太田述正コラム#3718(2009.12.20)
<政治的宗教について(その10)>(2010.5.2公開)
「30年戦争中に欧州はカトリックとプロテスタントとの間の喧嘩で荒廃し、ドイツの各所において人口の3分の1前後が消え去った。
近代初期の多くの思想は、これらの紛争に対する反応だった。
信条の暴力を抑制する必要こそ、初期の啓蒙主義思想家であるトマス・ホッブスとベネディクト・スピノザの書き物の中心だった。
彼等は、現在の諸紛争の本性について彼等より後にやってきた者達よりも、もっと明確に我々に語りかけてくれる。」(PP185)
「<もっとも、ホッブスの>人間の見方は単純すぎ、かつ過度に合理主義的だった。
人間は他の何よりも暴力的な死を恐れると仮定することで、彼は、紛争の最も御しにくい源泉を<考察の>対象外にしてしまった。
人間が平和を達成することに失敗するのは、彼等が非合理的に行動するからというわけでは必ずしもないのだ。
時には、それは、彼等が平和を欲しないが故なのだ。
彼等は、我らが真の信仰(true faith)・・それが伝統的な宗教であろうとその世俗的な後継者である、例えば共産主義、民主主義、あるいは普遍的な諸人権であろうと・・の勝利を欲しているのかもしれないのだ。・・・
人生において意味を確保するために殺し、死ぬ用意があることほど人間的なことはないのだ。
<ホッブスより>信条の不穏さ(disorder)についての深い理解をベネディクト・スピノザの思想に見出すことができる。」(PP186)
「現在、原理主義的宗教、組織犯罪、民族的(ethnic-national)忠誠、そして市場の諸力、の全てが政府のコントロールを逃れ、時にはそれを転覆したり奪取したりする能力を持っている。・・・
スピノザが理解していたように、秩序とアナーキーのサイクルが終わることがあると考える理由などないのだ。」(PP187)
→ロックとともに、それよりも古いホッブスもまた、イギリスの中の異端ととらえるべきだということです。(ホッブスについては、コラム#46、81、87、88、91、517、519、592、1364、1381、1575、2679参照。スピノザについては、コラム#1364参照)(太田)
「仮に20世紀の様々な政治的宗教がキリスト教の諸信条を更新したとすれば、今日における世俗的人道主義についても同じことが言える。
リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins<。1941年~。英国の生物理論家
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Dawkins (太田)
>)やダニエル・デネット(Daniel Dennett<。1942年~。米国の哲学者
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Dennett (太田)
>)のようなダーウィン主義の思想家達は、キリスト教の戦闘的反対者達だ。
しかし、彼等の無神論と人道主義は、キリスト教の諸概念の諸バージョンなのだ。」(PP188)
「エピキュリアンのようなキリスト教以前の哲学者達は、自由意思について考えをめぐらせた。
しかし、自由意思が欧米の哲学の中心的論点になったのは、キリスト教の隆盛の後であり、人間を根底的に他の動物と区別しないところの、<自由意思論など>非欧米の哲学者達の間ではほとんど見られたことがない。・・・
<ダーウィン主義者達は、>人間と他の動物との画然たる違いを当然視するところ、これら合理主義者達は、信仰によって形成されたところの見方を示しているのだ。
人道主義者の信経(creed)が体現しているところの戦闘的不信条(unbelief)の滑稽さは、それがキリスト教の副産物であることなのだ。」(PP188)
「現代の無神論は、キリスト教の異端なのだ・・・。」(PP189)
「聖なる領域と区別された領域が認識されたのはアウグスティヌスが人間の国(City of Man)と神の国(City of God)を分かった時が始めてなのだ。
この意味で、世俗的思想はキリスト教の遺物なのであって、一神教の文脈の下においてのみ意味を持ったのだ。・・・
ダーウィン主義が支那や日本で文化戦争を引き起こさなかったのは、決して不思議なことではないのだ。」(PP190)
→一神教の異常さ、おぞましさなど、我々にとっては常識ですが、イギリス人たるグレイにとってさえ、この常識を述べることには、ドーキンスがイギリス人であるだけに、勇気がいったであろうと思われます。だからこそ、こんな常識を述べるにあたって、上記のような周到な論理を展開する必要があったわけです。(太田)
「ツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorv<。1939年~。ブルガリア出身のフランスの哲学者
http://en.wikipedia.org/wiki/Tzvetan_Todorov (太田)
>)<いわく、>「<広島と長崎に投下された>原爆は、ウクライナの飢饉<の死者>よりも、また、ナチスがウクライナとポーランドで殺した<ユダヤ人等の>人数よりも少ない人数しか殺していない。
ただし、これらの下手人達は、いずれも、善を達成する手段としてやったと思っていた。
しかし、・・・自由主義国<によって投下された>・・・原爆<だけ>は別の様相を帯びていた。
それは、それをつくり、投下した下手人達によって誇りの源泉を意味していた点だ。
それに対し、<ソ連とナチスドイツという>全体主義国によって犯された罪は、・・・秘密にされた。
ソ連とナチの指導部は、彼等が何をやったかを正確に知ったならば、世界中が彼等を非難するであろうことを知っていたのだ。・・・
ところが、原爆のケースでは事情が全く違っていた。
まさにその理由において、仮にその罪がより深刻ではなかったとしても、民主主義の名において殺害した人々の道徳的過ちは、より大きいのだ」と。」(PP191)
→戦後のドイツは朝野をあげて総懺悔を続け、ロシア(ソ連)でさえ、メドヴェージェフ大統領以下、スターリンを英雄視しなくなったというのに、米国では、原爆投下に遺憾の意を表明した大統領も、めぼしい知識人もいまだに出現していないのですから、トドロフの言葉を私の言葉に置き換えれば、米国の人種主義的帝国主義は、ロシアの共産主義やナチスのナチズムよりももっと恐ろしい存在であり、だからもっと厳しく非難されてしかるべきである、ということになります。(太田)
「<こんなことは、>それが戦争を短くし、かつ身の毛がよだつ体制を破壊することに貢献した場合にのみ正当化できる。」(PP191)
→グレイはここまでで逃げてしまっていますが、皆さんよくご存じのように、原爆投下が日本に降伏を決意させたわけではなく、また当時の日本は自由民主主義的国家であったのですから、原爆投下は全く正当化できない、ということになるわけです。(太田)
「自由主義は、キリスト教の直系の子孫であり、その親の信仰の戦闘性を共有しているのだ。自由主義諸社会がその敵を扱う際の凶暴性(ferocity)は、自己防衛の観点から説明することはできない。」(PP191)
→ここも韜晦が入っています。かかる凶暴性を発揮したのは、もっぱら、純粋アングロサクソンたるイギリス等の自由主義諸国と区別されるところの、欧州諸国及びその外延諸国及びにその亜流諸国、並びにできそこないのアングロサクソンたる米国のような、エセ自由主義諸国であったからです。
私としては、かかるエセ自由主義諸国は、概念の混乱を避けるために啓蒙主義諸国と呼びたいところです。
ちなみに、ホッブスとロックは、イギリスの思想家としては異端に属する啓蒙主義者ととらえるべきであり、せいぜい、市場原理主義者ならぬ自由原理主義者、と称すべきであると考えます。彼等が生きた時代が、イギリスで清教徒が暗躍し、国王殺しが行われたところの、その逸脱期であったことを思い出して下さい。(太田)
(続く)
政治的宗教について(その10)
- 公開日: