太田述正コラム#4077(2010.6.18)
<皆さんとディスカッション(続x867)>
<太田>
 昨日のディスカッションは、ミスプリが山のようにあって大変失礼しました。
 ブログは直してあります。
<takahashi>
 –石原莞爾の評価をお願いします–
 今回は[たった一人の反乱]ではなくこっちに投稿します。
 というか、どっちに投稿すべきか判りません。
 太田さんは石原莞爾について批判しつつも高く評価しているように思われます。↓
 戦前から戦後にかけての日本の高度経済成長は、日本主導で樹立された満州国(1932年建国)において日本の軍部と官僚達が手を携えて革新的な政治経済体制を試行し、これを踏まえて日本本土において日本型政治経済体制を構築したことによって可能になったことは、拙著「防衛庁再生宣言」の最終章で指摘したところです。
 現在の日本の繁栄は満州国なかりせばありえなかった、ということです。
                     太田述正コラム#1113
・・・しかし、支那事変を拡大して行ったことへの批判は正しいとしても、石原のこのような総括の仕方は誤りであり、石原の知性の限界を示すものです。
 (拙著「防衛庁再生宣言」においても、敗戦後の石原の吉田ドクトリンへの「改心」を揶揄した(同著236 頁)ところです。)
                     太田述正コラム#0229
 私は石原莞爾をどうしても評価する気にはなれません。
 石原らが起こした満州事変により出来た満州国が日本の破滅のきっかけとなったように思われるのです。
 当事の中国は軍閥の群雄割拠する内乱状態で主権の所在も明確でなく、条約遂行能力も欠如したダメ国家であり、やることといえば条約違反やテロばかり。
 これを利用して満州国を成立させ反共の砦とする。この案は壮大ですが、防衛ラインとしての朝鮮半島が狭すぎるのはわかりますが満州国の位置はソ連と中国に挟撃され易く不安定な場所です。
 まして当時の満州は清王朝時代に中国人が大量に流入して満州族は既に少数派になっていました。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6mansyu-jin.htm
 こんな状況で日本主導で傀儡政権と思われる満州国を建国することは中国人の反日感情を刺激して当然のように思われます。
 石原はこのことについて意外なほど無神経だったようで、石原は1937年の第二次上海事変で蒋介石が大軍で上海陸戦隊を攻撃した時、満州事変の論理的帰結が日中の衝突であるとようやく認識し、呆然となり蒋介石に和平を提案して断られます。
 この時、昭和天皇は石原の無能ぶりを悟ったようです。
http://ww1.m78.com/topix/emperors%20decision.html
 石原はシナ事変の不拡大を唱えるも、満州事変で出世した石原の言うことに誰も耳を貸しません(下克上)。戦争をすればするほど、軍人の出世は早まるのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
彼は現実から遊離した理想主義者であり、アジア主義者であった。
 石原は満州国を満州人自らに運営させることを重視してアジアの盟友を育てようと考えていたが満州の人口構成を考えれば、全人口のうち漢民族が81%(1937年)で馬鹿げている。
 彼の唱えた世界最終戦争論は人種間抗争を想定しているが、20,30年後を想定しても中国には海軍力も空軍力も期待出来ない。
 彼は中国は全体主義文明の国であり、日本と並び立つ国ではないことが理解出来なかったように思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%AB%96
要約
1.満州国の成立は必然的に日中戦争へと発展する。(石原はなぜか予見出来ず)
2.満州国は中ソに挟撃されやすく不安定。(大陸に出て行くのは愚策)
3.満州事変が関東軍の独断で行われたため、下克上の風潮が蔓延。
4.石原はアジア主義者であり、満州国を日米決戦のための第一段階と考えた。
5.構想は壮大だが愚劣な世界最終戦争論
 
 スターリンのソ連、どうしようもない中国、レイシストのアメリカ、この三国を相手にしなければならなかった当時の日本の舵取りは困難でした。
 それでも、私は満州事変を戦国時代の幕開けとなった応仁の乱と捉えているため、どうしても石原莞爾に厳しい見方をしてしまいます。
 というわけで太田さんの石原莞爾評を要望いたします。
<太田>
 まず、私が石原を高く評価すべきと考えている点をあげておくと次の通りです。
 (時間の節約上、お示しの石原に係るウィキペディア(『』内は直接的引用)と過去コラムだけに拠りました。)
一、『東亜連盟(日本、満州、中国の政治の独立(朝鮮は自治政府)、経済の一体化、国防の共同化の実現を目指したもの)構想を提案し』たこと。
 この東亜連盟構想を支持した者は日本人だけでなく、漢人では繆斌工作で有名な蒋介石政権要人の『繆斌』、朝鮮半島人では在日本大韓民国民団会長の『�瀧寧柱』がいる。
二、関東軍『作戦主任参謀』として満州事変を実行し、満州を支那本体から切り離したこと。
 これは、東亜連盟構想を実現に移したものであり、『石原が構想していたのは日本及び中国を父母とした独立国(「東洋のアメリカ」)であった』
三、『1941年4月・・・国防学が軍人のものだという旧時代的な観念を清算して国民が国防の知識を得ることが急務という・・・立命館総長・中川小十郎』の招聘に応じ同大学の講師になったこと。
 その上で、ご主張の1と2についてですが、
 満州国の成立は日中戦争へと必然的に発展するとおっしゃるが、「日」とは何で「中」とは何なのでしょうか。
