太田述正コラム#3982(2010.5.1)
<選択の自由という重荷(その1)>(2010.6.2公開)
1 始めに
 シーナ・イエンガー(Sheena Iyengar。1969年~
http://en.wikipedia.org/wiki/Sheena_Iyengar
)の新著 ‘The Art of Choosing’ が米国で大きな話題になっています。
 私のペット・サブジェクトである人間(じんかん)主義論とも関連のある問題が扱われているので、取り上げることにしました。
A:http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304510004575186162144526170.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(4月16日アクセス)
B:http://www.nytimes.com/2010/04/18/books/review/Postrel-t.html?pagewanted=print
(4月30日アクセス。以下同じ)
C:http://www.sikhphilosophy.net/book-reviews-and-editorials/29732-the-art-of-choosing-sheena-iyengar.html
D:http://chronicle.com/article/The-Choice-Driven-Life-of/64587/
E:http://newyork.timeout.com/articles/books/83682/sheena-iyengar-the-art-of-choosing-book-review
2 イエンガーについて
 イエンガーは、米国に移住したインドのパンジャブ地方出身のシーク教徒の両親の下に生まれました。(B、C)
 次第に視力が低下する病に罹ったイエンガーは、高校生になった頃には完全に盲目になってしまいます。(彼女の、現在弁護士をしている妹も同じ。)
 ある日、彼女の両親がリーダーズ・ダイジェスト誌で盲目の心理学者の記事を読み、父親がイエンガーに、耳を傾けてしゃべればいいだけだから、お前は臨床心理学者なりなさい、と諭したといいます。
 1980年代末、彼女がペンシルバニア大学ウォートン・スクール(ビジネススクール)に入学したところを見ると、彼女は最初から心理学を専攻するつもりではなかったようですが、同スクールの心理学の教授は頑張り屋さんの彼女に目を見張りました。
 この教授はたくさんの図を使って講義をしたのですが、授業が終わると彼女はいつも教授の部屋に赴き、図を手のひらになぞってもらったというのです。
 1990年代半ばには、彼女はスタンフォード大学の社会心理学科の大学院生になります。
 親の役割は極めて大きい、と改めて思いますね。
 そして1995年に、彼女は京都大学で数ヶ月過ごし、そこで日本人と米国人が選択についてどのように見ているかを比較研究します(後述)。(D)
 その後、彼女は、コロンビア大学に招聘されるのですが、そこで、産業工学とオペレーションズ・リサーチの準教授をしていたインド南部出身のブラフミン、ガルド・イエンガー(Garud Iyengar)と恋愛結婚をします。(D、E)
 彼女の方が盲目でも、しかも米国で生まれ育っていても、文化的な親近性がこの二人を結びつけたのでしょうね。
 イエンガーは、現在、コロンビア大学のビジネススクールの教授をしています。(B)
 彼女の写真2葉がDに載っているのでご覧下さい。
 私は、素敵な美人だと思います。
3 イエンガーの研究成果
 (1)研究1
 「・・・原理主義的宗派の信者は、より大きな希望を抱き、艱難に直面した時により楽観的であり、それ以外の人々よりも鬱になりにくい」とイエンガーは記す。
 「実際、最も悲観主義と鬱に陥りやすいのはユニテリアン派(unitarian)<=プロテスタントの一派; 三位一体説を排して唯一の神格を主張し,キリストを神としない>の信者であり、とりわけ無神論者だ。
http://ejje.weblio.jp/content/unitarian (太田)
 定めがたくさんあることは人々を衰弱させはしないわけだ。
 それどころか、それは人々を力づける。
 彼等の選択の余地はあまりないが、それにもかかわらず、彼等は自分達の生活に対して自分でコントロールしているという意識を持っているのだ。・・・
 現代の自由主義的な社会においては、宗教上の定めを遵奉することは、選択の余地が「取り上げられ」るのではない。<かかる宗派の信者となること>それ自体が<主体的>選択なのだ。・・・」(D)
 「・・・イエンガーは、宗教と楽観主義との間に正の相関関係を発見した。
 ある人がより宗教的であればあるほど、彼または彼女は、より希望を抱くように見える。・・・
 改革派ユダヤ人(Reform Jew)とのユニテリアン派の信者は鬱で悲観主義的だ。
 正統派ユダヤ人(Orthodox Jew)とカルヴァン派の信者は、活発できびきびしていて、熱心で生き生きしていて、希望に満ちている。・・・
 このことは、自分の生活をよりコントーロールできる人はより健康で幸福である、との長きにわたる観念に疑念を抱かせるものだった。・・・」(D)
 (2)研究2
 「イエンガーは、・・・3歳の幼児達の動機付けに関する研究を行った際・・・彼等に多数の異なった遊ぶ玩具を与え、とっかえひっかえ遊ばせることが、彼等をより幸せな思いにするだろうと考えていたが、分かったことは、一つの玩具だけを選ばせ、とっかえることを認めない場合の方が、彼等がより嬉々として遊ぶということだった。・・・」(A)
(続く)