太田述正コラム#3986(2010.5.3)
<選択の自由という重荷(その3)>(2010.6.4公開)
 (5)研究5
 「・・・彼女が、次に行ったいくつかの実験の一つが「ジャム研究」として知られているものだが、これは、現代における古典の一つとなった。
 <スタンフォード大学の門前町である(太田)>パロアルト(Palo Alto)の、例外的に広汎な種類の商品が置いてあるスーパーで、彼女は、普段目にしないジャム類(preserve)のサンプルを目にすることのできる機会を買い物客に提供する、二種類のブースを出した。
 一つのブースには24種のサンプルが並べられ、もう一つのブースには6種類しか並べられなかった。
 最初の方のブースの方が選択肢が多いので、立ち止まったうちの買い物客がより多く好みの香りのものを見つけて、より多く瓶入りジャムを買いに行ったと思うかもしれない。
 しかし、逆のことが起こったのだ。
 人々は、6種類の方のブースでより多くのサンプルを試し、より多くのジャムを買ったのだ。
 このような調査結果からは、二つの興味ある結論を導き出すことができる。
 そのどちらも、製品企画、販売、及びマーケティングに携わっている人々にとって良いニュースだ。
 その第一は、我々が与えられる数(と与えられ方)が、我々が、何を選択するか、かつその意思決定によって満足すると感じるかどうか、に影響を与えることがあるということだ。
 その第二は、我々は、自分達が行う選択を操作するするものに取り囲まれていることにほとんど気づかずして、生活をしているということだ。・・・」(A)
 「・・・より多くの選択肢があることがいつもより良いとは限らないが、他方、少なすぎるのも良くない、ということを彼女は示唆する。
 選択肢の最適値は、無限と非常に少しとの間のどこかに位置しており、この最適値は文脈と文化に依存する、と。・・・」(B)
 「・・・彼女は、<スタンフォード大>のすぐ近くの・・・メンローパーク(Menlo Park)(注1)の贅沢な食品スーパー・・・に赴くのを好み、たくさんの商品が提供されていることにわくわくさせられた。・・・
 (注1)どうやら、上出のパロアルト説は間違っているようだが、恐らくBの書評子は、(私同様、)スタンフォード大及びその周辺に詳しいがために、かえって間違ってしまったのではなかろうか。(太田)
 しかし、たまに、彼女は何も買わなかったことがあって、自分でも奇妙だという思いがしていた。
 米国文化の支配的パラダイムは、個人的選択の便益を褒めちぎるものだった。
 しかし、仮に選択が良いことだとすれば、どうして選択肢が余りにもたくさんあることが自分を圧倒されるような気分にさせるのか、と彼女は不思議に思ったのだ。・・・
 イエンガーは、・・・<これを>究明しようと決心した。
 <そこで、>彼女は、この店の店長を説得し、試験ブースを入り口近くに設置させてもらうことにした。
 <そして、>何時間かおきに、ジャムの香りの6つのサンプルと24のサンプルのブースを入れ替えた。
 その結果は驚くべきものだった。・・・
 発見されたことは、「性格と社会心理学会機関誌(Journal of Personality and Social Psychology)」に掲載されたが、それは、学者達の選択についての考え方を紛糾させ、その論文の中心的筆者であった30歳のイエンガーは、彼女の世代の実験心理学者達の中で最も創造力に富む一人と目されるに至った。・・・
 ・・・自由市場システムを正当化する中心的なものの一つは、それが自由な選択の欲求を満たす、というものだ。
 シーナの業績は、この基本的前提、すなわち、米国社会の組織原理(organization)、に挑戦するものなのだ。・・・
 保守的評論家のラッシュ・リンボー(Rush Limbaugh<。1951年~。米ラジオの有名ホスト
http://en.wikipedia.org/wiki/Rush_Limbaugh (太田)
>)は、このジャム研究を・・・「市場、資本主義、そして企業家精神(entrepreneurship)の本質的智慧が理解できない頭でっかちのインテリ達」の著作である、とこき下ろした。・・・
 まもなく、選択肢が多すぎるのは悪いことだ、という中心的概念は企業世界において勢いを増すこととなり、マッキンゼーといった経営コンサルタント会社の内部文書に出現するようになった。
 マッキンゼーは、一時に三つを超える選択肢を顧客に示してはならないという、3X3ルールを創り出した。・・・
 14世紀のフランスの哲学者のジャン・ブリダン(Jean Buridan<。1300?~1358年より後。僧侶。慣性の概念を生み出す
http://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Buridan (太田)
>)は、藁一束とバケツ一杯の水のどちらかを選ぶことを強いられた、飢えた喉が渇いた動物・・ブリダンのロバとして不朽のものとなった・・は決定しかねて固まってしまい、死ぬと主張したものだ。・・・」(D)
→こういった研究を、盲目の大学院生が行い得た、ということは、平素から彼女に協力する人々がたくさんいた、いや、そのような人々をたくさん確保できるようなシステムが(ペンシルバニア大学や)スタンフォード大学にあったということでしょう。
 このあたり、米国、とりわけ米国の高等教育研究機関はすごいなと思います。(太田)
 (6)研究6
 「彼女は、幼児に対する延命治療を止めるといった不快な意思決定を行うことに伴う心理的コストを見る実験も行った。
 医師達は、患者との関係について、このような苦悶を伴う意思決定は自分達で行うという、家父長的アプローチを歴史的にとってきた。
 フランスでは、いまだにそうだ。
 しかし、米国では、1950年代以来、「告知に基づく同意(informed consent)」の教義から、患者の手に、よりコントロールを委ねるに至った。
 その結果、米国人はよりうまく行っているのだろうか。
 イエンガーは<、他の二人の英米の学者とともに>、人工呼吸器をはずされた子供達のフランスと米国の両親達が、それぞれどのように対処しているかを比較した。
 この3人の研究者は、自分の子供を死なせることに対し、米国人達は罪と怒りの感情に苛まれたのに対し、フランス人達はより安心立命の境地にあったことを発見した。
 イエンガーと彼女の協力者達は、昨年出された論文の中で、「悲劇的選択に直面させられた時、各人は、この選択が物理的または心理的に自分達の手を離れた場合の方がうまく行くように見える」と結論づけた。・・・
 「<この論文>は、我々に、意思決定の自由には認知的かつ感情的コストがかかることを示した」<というわけだ。>
 そこで、学問的称賛、すなわち、<米実験社会心理学会と米自然科学財団から、それぞれ最高論文賞と賞状・賞金が授与された。>・・・
 スェーデンは、2000年に社会保障制度を<一律の>年金制度から<変更し>・・・、自分の投資ポートフォリオを450の<選択肢>の中から選べるようにした。
 選択しなかった者は、自動的に政府によって設計された既定プランに組み入れられる。
 <二人の経済学者が分析したところ、>自分でプランを選んだ人々の投資業績は、7年後、既定プランのそれを15%下回った。
 要するに、素人の選択者達は、しばしば、専門家に彼等に代わって選択してもらった方が最善の業績が得られるということだ。・・・」(D)
→私の言う日本型経済体制は、市場や組織より、素人が自分でやらずに専門家にやってもらうという関係(エージェンシー関係)を重視する経済体制であることを想起してください。(太田)
(続く)