太田述正コラム#4051(2010.6.5)
<私の考えはいかに形成されてきたか(その1)>
 (これは、本日神戸講演会(オフ会)で私が行った講演の冒頭部分の草稿です。
 残りの部分はレジメしかありません。26日の東京講演会の時に、残りの草稿をお届けしたいと思っています。(太田))
1 始めに
 大仰な演題をつけて、お前自分が何様だと思ってるんだ、とおしかりを被るかもしれませんね。
 折に触れて既にコラム等で語った話が大部分ですけど、まとめてお話をすることも一興かと思った次第です。
2 ~小学校時代
 私は、最晩年を除いて健康そのものであった父、結核治療手術の後遺症で虚弱であった母の間に一人っ子として三重県四日市に生まれました。
 父が習わせたピアノを4歳から中2まで相当熱心にやったことは、私に良かれ悪しかれ大きな影響を及ぼしているように思います。
 また、父の蔵書がいつも身の回りにあったということもあり、私は、いつしか読書好きの少年になりました。
 (父の蔵書のうち、コラムに登場するもので言えば、例えば、パール・バックの『大地』は小学生時代に読みましたし、和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』やボーボワールの『第二の性』は高校時代に読んだのではなかったでしょうか。)
 母親は、自分が職業婦人になって自立するという夢を果たせなかったことをよく私に語ったものですが、これが私の女性観や、女性問題に対する姿勢を形成したと思います。
 さて、ホームページにも書いた話ですが、私は、商社勤めをしていた父親の勤務の都合で小1から小5にかけて、エジプトのカイロで過ごしました。
 エジプトはもともと英国の保護国、要するに属国、であり、そのカイロで英国系の小学校に通ったので、知らず知らずのうちに英国の影響を受けた、と今になって思います。
 また、エジプトは地中海圏に属す国であり、現在の私の言葉で言えば、欧州の外延に位置づけられる国であり、かつイスラム圏、就中アラブ圏に属する国でもあります。
 また、学校がインターナショナルスクール的であったということもありますが、そもそも、エジプトには、かつてエジプトを支配したギリシャ人、トルコ人、英国人を始めとして、数多くの民族の人々が住んでおり、世界には様々な宗教、文化、文明があり、物の考え方の異なる様々な民族がいる、ということを肌で感じました。
 更に、スエズ戦争という戦争の砲撃音を実際に聞き、また、独裁者のナセルの下で次第に高揚して行く戦時ナショナリズムを体験したことは、私に、国際問題に対する強い関心を植え付けたように思います。
 
 もう一つ、カイロでは、召使いと運転手付きの生活をしていたものですから、私は、すっかりカネに対して執着のない人間に育ってしまったような気がします。
 これにはマイナス面とプラスの面がありそうですね。
3 中高時代
 
 小5の時に日本の東京に戻ってきたのですが、東京が、故郷の三重県四日市とも、また当然カイロとも(もっと大きく、)違っていたため、私は激しいカルチャーショックを受け、長い鬱の時代が大学2年の頃まで続きます。
 麹町中学時代は、ピアノに挫折した時期と重なり、余りよい思い出がありません。
 日比谷高校でも余りよい思い出はないのですが、2年の時の倫理社会の授業で、マニアックな教師が、前期はプラトンの『饗宴』、後期は同じくプラトンの『パイドン』(しかも英訳)をテキストにしたことが印象に残っています。
 (当時の日比谷高校は、大学にならって、二学期制であり、ついでに言うと100分授業でした。また、生徒参加型の授業をしていました。『パイドン』も、生徒がかわりばんこに自分で翻訳した部分を読み上げさせられる方式でした。確か、当時、邦訳が手に入りにくかったんじゃなかったかな。)
 ついでに、父親の蔵書に何冊かあったプラトンの対話編のほか、岩波文庫でそれ以外の対話編や古典ギリシャの戯曲等を買って読み散らし、おかげで、古典ギリシャ文明とは何ぞやということが、何となく分かったような気になったものです。
4 大学時代
 東大の教養課程では、一年の時、これまたマニアックな折原浩助教授(当時)が行った一年間マックス・ヴェーバー一色の社会学概論の授業から強い刺激を受けましたね。
 一つは、同助教授の学問姿勢を通じ、欧米の特定の著名学者に着目し、横のものを縦にするだけの日本の社会科学系の学問のあり方に強い疑問を抱いたこと、もう一つは、ヴェーバーの最も有名な著作である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、ヴェーバー自身の限界、ひいては欧州の限界、つまりは、イギリスに対する深いコンプレックスとイギリス理解の浅薄さに気づいたことです。
 我ながら、この「発見」にほくそ笑み、ほとんど同じ趣旨の試験答案を、この科目だけでなく、社会思想史や西洋哲学史でも書いた記憶があります。