 私見ですが、当時の「日」は、特定の民族ではなく、東アジアにおける自由民主主義勢力(台湾と朝鮮半島を含む)であったのに対し、「中」も特定の民族ではなく、支那における旧漢文明勢力たる漢人、ということになろうかと思います。
 (当時の日本帝国臣民一般は、人種概念を超越していました。)
 私が「旧」漢文明勢力と記したのは、当時、支那では、この文明が既に崩壊しており、大きく分けて、旧来の独裁勢力(軍閥)、民主主義独裁たるファシスト勢力(中国国民党主流派)、同じく民主主義独裁たる共産主義勢力(中国共産党)、そして自由民主主義勢力(親日派)が割拠し、相抗争していたからです。
 満州国は、自由民主主義的支那を満州において先行的に実現に移したものであり、私は、満州国の『王道楽土』、『五族協和』(当然旧漢文明勢力が中心となる)理念が、次第に全支那を席巻していく可能性が高かったと考えています。
 なにゆえ満州において先行的に実現に移されたかと言えば、満州が朝鮮半島の接壌地域であり、既に関東軍も存在し、日本にとって軍事的に地の利があったことと、何よりも、対ソ戦略の観点から枢要な地域であったからです。
 なお、満州国は、米国発の世界大不況下、欧米列強による経済ブロック化が進行していた状況にあって、日本が必要とする資源を安定的に確保するためにも不可欠でした。
 次に、ご主張の3についてですが、石原が満州事変を下克上の形で実施したのはまことに残念なことでした。
 その結果をfait accompli(既成事実)として受け入れた上で、日本帝国政府は、一丸となって満州事変を実行しなかったことを痛切に反省しつつ、石原を始めとする満州事変の首謀者達を厳しく処断すべきであったのに、そのどちらも怠ったため、2.26事件が起きてしまったばかりか、内蒙工作を再び関東軍が下克上的に実施して大失敗をする、という羽目に陥るのです。
 また、ご主張の4についてですが、石原の『東洋の王道』『西洋の覇道』対置論は、彼が、当時の日本のエリートの一人として、ご他聞に漏れず、アングロサクソンと欧州の違いが分かっておらず、したがってまた、米国についても全く分かっていなかったことを示すものです。
 この歪んだ世界観から、彼は、日米戦争の不可避性などという誤った考えに到達したわけです。
 むしろ、当時の日本帝国は、自由民主主義圏の一員として、英国を牽制しつつ、日英再提携を模索し、その上でできそこないのアングロサクソンたる米国を善導するにはどうしたらよいかを考えなければならなかったのです。
 そして、当時においては、これが、ローズベルト米政権の下では不可能であると見きわめがついたはずであり、内蒙工作・・東アジアにおける対ソ緩衝地帯の全面的構築・・を政府一丸となって実施するとともに、最適の時期・・1940年末から41年初・・に対英(のみ)開戦を断行すべきだったのです。
 (「ロバート・クレイギーとその戦い」シリーズ(正・続)(コラム#3794、3796・3956、3958、3960、3964、3955、3968、3970、3978、3980))(続は未公開)、及び「帝国陸軍の内蒙工作」シリーズ(コラム#4002、4004、4006、4008、4010、4012)(いずれも未公開)参照。)
 最後に、5については、おおむねご主張に同感です。
 それでは、記事の紹介です。
 各党の参院選立候補者の一覧が出てた。
 小沢直系候補や一部タレント候補を除き、民主党の候補者、悪くないんじゃないかな。↓
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/koho/?from=yoltop
 「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が先月の訪中で、・・・胡錦濤国家主席に対し、中国が最近開発した最新鋭戦闘機「殲10」を北朝鮮空軍の主力戦闘機とするため、無償援助を公式要請したという。しかし、中国側は金総書記の要請を拒否するとともに、北朝鮮が攻撃を受けた場合、十分な支援を行う用意があり、北朝鮮が最新兵器を保有する必要はないなどと説得したという。
 金総書記は帰国直前に胡主席と歌劇「紅楼夢」の公演を観覧する日程をキャンセルした。・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20100617000022
 米軍における黒人士官差別の歴史が記されている記事が出てた。
 先の大戦当時の米軍がいかに差別の巣窟であったかが分かるよ。↓
 ・・・In 1877, Henry Ossian Flipper became the first African American graduate of West Point,・・・
 Henry O. Flipper was born into slavery in 1856 and gained his freedom after our bloody Civil War. In 1873・・・
 Flipper’s graduation was marked with curiosity, fanfare, and respect by some for his success as a cadet. That respect, however, did not readily translate into a successful Army career. Assigned to the Buffalo Soldiers of 10th Regiment U.S. Cavalry, Flipper was charged and faced courts-martial for embezzlement of funds. Though found not guilty of that charge, he was convicted of conduct unbecoming an officer for filing false official reports and was dishonorably discharged. After the Army, Flipper was a successful civilian engineer who would eventually serve in the Department of Justice and later would be a special assistant to the Secretary of the Interior.
 In 1976, before the centennial of his graduation from West Point, Flipper’s descendants filed for review of the courts-martial decision. The Army Board for the Correction of Military Records recommended setting aside the conviction and, as a result, the Army issued a Certificate of Honorable Discharge, citing the unjust nature of the proceedings and punishment. The story of Henry O. Flipper reached another Commander in Chief and in 1999, President Bill Clinton issued a pardon for him.・・・
 A 1925 study conducted by the Army War College offered the following conclusion:
 ”As combat troops under modern war conditions, [negroes] never rose to the standard of white units even when well led by white officers. The negro officers were educationally and in character far inferior to the whites, and troops under negro officers were unfit for battle against an aggressive and active enemy.”
It was not until the Class of 1936 that the fourth African American cadet graduated from West Point, Benjamin O. Davis, Jr. In 1940, his father, Benjamin O. Davis, Sr. became the first African-American general in the United States military. When World War II started, father and son were the only two African American line officers in the Army. ・・・
http://views.washingtonpost.com/leadership/panelists/2010/06/henry-flipper-at-west-point-from-slave-to-army-officer.html?hpid=smartliving
——————————————————————————-
<Fuku:翻訳>
≫もう100ポイント超えてません?≪(コラム#4075。太田)
 そうですね。今142ポイントだと思います。
 昨日結構がんばったので今日はちょっとだけです。
コラム#4075より。
 パキスタン唯一のノーベル賞受賞者はアハマディー(カディアニー)(コラム#4037、4067)だったんだね。↓
 ・・・アブドゥス・サラム(アブドゥッサラームとも)・ハーン博士はノーベル物理学賞を受賞したが、彼はパキスタン人としての誇りを持って、民族衣装を着て賞を受けとった。
 しかし彼はアフマディだったので、彼をたたえる記念碑はないし、彼の名前をとった大学もない。
 彼の墓石に刻まれていた「ムスリム」という言葉は消された。彼が埋葬されている街でさえ、我々の集団的記憶を消すために改名された。・・・
<太田>
 結構です。今回は6ポイントですね。
 そうすると148ポイントになりますから、ゆうゆう100ポイント以上であり、Fukuさんは、とりあえず、半年間、有料コラムの配信を受ける権利を獲得されました。
 ただし、この権利を行使するためには、(後出しで恐縮ですが)条件があります。
 有料コラムを申し込まれた方々同様、メルアドはもとより、お名前、性別、居住都道府県名、年齢帯を私宛ご連絡いただくことです。
 これは、有料コラム(バックナンバーを含む)中にプライバシーや名誉毀損に関わるようなものが含まれていることから、コラムを不特定多数の人々に公開しているわけではない、と擬制するためなので、ご理解たまわりたいと存じます。
<US:翻訳>
 <「米人の対英人コンプレックス」という、Fat Tailさんが提起された>テーマに関連して、#4071の下記を翻訳しました(今回も結局短いのを選んでしまいました)。
 run for と、stand for のところはこのような訳にしてみましたがいかがでしょうか?
