太田述正コラム#4053(2010.6.6)
<皆さんとディスカッション(続x855)>
<太田>
 記事が2日分たまってまだ昨日分も読み切れていないので、本日は、文字通りのディスカッションだけにさせていただきました。
<太田>(ツイッターより)
 皆さん、「選択の自由という重荷」を背負おうじゃありませんか。
 そのための最初の「選択の自由」はそれほどの「重荷」じゃありません。
 属国のままか、米国と合邦するか、米国から「独立」するかの三択ですからね。
<Noranero>
正式に自治州になることを希望します。(声:昭和)
<太田>
 米国との合邦には、そういう形態もありえますね。
 要するにプエルトリコ方式です。
 確かにその場合、もはや日米安保の信頼性云々を心配する必要がなくなり、日本の安全保障は米本土並みに心配がなくなります。
 ただし、この自治領方式だと、(米議会に代表を送れないので、)日本の意見を米国政府の意思決定に反映させることはできないし、プエルトリコは発展途上地域ですから米国政府からカネが流されているけど、豊かな日本の場合は逆にカネを吸い上げられるでしょう。
 (日本の防衛費こそ不要になるけれど、)現在の思いやりの額なんて目じゃないような、米国防費の4分の1とかを負担させられても文句言えませんぞ。
 そうそう、大事なことを忘れてた。
 プエルトリコ人は、米国政府による徴兵に応じる義務があります。
 この最後の点だけでも、現時点じゃ日本人、びびっちゃってダメなんじゃないかな。
<χΒΒχ>(「たった一人の反乱」より)
≫ここ10年間ぐらいの、小泉以後の自民党しか知らない若い世代には、イラクへの自衛隊派遣やインド洋での給油支援などで、「安全保障政策を真剣に考える自民党」vs「それに対して反対の為の反対をする民主党」という構図で受け止められるのは、無理からぬことじゃないか? ・・・そういう若い世代に、「政官業癒着構造の打破」が、結果的に安全保障政策への指向につながると、いわば「急がば回れ」ということを説得することは重要だろう? 過去コラムで説得力がある(プラス 分かりやすい)やつを知らないか?≪(コラム#4049。ΒΒΧΧ)
 <太田サンの>メディア<出演用>の台本は、比較的まとまってるんじゃない。
http://blog.ohtan.net/archives/51114410.html
http://blog.ohtan.net/archives/51089017.html
http://blog.ohtan.net/archives/51328994.html
http://blog.ohtan.net/archives/51122190.html
 安全保障政策への指向は集団的自衛権の行使なわけだけど、自民党は今後もまとまることはないんで、民主党に期待するしかないという、ちょっと消極的理由になっちゃうな。
 「集団的自衛権でも、草案段階にあった「行使」の文字が、意見集約ができずに消えうせた。
 行使を可能にするには、政府解釈を変更すればよいとする石破氏と、憲法を改正して行うべきだとする谷垣禎一総裁との対立もあった。」
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100514/stt1005142208011-n2.htm
<ΒχΒχ>(同上)
 <χΒΒχクン、>どうもありがとうございます。こんな反論が来たら、太田さんはなんて言うかな?
 「腐敗した自民党では、安全保障に真剣に取り組むわけがないという主張は理解したが、しかし自民党が吉田ドクトリン墨守政党になったのは、権力の座に居座り続けて腐敗する前だろう?
 だから、自民党の腐敗と安全保障への取り組み方をつなげるのは、おかしいのではないか?
 吉田ドクトリン墨守の原因は、左翼イデオロギー(注)に洗脳された国民世論が、根本的な原因では?
 やっぱ>>853で言ったように、安全保障は自民党だよ。自民党マンセー!」
(注)「日本人は自分で自分が信用できない、だから、米国に日本の統治の基本をおまかせしよう、ということで、戦後ずっとやってきたわけです。 これが吉田ドクトリン墨守の背後にある、戦後日本人のコンセンサス的なメンタリティーなのです。」
http://blog.ohtan.net/archives/51358464.html
<ΒΒχχ>(同上)
 各論で議論してても結論は出ないというか、平行線の議論になっちゃうよ。
 広義の安全保障政策である人口問題に自民党は何をしてきた?良し悪しは別として、民主党はとりあえず子供手当て作ったよね。
 ↑に対する反論
 財源は?
 口蹄疫の民主党の対応、ダメダメやん。
 ↑に対する反論
 前回の口蹄疫はたまたま感染力が弱かっただけで、ウイルスは難しいんだよ。自民党も新型インフルの封じ込め失敗したよね。
 そもそも、自民党が作ったマニュアルがダメダメだったんだよ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/100528/dst1005282318005-n1.htm
 結局のところ、他国への人道的介入、軍事的介入という国会議員の本務をしない党や国会議員はダメダメなのであり、いつまで経っても集団的自衛権行使に踏み切れない自民党はダメダメなのであり、集団的自衛権行使を認めない日本の安全保障政策なんて、アメリカに外注しているだけで、無いに等しい、ということを言い続けんといかんのだろう。
<ΒχχΒ>(同上)
 な ら 民 主 は ?