 これが、私の、アングロサクソン文明と欧州文明とを対置させる考え方の出発点になりました。
 なお、当時の学生としては当たり前のことかもしれませんが、マルクス・レーニン主義関係の文献は、少なくとも岩波文庫に入っていたようなものは、ほぼ全部読みましたね。
 ただし、『資本論』は、その分厚さとややこしそうなこととに恐れをなし、つん読に終わりましたが・・。
 いずれにせよ、マルクス・レーニン主義の文献は、カイロの小学校で読まされた旧・新約聖書同様、劇画のノリで読み、楽しんだけれど、どちらも私に全く影響を与えていません。
 教養課程の2年の時には大学紛争があり、10ヶ月間授業がありませんでした。
 この時、紛争を推進した学生やそのシンパの学生、更には、この紛争を傍観していたノンポリの学生達を観察し、彼等の気持ちを忖度した上で紛争の成り行きを読み、それがおおむね的中して行ったことで、自分に自信ができ、ようやく私は、長い鬱状態から解放されたように思います。
 こうして鬱からは解放されたものの、進学した法学部はつまらなかったですね。
 法学のコアの部分が私見では理系であって私が苦手とするところであった、ということもあるのですが、何よりも、日本の法学部の教育が教育の名に値しない点が不満でしたね。
 何せ、マスプロ的な一方的授業で、論文を書く訓練も施さないのですから・・。
5 防衛庁での見習い時代
 防衛庁に入って間もなく、愕然としました。
 自衛隊は早晩歴とした軍隊になると思っていたのにその展望がまるで見出せなかったこと、にもかかわらず防衛庁に勤務している人々の大部分がそのことに深刻な危機意識を抱いていないことに気づいたからです。
6 スタンフォード大学時代
 そうこうしているうちに、自分から手をあげたわけではなかったのですが、急に留学することになり、スタンフォード大学に行きました。
 ビジネススクールの一年先輩の日本人学生が経済学科にも登録していて、そちらの修士号もとろうとしていることを知り、また、科学技術庁(当時)から私と同じく人事院の制度でスタンフォードに、ただし政治学科に留学した中川八洋・・後に筑波大学教授・・のこともあり、私も政治学科にも登録してそちらでも修士号をとることにしました。
 ただし、あくまでもビジネススクールがメインだと思っていた・・こちらは2年コースであるのに対し、政治学科の方は専念すれば1年で修士号がとれる・・ので、勉強はビジネス関係を中心にし、新聞も、経済紙である米国のウォールストリートジャーナルと(日本から送ってもらった)日本経済新聞に毎日目を通したものです。
 一番熱心に読んだ記事は、当時日経に連載されていた、竹内宏の『路地裏の経済学』です。おかげで日本の経済の実態が何となく分かったような気になりました。
 彼のこの連載は、後に本になります。(連載中のタイトルは違っていたかもしれません。)
 日経の「やさしい経済学」・・実際には全然やさしくない・・という欄にも時々目を通しており、そこに掲載された小池和男の日本における人的資源管理に係る論考にも感銘を受けました。
 また、中川八洋の縁で、たまたま当時スタンフォードを訪れた東大の佐藤誠三郎(政治学)、長尾龍一(法哲学)両先生と出会い、それを契機に、村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会 』の元となった、『中央公論』に載った論考を読みました。
 一方で、ビジネススクールで客員助教授をしていた一橋大学の伊丹敬之の管理会計学の授業で、エージェンシー理論に出会います。
 こういったものを元手に、政治学科で、比較政治学の泰斗、ガブリエル・アーモンド教授のゼミで、後に私の日本型経済体制論につながる、初期のペーパーを書いて提出したところ、「君は学者になれる。これは冗談ではない」という評が書き込まれて戻ってきたことに、当時そんな気はみじんもなかったのでちょっと驚き、ちょっぴりうれしく思いました。
(続く)
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 一人題名のない音楽会を神戸からお送りします。
 年代的には順序が逆ですが、ショスタコーヴィッチの次は、チャイコフスキーのワルツです。(以下も順不同です。)
Valse Sentimentale これも、生まれてきて良かったなとしみじみ思う名曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=tzkv2KBeI7w&feature=related
同じ曲をオケではなくピアノ伴奏でどうぞ。(Ivry Gitlis)
http://www.youtube.com/watch?v=ErgFOQ1uwCY&feature=related
今度はバイオリンではなく、チェロ(ピアノ伴奏)です。
