6)
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太田さんの主張は突飛なように見えて、日本のスタンダードを明確に捉えており肯定的に受け止めています。
ただ、「文明に序列があるという発想」は、日本においてどれほどスタンダードなのか疑問です。
太田さんは以前討論番組で、アングロサクソン諸国との同盟を重要視する理由について、
「岡崎久彦氏は『アングロサクソンはケンカに強いから』というもので、太田は『アングロサクソン文明と日本文明は親和性があるから』というもの。」
旨の発言を討論番組でされていると思いますし、日本文明とアングロサクソン文明の親和性について各コラムで力説されている。
しかし、例えば法学の世界では、明治期の日本法は大陸法系を継授したと記憶します。
明治の起草者たちでさえ、「アングロサクソン文明と日本文明は親和性がある」とは考えなかったし,英米文明と大陸文明の選択について、岡崎氏ほどなさけない思想ではないにしろ、「序列」で考えず、「手段」としてしか考えなかったのでは?
お忙しいとは思いますが、お暇な時にでもご教授くだされば幸いです。