 となります
<ΧΧββ>(同上)
 自民の結党は1955年。民主は1996年。
 自民と同じく55年経っても、民主が集団的自衛権行使を認めなければ民主もダメダメ政党だったと結論付ければいいんじゃない。
 ということで、<χΒΒχクン>の消極的期待にループするわけなんだが。
<hn946>
 もしかして、「伊丹浩之」→「伊丹敬之」氏<の間違い>ではないですか?(コラム#4051)
<太田>
 オーマイゴッド!
 まーたやっちゃったぜ。
 ちらと読み返したら、『プロテスタンティズムの倫理と≪社会≫主義の精神』だとよ。(≪≫内に注目)
 また、Fukuさんの翻訳を「講評」した箇所、「後の記事」と「最初の記事」が逆になってました。
 ご存じのように、人間はうっかりミスを犯すようにプログラミングされるんだからね。
 なーんちゃって。
 あーついでに、プラトンの所、より正確に直しといたからさ。
 ブログでコラム#4051見といてね。
 
<Fuku>
 訳す文章を宣言して場所取りをせよとのお達しですが、未熟者の自分としては事前に宣言しといてわからない、なんてことが大いにありそうで怖いんですよね……そんなことをいうとじゃあやるななんてお叱りを受けそうですが。
 わからない箇所はわからないままで投稿、なんてわけにはいきませんものね。
 実際訳してみて(ある程度)ちゃんと訳せたら投稿しようかな、と思っていたのですが。
 まぁ自分にできそうなものを選んでいくことにします。
 それでも誤訳や解釈違いが結構あると思いますけど。
 太田さんにはお手数をかけるでしょうがよろしくお願いします。
<太田>
 そんなこと気にせず挑戦をされたらいいんですよ。
<Fat Tail>
 –太田述正観察日記I:太田(中将)はこんなに可愛い!–
 太田述正氏が広く世に知られるようになったきっかけの一つが、2007年10月放送の「たかじんのそこまで言って委員会」(讀賣テレビ)への出演である(*1)。
 その後、彼のコラム読者数が、有料・無料共に顕著に増加した(*2)ことからも、これが彼の実質的な2回目の「デビュー」(*3)となったことが伺える。
 華々しく「全国区」(*4)デビューを果たした太田氏は、その独特かつ強烈なプレゼンテーションで、多くの人に衝撃を与えたのだが(*5)、あまりにも鮮烈な印象を与えたためか、彼のコラムにある「皆さんとディスカッション」シリーズでも、読者から「上から目線」、「官僚臭がする」、「間違いを認めない」等の批判が度々顔を出すようになる(*6)。
 私には、彼がそうした本質的ではない世間からの「小言」的反響を、むしろ楽しんでいるのではないかと勘ぐっているのだが、この点は本コラムの趣旨とはずれるので、典拠を省略しこの程度の指摘に留めておく。
 ところで、これらの批判は、正当でないばかりか、私は反対に、太田氏程可愛い人間は世の中に稀である、とさえ考えている。
 これは何も彼に対する私個人の表面的な印象といったものではなく、実際彼のコラムで少なからず観察される彼の重要なパーソナリティの一部である。
 以下、過去のコラムから、太田氏がどれだけ可愛い人間であるかを示す、代表的な事例を取り上げてみよう。なお、これ以降、太田氏を「太田(中将)」として統一する(*7)
*1:当日の収録内容については、「太田述正コラム#2149」等参照。今や大臣の座を射止めるに至った原口一博衆議院議員の当時の「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の記述は、何やら彼の現在の立ち位置(実力者の小沢一郎衆議院議員の不興を買わないようにしつつ、党内で上手く自分の地位を確立する)を暗示しているようで興味深い。原口議員の小沢議員に対するヨイショ振りは、以下の本人へのインタビューからも伺える。
 「原口一博・直撃インタビュー 「みなさんは 本当の小沢さんを知らないんです」」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/247
 この苦しい小沢議員擁護のインタビュー内容と、「太田述正コラム#2913(2008.11.14)」で触れられている小沢一郎像との落差に注目されたい。
*2:コラムで度々触れられているので、コラムバックナンバーの記載省略。
*3:当然、太田(中将)の一度目の「デビュー」は、2001年7月の参議院選挙への立候補だ。
*4:同番組は、当時も現在も首都圏での放送を行っていないので、「」(カッコ)を付けた。
*5:何といっても、同番組歴代ゲスト番付で、「超えられない壁」として多数の個性的なゲスト中、「四天王」(2位相当)の座を獲得したのだから、その衝撃度が推し量れよう(「太田述正コラム#2968(2008.12.12)」参照)。なお、1位は「神」カテゴリーとして、櫻井よし子氏が獲得。確かに、あの何があってもブレない、当時の氏の前髪は神業だ。
