太田述正コラム#3922(2010.4.1)
<モスクワでの自爆テロ(その3)>(2010.5.12公開)
5 分析
 「・・・何年にもわたって、ロシア政府は、チェチェンの自爆テロリスト達を、その多くが外国人であるところの、イスラム教を世界の支配的な宗教にしたいと願う、イスラム過激派として描いてきた。・・・
 ・・・<しかし、これまでの>出身地を特定できる42人の自爆テロリストのうち、38人がカフカス地方出身<なのであり、ロシア政府の主張は間違っている>・・・。・・・
 これまでのチェチェンにおける自殺的作戦の軌跡は、2000年7月から2004年11月まで27件の攻撃、2007年10月までは攻撃なし、そしてそれ以来18件だ。
 3年間なかったのはどうしてだろうか。
 その答えは、二つの理由から叛乱に対するチェチェンでの人々の支持が失われたからだ。
 第一に、チェチェンの叛乱者達が何百ものロシアの子供達を殺害した、2004年のベスランでの学校虐殺に対する嫌悪感だ。・・・
 第二に、ロシア政府が、戦争に疲れた人々を見方につけるべく巧みな人心収攬計画を推進したことだ。
 軍事作戦で民間人が殺されることが顕著に少なくなった。
 大赦が叛乱戦闘員達に与えられ、2006年だけでも600人近いチェチェンの分離主義者達が降伏した。
 しかし、不幸にも、それからロシア政府はやり過ぎた。
 2007年末から、ロシア政府は親ロシアのラムザン・カディロフのチェチェン政府に戦闘員の残党を踏み消すように圧力をかけた。
 これに従い、<チェチェン政府は、>自分達で考えた極めて過酷な諸措置を伴った野心的な対テロ攻勢を追求した。
 叛乱容疑者は誘拐され投獄され、彼等の家族の家は焼かれ、強制的告白と裁判における強いられた証言に対する広汎な非難が起こった。・・・
 <だから、今後とるべき>最初の一歩は、自由で公正な選挙の実施だ。
 その他のこととしては、安全保障部隊における国際的な人道的行動基準を採択することと、チェチェンのイスラム教徒達が自分達自身の資源によって便益を売るようこの地域の石油収入を平等に分配することだ。・・・
 チェチェン人達が自分達自身が、ロシア部隊によって直接であれ、その代理人達によってであれ、占領下にあると感じる限りは、暴力の連鎖はロシア全体を震撼させ続けることだろう。」
http://www.nytimes.com/2010/03/31/opinion/31pape.html?pagewanted=print
(4月1日アクセス。以下特に断っていない限り同じ)
 「・・・ロシアは、チェチェンの統制を維持するために二つの全面戦争を戦った。
 1994年から96年までと2000年から09年までだ。・・・
 <しかし、それからも、>暴力が引き続きチェチェンを揺らし続けており、下手人達はその原理主義においてどんどん戦闘的になってきている。
 すなわち、ロシアからの独立だけでなく、イングーシ、北オセチア、カバルディノ=バルカリア(Kabardino-Balkaria)、カラチェヴォ=チェルケシア(Karachaevo-Cherkessia)、アディゲア(Adygea)とダゲスタンを基盤とするイスラム国家の樹立のために闘うようになったのだ。・・・
 外国人戦闘員達・・・もこの闘争に加わった。・・・
 失業率は上昇した。
 例えばイングーシでは、50%を超えている。
 希望が持てず、親戚達が網羅的な警察の投網に掬われ、或いは彼等自身が警察や兵士達の手で暴虐的な目に遭わされたことで、彼等は、過激な諸イデオロギーへと追いやられたのだ。・・・」
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-menon31-2010mar31,0,2321483.story
 「・・・ドク・ウマロフ(Doku Umarov)は、3月31日(水)にモスクワの地下鉄での二つの自爆については自分に責任があると表明した。・・・
 2007年にウマロフ氏はイデオロギー的表明を行った。
 自分自身をカフカス首長国の首長であると宣言したのだ。
 これは、ロシアから独立したシャリアに立脚した国家の樹立を意図したものだった。・・・
 昨年の4月、ウマロフ氏は、もう一つの決定的一歩を踏み出した。
 殉教者達の園(Garden of Martyrs=Riyadus-Salikhin)の再開だ。
 これは、かつてシャミル・バサエフ(Shamil Basayev<。1965~2006年
http://en.wikipedia.org/wiki/Shamil_Basayev (太田)
>)に率いられていた一団だが5年間休眠状態にあったものだ(注)。
 (注)女性を一般人を標的とする攻撃に用いるのが始まったのは10年前であり、チェチェンの軍閥のシャミル・バサエフによってだ・・・。・・・