http://www.youtube.com/watch?v=bA646zG4cm4&feature=related
最後にピアノ独奏でどうぞ。(Alexander Sokolov)
http://www.youtube.com/watch?v=SDKvtZsg1Xc&feature=related
ピアノ独奏をもう一つ。
http://www.youtube.com/watch?v=Q2ODcpSYsug&feature=related
 まだ時間がある方は、以下もどうぞ。
バレエSwan Lakeより Waltz 「白鳥の湖」については、格別の思いがあるのですが、それはまたいつか。
http://www.youtube.com/watch?v=CShopT9QUzw
Waltz (Jascha Heifetz) よく聞くこの曲の正式名称を誰か教えて下さい!
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&feature=related&hl=ja&v=hEUxsihr4j4
Waltz from Serenade for strings
http://www.youtube.com/watch?v=Q3SvnT6oVzE&feature=related
バレエThe Nutcrackerより Waltz Of The Snowflakes
http://www.youtube.com/watch?v=GS_gumNLHhM&feature=related
同じく Waltz of the Flowers.
http://www.youtube.com/watch?v=Cg1dMpu4v7M&feature=related
バレエSleeping Beautyより Waltz
http://www.youtube.com/watch?v=-sU4mgkGtrs&feature=related
オペラEugene Oneginより Waltz
http://www.youtube.com/watch?v=Cz7JREul22g&feature=related
Valse Scherzo op 23 (Itzhak Perlman)
http://www.youtube.com/watch?v=8La4ix318GE&feature=related
(完)
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<Fuku:翻訳>
 和訳力の向上を目指して、微力ながら翻訳やらせていただきます。
コラム#4049より。
 今回のイスラエルの海上でのドジに関し、イランが沈黙を保っている理由と、トルコがイランからイスラム世界のリーダーシップを奪ったこととを指摘している。↓
 ・・・イスラエルの奇襲部隊によるトルコ船Mavi Marmaris号の乗っ取りは世界の多くの地域でデモを引き起こした。バクー、イスタンブールの人々やカナダのエドモントンほどの遠くの人々が通りを行進し、イスラエルの行動に対する抗議の声を上げた。しかしながら、テヘランやイランの他の大都市では通りは不気味に静まっていた。
 ハメネイ師は恐れているのだ。イスラエルをではなく、彼自身の国民を。彼の政体はイランの中で孤立しており、デモが反政府集会へと変わるのではないかと彼が懸念するほど信用を失っている。そして彼は正しいだろう。・・・
 今回の支援船団急襲事件とトルコの役割は、イスラム世界におけるトルコの地位をイスラム教徒の権利の擁護者として急速に押し上げた。・・・
コラム#4049より
 中共における鉄道の重要性が分かる。↓
 ・・・China’s intensity of rail use (passenger and freight combined) is double India’s, triple that of the United States, and a dozen times Europe’s. ・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704025304575283953879199386.html
 中共における鉄道使用(旅客列車と貨物輸送を合わせて)の密度はインドの2倍、合衆国の3倍、そしてヨーロッパの12倍相当である。
<太田>
 新たな参入、歓迎します。
 後の記事で「激しさ」→「密度」と訂正しました。
 最初の記事には、若干手を入れました。例えば、「十倍」→「12倍」と訂正したけど、ま、いいか。
 よって、13-10=3で、3ポイントになります。
 翻訳にとりかかるまでに、これを翻訳しますって宣言して場所取りをして下さいね。
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太田述正コラム#4052(2010.6.5)
<神戸オフ会次第(その1)>
→非公開