*6:該当コラムが多すぎるので典拠省略。太田コラムの読者であれば、有料・無料を問わず何度も目にしていると推察される。
*7:この呼称は、私が仲間内で太田氏に言及する際に、愛着と敬意をもって使っている。呼称の由来は、「太田述正コラム#1074(2006.2.8)」における以下の記述である。
 「私は防衛庁時代に、官房審議官から仙台施設局長に転出したのですが、官房審議官は国防機構に係るグローバルスタンダードに照らせば、中将寸前の少将相当であり、また施設局長は中将相当であって、いずれも、国際的にはかなりの敬意を払われる「階級」です。」。
 –太田述正観察日記I:太田(中将)はこんなに可愛い!(第二回)–
 さて、今回は太田(中将)の可愛さを再認識していただくため、2つの事例を過去の太田コラムから取り上げたい。
一、日立製作所への感謝状(!)要求
 太田(中将)のブログに纏められている、「日立製作所のIT利権」シリーズ。
 良くも悪くも日本を代表する大企業で最大のITゼネコン(*1)の一つ、(株)日立製作所率いる日立グループ。
 その日立に対し、サービスを提供したものの、不誠実かつ不透明な対応に不信感を募らせ、太田(中将)が要求したものが、意外や意外。当該取引に関わるフィーやコミッションの類ではなく、はたまた実費経費でもなく、なんと「感謝状」(*2)。太田(中将)の優しさと欲の無さ(*3)に、私は思わずコーヒーを噴き出してしまった。何という可愛さであろうか。
*1:ITゼネコンについては下記参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/IT%E3%82%BC%E3%83%8D%E3%82%B3%E3%83%B3
*2:「太田述正コラム#648(2005.3.4)」及び「太田述正コラム#649(2005.3.5)参照。
*3:これに加え、何と太田(中将)は「「担当取締役以上からの感謝状」というのは最大限要求であり、私は担当取締役からの口頭の謝意の表明くらいで手を打つつもりだった。」というのだから、目頭が熱くなる。
二、体育でサッカーやったから(!)、サッカーにそれなりの関心がある件
 まずは、「太田述正コラム#1269(2006.6.1)」からの以下の抜粋を見ていただきたい。
 「スポーツがからきしダメな私の唯一の自慢は、東京千代田区の永田町小学校(既に廃校)6年の時、クロールの50m競泳で全校二番になったことです。カイロ時代に、長い夏の間、毎日のようにスポーティングクラブの屋外プールで泳いでいたおかげでしょう。
 カイロ時代に小学校の体育の授業で時々行われたサッカーの試合では、へたくそだったので、いつもボールに触れることさえできず、面白くない思いをしていましたが、一度だけ、敵のゴールの横に手持ちぶさたに立っていたところ、偶然ボールが自分の所にころがってきたので、足でちょっと触ったらゴールに入って誉められた、という経験があります。
 海外にいた期間が長く、小学校時代、キャッチボールすら一度もやらなかったこともあって、私は、野球にはほとんど関心はないのですが、ほんのちょっとはやったサッカーにはそれなりの関心があります。」
 これを読んで笑うな、という方が無理である。
 私の中で、太田(中将)の愛らしいユーモアのセンスは、コメディアンのGeorge Carlin(故人)に並んだ。いや、超えたかもしれない。
 David LettermanやGlenn Beck(!)など、足下にも及ばない。
 急がずに太田(中将)のユーモアを一つずつ堪能しよう。
 ユーモアを解剖するような野暮なまねは私の本意ではないが、皆さんとこの幸せを分かち合いたいという強い欲望には抗し切れないので、お許しいただきたい。
(i)
 「スポーツがからきしダメな私の唯一の自慢は、東京千代田区の永田町小学校(既に廃校)6年の時、クロールの50m競泳で全校二番になったことです。カイロ時代に、長い夏の間、毎日のようにスポーティングクラブの屋外プールで泳いでいたおかげでしょう。 」
 何という謙虚さでしょう。何という遠い過ぎ去りし栄光でしょう。その後、中学・高校での競泳ランクインの言及がなかったことに鑑み、カイロ時代の貯金も小6で底をついたということでしょうか。
(ii)
 「カイロ時代に小学校の体育の授業で時々行われたサッカーの試合では、へたくそだったので、いつもボールに触れることさえできず、面白くない思いをしていましたが、一度だけ、敵のゴールの横に手持ちぶさたに立っていたところ、偶然ボールが自分の所にころがってきたので、足でちょっと触ったらゴールに入って誉められた、という経験があります。」
