太田述正コラム#4000(2010.5.10)
<中共の「資本主義」(その4)>(2010.6.13公開)
(3)結論
「・・・上海について、要約的に、黄は、「上海は<中共当局が採用した>ラテンアメリカ路線の政治的勝利を代表するものであり、国家主義的(statist)介入の突出、巨大な都市偏重、そして土着の企業家精神の犠牲の上に立った海外直接投資(FDI)優遇、の上にしっかりと固定されていた。上海は、世界でもっとも成功した見せかけだけの(Potemkin)主要都市として、今日の構造的に病んでいる中共経済の兆候であるとともに犯人なのだ」と記す。・・・」(D)
「・・・中共は、東アジアモデル<・・・韓国や台湾が良い例だ・・・(I)>からラテンアメリカ型の経済へと顕著に逸脱してきた。
中共において、資本主義は、1980年代より深く根を下ろすに至っているけれども、発展の果実は、次第により多く国ないし金持ちの手に落ちつつある。・・・」(D)
「・・・抗議行動は、専制的国家においては常に危険を伴うものだが、1993年の8,700件から2005年にはその10倍に増えた。
政府に対する陳情数もまた急上昇しつつある。・・・」(I)
「中共は、持続可能な経済を確保するために必要な「ソフトインフラ」を発展させることに失敗しつつある。
更に悪いことには、この分野は、この10年間で実際には退行してきた。・・・
・・・<ソフトインフラとは、>法の支配、開放的な金融機関、市民社会と企業家精神・・・」(H)「、私的企業に対する株式市場による支援<等だ>。<中共は、>この点ではインドに劣っている。・・・」(I)
「・・・黄氏は、ジョセフ・スティーグリッツが、欧米世界に対して郷鎮企業を中共の公的所有の開発戦略の見事な例という光を当てることで、「移行期にある諸経済における極めて深刻な問題」である私的投資家達の資産の窃盗、を極小化するのにいかに寄与してきたかを示唆する。
・・・珠江冷蔵庫工場・郷鎮企業、というか科龍集団(Kelon Group)(注)に関する黄氏のケーススタディの結論は、スティーグリッツ氏の全く同じ郷鎮企業を踏まえた結論とは正反対だ。・・・
(注)「・・・科龍の・・・発行済み株式の26.4%を海信が買い取る方向だ。科龍は名門家電メーカーだが、経営トップらが会社資産を不正流用した疑いで7月末に公安当局に拘束され、経営が混乱していた。海信集団は山東省青島市に本拠を構える国有企業。・・・」(2005年9月12日付記事)
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/tv_dvd.aspx?ichiran=True&n=MMITec674512092005&Page=37 (太田)
「・・・<また、>彼は、トーマス・フリードマン(Thomas Friedman)<(コラム#1388、2196)>と世界銀行の、上海が一見自由市場的グローバリゼーションを抱懐していることについての入れ込み、に水を差す試みもしている。
黄氏は、上海の元党書記で現在汚職により秦城監獄(Qincheng Prison)
http://en.wikipedia.org/wiki/Qincheng_Prison (太田)
で18年の刑に服している陳良宇(Chen Liangyu)
http://en.wikipedia.org/wiki/Chen_Liangyu (太田)
の言の引用を披露する。
それを読めば、上海が表面だけ一見資本主義的性格を帯びていることについて、どんな経済学者も密かに得心するはずだというのだ。・・・」(F)
(4)黄への批判
「・・・この本は、理論面が弱い。
彼の主たる主張は、<何事も>個人に帰せしめる理論に基づいているように見える。
(江沢民は上海からやってきたので都市地域を優遇し、趙紫陽等は田舎の省からきたので田舎地域を優遇した、というわけだ。)
メアリー・ガラハー(Mary Gallagher)は・・・2002年の論文で似たような分析をしているが、彼女の理論は、外国からの投資を国内の私的企業よりも優遇したのは政治的安定に資するからだ、というものであり、そちらの方が強力だしより説得力がある。・・・」(D)(に対する’PoliticallyIncorrect’名の読者投稿)
「・・・この本を読むと、誰でも、そのすべての主張の背後に一つのモデルがあることに気づくことだろう。