******************
 BPの石油汚染問題での英米間の軋轢にからみ、両者の間の心理の深淵に分け入った記事が載っていた。↓
・・・“我々<(=米国人)>は未来を向いているが、彼ら<(英国人)>は過去を向いている。我々は選挙に向けて走る(run for)が、彼らは選挙に立つ(stand for)。我々は高らかにそして誇らしげに我々のアメリカ的なものを宣言するが、彼らは足を引きずり、彼らの英国的なものに遺憾の意を示す。我々は我々の成功を吹聴するが、彼らは彼らの失敗を自慢する。彼らが、“お会いできてうれしいです” というときは、たいがい、決してそんなこと思っていないときである。”・・・
 結局のところ、英国<は米英戦争の際に>我々の首都を焼いたのだ。そして、ジョージ W. ブッシュが2004年に再選したときの、デイリーミラー紙のあのヘッドラインを誰が忘れようか? “どうやったら、59,054,087人もの人間がこうもアホになれるのか?”・・・
<太田>
 せっかく苦心されたのに忍びないけれど、’We run for election; they stand for it.’ を「我々は大統領選に自ら立候補するが、彼らは首相を選ぶための議会選に立候補する。」と訳されたのは、ちょっと考え過ぎだと思います。
 ここは、地下鉄に関するsubwayとundergroundのように、立候補を意味する言葉が米英で単に異なっている、ということを言っているだけではないでしょうか。
 そこで、ちょっと厳しいようですが、8-10=-2 で-2ポイントですね。
<US>
 <記事全体の>原文も読みましたが、あまり論理だった内容ではなかったです。
 コンプレックスというより、ヒステリックな叫びに聞こえました。
 感情があらわになると、今まで隠していた心の中の深淵が見えてくるというという良い例だと思います。
 ただ、単に米国人(とくにこの人)はサッカーが好きじゃなく、英国人のサッカー好きを思いっきり皮肉っているだけなのかもしれません。最後の一文
 For diversion, there is a month of glorious soccer, often called a gentleman’s game played by thugs, which is a good way to describe the politics of two democracies from the same family.
のような皮肉は、米国人より英国人の方が得意で、今までの論調にちょっとしっくりきていないのであまり迫力が感じられません。
 ところで、添付↓のようなニュースを聞くと、<この記事は>実は、外国の一民間企業に1.8兆円を支払わせるための官民あげての恫喝の一つだったという気もしてきます
http://www.cnn.co.jp/usa/AIC201006170007.html
 “官民あげて”っていうことはないのかもしれませんが、米国人の行動原理がこういうものなのですね。
 コラム#0138
http://blog.ohtan.net/archives/50955695.html
で述べられている<米国独立のきっかけとなった>税金の話と同じ類の話に感じます。
<太田>
 これは鋭いご指摘をいただきました。
 これに免じて(失礼!)先ほどの-2ポイントを少しおまけし、今回は0ポイントということにいたしましょう。
——————————————————————————
<BERNIE>
 前回の東京での講演会の映像をニコニコ動画にアップしました。
 一部音声にお聞き苦しい箇所もありますが、少しでも講演会の雰囲気が伝わればと思いますので、ご覧頂ければ幸いです。
【防衛省OB】太田述正氏 講演 10/02/27 (1/2)【属国論】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11101678
【防衛省OB】太田述正氏 講演 10/02/27 (2/2)【属国論】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11101908
【防衛省OB】太田述正氏 質疑応答 10/02/27【安全保障】 
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11101974
 ついでにマイリストも作成しました。
 今後、充実していければと思います。
http://www.nicovideo.jp/mylist/19614691
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 6月26日の東京での講演(オフ)会参加ご希望の方は、下掲フォーム↓からお申し込み下さい。
http://www.ohtan.net/meeting/
<太田>
 撮影していただいた上に、編集していただき、かつアップまでしていただき、まことにお疲れ様でした。
 毎回、BERNIEさんだけで講演(オフ)会の映像の編集(撮影、アップを除く)をやるのは大変なので、自分もたまには手がけてもよいと思われた方は私宛ご連絡下さい。
 講演(オフ)会1回分を手がけるごとに、半年間、名誉有料会員扱いにさせていただきます。
————————————————————-
太田述正コラム#4078(2010.6.18)
<悪について(その3)>
→非公開