 恐らく、オフサイドでしょう。小学校の体育のため、大目に見るとしても、悲しすぎる得点シーンで、思わずハンカチで目を拭いたくなる。
 ボールに触れもしないなんて、面白くないどころではなく、針の蓆であったろうと同情を禁じ得ません。
 この件、読んで泣かずんば男児に非ず。
(iii)
 「海外にいた期間が長く、小学校時代、キャッチボールすら一度もやらなかったこともあって、私は、野球にはほとんど関心はないのですが、ほんのちょっとはやったサッカーにはそれなりの関心があります。」
 太田(中将)は1961年に東京都千代田区立永田町小学校を卒業したのであり(*3)、小学校時代の1959年には天覧試合における長嶋茂雄のサヨナラホームランがあり、ON時代の黎明期と重なっている(*4)。こうした当時の「ブーム」に背を向け、プロリーグすら存在しなかったサッカーへの想いを温め続けているなんて、何という純粋さだろう。この際、小学校の体育でサッカーの授業が「あった」、ということが、サッカーを「ほんのちょっとはやった」ということになっているなんて、些細なことには目を瞑って、太田(中将)のこの奇跡のような、温め続けたサッカーへの想いを讃えよう。
3*:「防衛省OB太田述正 ホームページ」の「経歴」参照。
http://www.ohtan.net/keireki/
4*:「長嶋茂雄 ? Wikipedia」参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B6%8B%E8%8C%82%E9%9B%84
 王、長嶋コンビが「ON砲」として親しまれるようになったのは1962年あるいは1963年以降のようだが、既に1959年から二人で共に巨人でプレーしていたことに鑑み、「黎明期」とした。
(続く)
<太田>
 内容、体裁とも申し分のないコラムである、と言ってもよい投稿ですねえ。
 お気が向かれたら続きをよろしく。
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<べじたん:翻訳>
コラム#4043より
 前にも触れたけど、人間って50歳が厄年で、それからは人生バラ色になってくんだねえ。
 楽しみだなあ。↓
 ・・・米国科学アカデミー紀要の総括的な基準によると、人生は、自分自身へのかなり良い感情の18歳を始点とし、どうやら、野球のカーブのような軌道を描き始める。50歳になるまで、自分自身への感情は悪化のみしていくのだ。ところが、50歳で急な逆転が起こる。人は年齢を重ねるとともに、より幸せになり続けるのだ。85歳までには、18歳の頃よりもさらに満足する時が訪れる。・・・
 ・・・ストレスは22歳以降はずっと減少していき、85歳でもっとも少なくなる。悩みは50歳までかなり安定して存在するが、その後は急に減る。怒りは18歳以降はどんどん減っていく。悲しみは50歳のピークまで増え、その後73歳まで減っていき、さらにその後85歳まで再びわずかに増加する。喜びと幸せは同じような曲線を描く-両者とも、50歳まで徐々に減少し、その後25年間はどんどん増加し、人生の最期に極めてわずかに減少するが、50代前半の最下点には二度と決して到達しない。・・・
コラム#4049より
 前段は、私の鳩山批判と基本的に同じこと。
 後段は、属国になったのと同様、鳩山の普天間問題での辞任も米国のせいじゃないことを日本人は自覚しなくっちゃね。↓
 ・・・「鳩山は極めて戦略的に日本を独立させようと決心したのだが、日本が自主防衛するための代替戦略を全く作らずしてそんなことができるわけがないことを彼は分かっていなかった、ということが、この辞任の本質的論点なのだ。」と政府高官が筆者に今週語った。・・・
 結局、鳩山退陣に伴う多くの日本人の怒りと失望ののち、日本国民は、目をワシントンに向け、こんな風に日本の同盟国たる米国が日本を扱ってよいのかという疑問を抱くことになろう。これは良い疑問だ。・・・」
<太田>
 おお、べじたん大人までご出馬とは恐れ入ります。
 後者の前段については、(より分かりやすくなるよう)手を入れてみました。
 後者の後段については、ウーン、べじたんさんのような訳・・「結局、鳩山退陣に伴う多くの日本人の怒りと失望ののち、日本国民の目はワシントンに向けられ、どのようにして同盟国はお互いを扱うべきかに思いを巡らすだろう。いい論点だ。・・・」・・も可能かなあ、と一応再考してみましたが、やはり以上のように訳すべきだと思いました。
 よって、前者の9+後者の6-減点10=5ポイントですね。
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太田述正コラム#4054(2010.6.6)
<神戸オフ会次第(その2)>
→非公開