太田述正コラム#3796(2010.1.28)
<ロバート・クレイギーとその戦い(補遺)>(2010.6.7公開)
1 始めに
「ロバート・クレイギーとその戦い」で登場した論考である
http://www.lewrockwell.com/kreca/kreca6.1.1.html
の筆者のマイケル・E・クレサ(Michael E. Kreca。1962~2006年)
http://ww.uniontrib.com/uniontrib/20060217/news_1m17obitkp.html
(1月28日アクセス)は、不慮の事故(警官に撃たれた)で亡くなっていますが、この論考は、クレイギーがらみの部分以外も興味深いので、ついでにご紹介しましょう。
なお、クレサは私の大嫌いなリバタリアンである
http://www.lewrockwell.com/kreca/kreca2.1.1.html
(1月28日アクセス)、ということもあり、私は、彼自身の分析より、彼が引用している部分に着目している次第です。
2 クレサかく引用せり
「・・・ベンジャミン・ギツロウ(Benjamin Gitlow<。1891~1965年。ユダヤ系米国人
http://en.wikipedia.org/wiki/Benjamin_Gitlow (太田)
>)は、米国共産党の創設者の一人であるとともにその著名なメンバーの一人だったが、大胆にもヨセフ・スターリンの諸犯罪を公然と批判したため、1933年に同党から追放された。
彼はすぐに確固たる反共主義者となり、1965年に74歳で死去した。
ギツロウは『私は告白する–米共産主義に関する真実(I Confess: The Truth About American Communism)』と題する1940年の啓発的な本の中で次のように記した。
「私がモスクワにいた、はるか昔の1927年、戦争が起こった場合の米国に対する態度が議論された。
私的には、私が語り合ったソ連の指導者達全員が米国と日本の間の競争意識がこの2国間の現実の戦争へと転化するに違いないという意見だった。
ロシア人達は、この戦争が早く起きればよいと思っていた。
そうすれば、ロシアのシベリア国境を極めて安全にするだろうし、日本はひどく弱体化するだろうから、ロシアはもはや東からの攻撃を恐れる必要がなくなるからだ。
スターリンの希望は、米国共産党の諸活動を通じて、米国の中で、ファシズムによる蚕食に抗して民主主義を守る戦争という名目の下、実際には日本に対する戦争を是とする世論を醸成することだった。
スターリンは、米国人達が、共産党のメンバーではないにもかかわらず、ソ連の防衛のために死ぬことを完璧なまでに望んでいる。…」と。
ローズベルトの前任者であるハーバート・フーバー<大統領>は、日本が1931年にまず満州を占領した時に、(1850年代中頃から米国の経済資産を守るためにそこに断続的に派遣されていた複数の米海軍河川砲艦からなる小さな部隊を維持することを除き、)米軍部隊を派遣し支那に軍事援助を行うべきであるとする圧力に抗することに成功してきていた。
その理由は、支那人は、その歴史を通じて他の侵略者達をすべて最終的には疲れ果てさせたように、最終的には日本を疲れ果てさせるだろうというものだった。・・・
米海軍長官のフランク・ノックス(<William Franklin “>Frank<”> Knox。<1874~1944年
http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Knox (太田)
>)の補佐官の一人であったフランシス・ビーティー(Francis Beatty)海軍中将は、1954年に以下のことを明かした。
「<1941年>12月7日より前に、私にすら明らかであったことは、我々が日本を追い詰めているということだった。
私は、ローズベルト大統領の願望もチャーチル首相の願望も、この二人が、連合国は米国抜きでは勝利できないのにドイツに米国に対して宣戦布告させることに失敗したと思ったことから、米国が<日本と>戦争を開始して欲しいというものだった。
例えば支那から撤退せよといった、米国が日本に課した諸条件は、余りにも過酷なものであったため、我々はいかなる国もそんなものを受諾できないことを知っていた。
米国は、日本にひどく過酷なことを強いていたので、日本が米国を攻撃するであろうことを知っていたと言うべきだ。
そして米国からすれば、日本が軍事的にどんな準備をしているか、また、日本が全体として輸入しているものから、日本がそれ<(米国攻撃)>を目指していることは明らかだった。」・・・
ローズベルトの陸軍長官のヘンリー・スティムソン(Henry Stimson<。1867~1950年。陸軍長官、フィリピン総督、フーバー大統領の下での国務長官を歴任後、ローズベルト大統領の下で再び陸軍長官
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_L._Stimson (太田)
>)(コラム#2498)は、真珠湾の約2週間前、日本との問題を議論した閣議を思いだしつつ、以下のように日記に記した。
「大統領はもっぱら日本との関係を持ち出した。
彼は、日本は警告なしに攻撃することで悪名高いので、米国は恐らく攻撃されるだろうし、それは[早ければ]次の月曜かもしれないが、問題は我々がどうすべきかだ、という話題を持ち出した。
つまり、問題は、米国が、過度の危険を冒すことなく最初の一発を撃たせるように日本を仕向けるにはどう画策すればよいかだ。(注)」
(注)この最後のくだりは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
でも引用されている。(太田)
3 終わりに
ソ連共産党の戦略に完全に乗せられたローズベルト、それがうすうす分かっていて、目の前のヒットラーへの怒りに我を忘れたチャーチル、といったところです。
それにしても、フーバー大統領(コラム#597~599)は、改めて偉大であったと思いますね。
彼の対日スタンスの説明ぶりがお気に召さない方がおられるかもしれませんが、当時の米国人のレベルに即した適切な説明を行ったのだと私は解しています。
ロバート・クレイギーとその戦い(補遺)
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