 ・・・2006年にバサエフがロシア軍によってイングーシで殺害された後、殉教者大隊は解散したとされてきた・・・。
 ロシアの安全保障諸部隊は、彼女たちを「黒い未亡人達」と呼んだ。
 彼女たちの死を覚悟した意図と頭のてっぺんからつま先までの喪服が彼女達の「制服」だったからだ。・・・」
http://www.csmonitor.com/World/Global-News/2010/0329/Does-Moscow-subway-bombing-mark-the-return-of-the-black-widow (太田)
(3月30日アクセス)
 この大隊は、2002年にモスクワの劇場での人質事件を引き起こした。・・・
 ウマロフ氏は、訛ったロシア語をしゃべる粗野な戦闘員であり、対外的スポークスマンとしては彼の被保護者たる、若きイスラム教への改宗者のアレクサンドル・ティホミロフ(Aleksandr Tikhomirov)に頼り切っていたように見えた。
 ティホミロフの自殺的作戦を推奨するビデオは広汎にばらまかれてきた。
 しかし、ティホミロフは、一ヶ月前、ロシア当局が・・・村を襲撃した時に殺された。 政府軍が彼の隠れ家を包囲した時、彼はある戦闘員が携帯で録音した最後の説教を行った。
 こうして彼は死んだが、3週間後、ウマロフ氏のもう一人の緊密な協力者のアンゾル・アステミロフ(Anzor Astemirov)が殺害された。
 この二人の死が、ウマロフ氏がより公的役割を引き受けることを強いたように見える。・・・」
http://www.nytimes.com/2010/04/01/world/europe/01dagestan.html?ref=world&pagewanted=print
 「・・・<もう一人、サイド・>ブリャツキー(<Said>Buryatsky)が3月2~3日のイングーシの・・・村での作戦によって・・・殺害された。・・・
  <あるロシア紙は、>捜査官情報として、以下のように報じた。
 ブリヤツキーは自爆テロ候補者の一団を集めた上でトルコのあるモスクに送り込んだ。
 訓練を受けてからこの一団はロシアに戻った。
 その30人中<(今回の2人を含む?(太田))>9人は既に自爆を決行したが、残りの21人はまだ発見されていない。・・・」
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/30/russia-terrorism 前掲
 ブリャツキーの標的は、それまでチェチェンの叛乱者達のメディアでは対象としていなかった聴衆だった。
 彼はこのような聴衆に向けて呼びかけた。
 彼の教えはウエッブのあらゆる所で目にすることができる。・・・
 彼のDVDは、カザフスタンとキルギスタンのモスクの外で売られているのを発見することができる。・・・」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2010/03/29/russias_terror_goes_viral?print=yes&hidecomments=yes&page=full (太田)
(3月31日アクセス)
 「・・・FSB(federal security service)は、朝のラッシュアワーに自爆した二人の女性は、チェチェンの叛乱分子の指導者であるサイド・ブリャツキー(Said Buryatsky)によって募集され訓練された、より大きな30人の自爆テロリスト集団のメンバーであった可能性があると語っている。・・・
 捜査官達は、39人が亡くなった、ルビヤンカとパルク・クルトゥリー地下鉄駅における爆破が、彼の死に対する報復であったのかどうか検証中だ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/30/russia-terrorism 前掲
6 終わりに
 5で最初に引用したコラムだけはいささかトーンが異なりますが、今回の事件は、やはり、北カフカスにおいても、パレスティナ同様、イスラム世界で民族自決を求める運動は、弾圧されるとほぼ必然的にイスラム過激派的変貌を遂げて行くことを物語っているように思われます。
 いささか悲観的過ぎるかもしれませんが、ここまで来ると、ロシアが自爆テロを防止するためには、イスラエルがとったのと同じ策、すなわち、北カフカスとロシア本体の境に壁を構築してテロリストがロシア本体に侵入することを防ぐしかないのではないでしょうか。
 (もちろん、ロシアには、壁をつくる代わりに、北カフカス諸「国」を独立させるという、イスラエルがとれない方策をとることもできます。
 しかし、そんなことをすれば、ロシアが抱える他の少数民族地域でも独立運動が起こり、収拾がつかなくなる恐れがあるために、この方策は、ロシア当局としてはとれないでしょう。)
(完)