それは、自由市場、小さな政府と自由主義が健全な経済を構築するための根本的な土台であって、このモデルに従わなければ、排他的な「支那的性格(Chinese characteristics)」に立脚したところの、長期的な「支那の奇跡(China miracle)」は不可能だ、という確信・・これを若干の人はイデオロギーと呼ぶかもしれない・・だ。
このような考え方に従えば、中共の1990年代と2000年代初期の政策について<黄が>極めて批判的になるのは理解できるところではある。・・・」(H)
3 私のコメント
下掲の記事を読むと、金融危機が黄の主張を堀崩しつつあるというより、むしろ、黄の主張が裏付けられた感があります。
「・・・昨年後半から中国の経済論壇で話題なのが、「国進民退」問題。その名が示すとおり、政府がコントロールする国有企業の存在がどんどん大きくなっており、民間企業のビジネスを圧迫しているのではないかという議論だ。・・・
2009年初め、金融危機によって輸出依存型の製造業の業績が大きく落ち込み、沿岸部の工場では従業員の大規模な解雇やそれを巡るトラブルなどが頻発した。そこで“正義の味方”のように広がったのが、「不裁員(人員削減しない)」宣言。その発信源は各地の国営企業だった。・・・
「うちはリストラしない」。そう胸を張れるのも、銀行や政府などからの融資や補助金、市場での優先的な立場があってからこそ。それでも、「雇用確保」という名目がある以上、事業拡大にひた走ることができる。
<ただし、>昨年来、中国には国有企業の肥大化を擁護する風潮も広がっている。・・・」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100506/214247/?top
私は、金融危機を契機に、国有企業群が、遠慮会釈なく中共経済の表舞台に躍り出てきた、と受け止めるべきではないかと思うのです。
4 終わりに
黄がこの本で主張していることが正しければ、トウ小平の開放改革断行を、中共の共産主義からファシズムへの転換ととらえ、中共がファシスト国家として現在に至っている、とのこれまでの私の主張が果たして維持できるのか、という疑問が生じます。
中共の自由民主主義抜きの資本主義化が1990年代に入って国家独占資本主義段階を迎えた、などと小手先の理屈でごまかすわけにはいきません。
共産主義者とリバタリアンの独占資本主義論によれば、20世紀以降、先進資本主義国はすべて自由放任資本主義から国家独占資本主義へと変貌したのであって、現在の中共の経済は欧米日のそれと同質のものである、という妙な話になってしまうからです。
(なお、ネオ・トロツキストによれば、20世紀以降の先進資本主義国のみならず、共産主義国もすべて国家独占資本主義だということになり、トウ小平は中共を何も変えなかったし、当然1990年代にも中共は何も変わらなかった、というもっと奇妙な話になってしまいます。)
もっとも、国家独占資本主義論は、どちらも漢人が牛耳るところの、香港(=中共の一部だが一国二制度適用対象)とシンガポールの違いを言い表すためには、それなりに有効です。
すなわち、どちらも自由民主主義抜きの資本主義ということでファシスト体制だけれど、香港経済は自由放任資本主義であるのにシンガポール経済は国家独占資本主義である、というわけです。
(国家独占資本主義論については、
http://en.wikipedia.org/wiki/State_monopoly_capitalism
による。)
私のとりあえずの仮説は、現在の中共の経済体制を日本型経済体制であると見たらどうか、というものです。
そうすれば、中共は自由民主主義抜きの日本型経済体制という、新しい種類のファシスト国家・・これをネオ・ファシスト国家と呼ぶことにしよう・・である、ということになりそうです。
日本は長らく中共の根源的な仮想敵国であり続けてきたわけで、中共当局は日本をあらゆる角度から調べつつ現在に至っているはずであり、驚異的な経済高度成長を、敗戦を挟んで昭和期に長く続けた日本経済をモデルにした可能性は大いにあるのではないでしょうか。
トウ小平の改革開放は、毛沢東の下で疲弊しきった中共経済の転換を図るために、緊急避難的に自由放任と外資導入とを組み合わせた経済政策をとったものであって、その後、次第に本来期していたところの、日本型経済体制化を推進し始めた、と考えれば何となく辻褄が合いそうだ、ということです。
しかし、こんなネオ・ファシスト国家たる中共は、止めどもなく腐敗がひどくなって行くのは必至でしょうね。
皆さんの忌憚のないコメントをお待ちしています。
(完)
中共の「資本主義」(その4)
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