太田述正コラム#3716(2009.12.19)
<政治的宗教について(その9)>(2010.5.1)
「孤立主義と全球的介入は、米国の世界との関わり方のフェーズであって、どちらも一定程度宗教(faith)に立脚してきた<、という点では変わりがない>。」(PP113)
「米国における、神によって選ばれた民族という感覚<は、>例外的なものではない。
オランダ系である南アフリカのアフリカーナー達も北アイルランドのアルスター地方のプロテスタントのコミュニティー群も、そして若干のシオニスト達も、これと似通った諸信条を抱いている。多くのロシア人もそうだ。・・・
米国が他の民族と違うのは、救世主的信条の持続的な活力とそれが大衆文化を形成し続けている点だ。」(PP114)
「ほとんどいかなる基準に照らしても、米国は、トルコよりももっと非世俗的な国だ。
他の高度に産業化した国の中で、悪魔の存在について広汎な大衆信条があったり、ダーウィンの理論に抗う強力な運動があったりするようなものはない。」(PP119)
「米国は、最後に残った戦闘的啓蒙主義体制であり、先進国中、いまだに確固たるキリスト教国たる唯一の存在だ。」(PP121)
「<大英帝国時代の英軍とは違って、>米軍は自分達自身によって、そして・・・他者達によって、通過者(transient)・・「銃を持った観光客」と見られており、地域のエリート達や人々と最も短期間の紐帯しか築き上げることがない。
だから、彼等は火力の濃密な使用に依存することを強いられ、その結果長期的目標を確保することができないのだ。
米国は、帝国の必要条件の大部分を欠いており、見通しうる将来にかけてそれらを獲得することはないだろう。
自由主義的だろうが何だろうが、帝国主義者達がいないのに帝国主義など不可能というものだ。
<もとより>米国は、帝国としての重荷を若干は負っている。
財政コスト等だ。
しかし、欧州諸国の植民地主義の時代に比べ、財政コストははるかに米国の手を縛りつつある。
19世紀の英国は世界最大の資本輸出国だったが、米国は世界一の債務国だ。
米国の軍事的諸冒険は、借りたカネによって支払われている。
貸しの大部分は中共であり、中共の米国の政府債務購入は米国経済の下支えとして不可欠だ。」(PP165~166)
→このbastardアングロサクソンたる米国に対する上から目線と侮蔑意識もまた、イギリス人一般の感覚をグレイが代弁しているのに他なりません。(太田)
「伝統的自由主義は、自治的民族国家は帝国よりも自由であることを当然視している。
しかし、<その定義から言って多民族によって構成されるところの、>帝国は、しばしば少数派に友好的だった。
欧州が宗教戦争の泥沼に陥っていた頃のオスマントルコの寛容さや、コスモポリタン的なハプスブルグ家<の帝国>が没落した時に解き放たれた民族的憎しみの数々、あるいは、エジプトのナショナリストのナセルによる古からの多文化都市アレキサンドリアの破壊を思え。」(PP169)
「安定した昔からの民主主義国は、米国、スイス、そして<しばらく前までは>ウルグアイだけだ。
この事実は、民主主義が自己正統化するなどというばかげたことを信じている者にとってのみ驚くべきことだ。
21世紀初頭において、英国、スペイン、カナダといった、紛れもなく成功裏に存在する数少ない多民族的民主主義諸国は君主制国であり、帝国の残滓でもある。
インドは、盛大なる多文化的民主主義国だが、それは多民族的民主主義国ではないし、今日の安定は、パキスタンとの暴虐的分離によって達成されたものだ。もっとも、カシミールは、今なお厳しい紛争の対象だが・・。
正統性を君主制から抽出する場合を除き、自由民主主義国は、ほとんど常に<単一>民族国家だ。
例えばEUのような、民主主義を民族の域を超えて及ぼそうとする試みは、失敗を重ね続けて来た。
コスモポリタン的な民主主義の近代的理想は、前近代的諸制度を持つ諸国において最も良く実現されて来たのだ。
ごくわずかな例外を除き、自由民主主義は民族諸国家においてのみ根を下ろしてきた。
しかし、民族国家が、大量殺害抜きで形成されることは希だ。
<それが形成されるのは、>世界の多くの部分において不可能なのかもしれない。」(PP170)
→純粋なるアングロサクソン文明の担い手たるイギリスに関する絶対的自信に裏打ちされた(を装った?)記述が続きますね。君主制/民主主義論もインド論もEU論も、私に成り代わってグレイが記しているような観があります。(コラム#はあげませんが。)
まこと、私はイギリス人的なものの見方をしているな、と痛感します。
ただし、イギリス人の自己韜晦と世界帝国を失ったトラウマから自由である、という点でイギリス人とは違いますが・・。(太田)
(続く)
政治的宗教について(その9)
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コラムを読ませていだだくようになったのは、最近のことですし、仕事や日々の雑務に追われて、精読しているわけでもないので、太田さんの考えや主張に対して、生半可な理解でゴメンナサイ、なのですが。太田さんは政権交代が起きたこと自体に対しては肯定的に捉えていること、憲法(9条)を改定して真に独立した日本にすることを願っている、この二点は間違いないですよね?
わたしは決して自民党を擁護する気は無いのですが、自主憲法制定・改憲論者なら、まだ自民党の中には何人かいるのに対して、朝日、岩波的な価値観の社会党の流れを汲んだ議員さんが多い民主党が政権を握っていたら、未来永劫に憲法9条を捨てることなど出来ないのではないでしょうか。ゾンビ政党の自民党に戻って欲しいとは思いませんが、政権交代と自主独立の願いが矛盾してるように思えます。概出の意見でしたらすみません。
よくも悪くも日本ではメディアがリベラル色が強いので、政治家が暴走することは無いものの、改憲論を口に出したとたん、コメンテーターや新聞の社説で叩かれ、政治家生命が危うくなるのは目に見えています。山師だろうが何だろうが、かつての小泉さんみたいな、老若男女に人気のあるタレントまがいの総理が出現しない限り、絶対に改憲なんで出来ないように思います。