太田述正コラム#4079(2010.6.19)
<皆さんとディスカッション(続x868)>
<takahashi>
太田さんが評価する『東亜連盟(日本、満州、中国の政治の独立(朝鮮は自治政府)、経済の一体化、国防の共同化の実現を目指したもの)構想』は要するに汪兆銘路線ということですね。
だから、評価に値すると。
太田コラム「孫文(その4)」より引用↓
(4) 日本との提携路線
最後に登場したのは、汪兆銘(Wang Zhao ming。1883?1944年。汪精衛ともいう)に代表される路線です。汪は、「中国共産党は、コミンテルンの命令を受け、階級闘争のスローガンに代わるものとして抗日を打ち出してい<る>・・。コミンテルンが中国の民族意識を利用して、中日戦争を扇動している・・。<これは>謀略<だ>」
(上坂冬子「我は苦難の道を行く・上」講談社1999年 246頁)という認識を持っていました。
ところが1936年の西安事件の結果、蒋は第二次国共合作に同意してしまいます(コラム#178、#187)。
そこで1939年、「我は苦難の道を行く」(上坂前掲タイトル)と記した書簡を送って蒋と袂を分かった汪は、日本と示し合わせて南京政府を樹立します。そして、軍事・外交こそ日本頼みでしたが、行政、治安、経済、教育施策に意欲的に取り組み、困難な状況下で多大の成果をあげます(
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/official/doctor/d2000_34.html。アクセス)。
しかし、米国によって追い詰められた日本は、1941年にやむなく対米開戦してしまいます。
その時汪は「この戦争は間違いです。日本はアメリカと組んでソビエトと戦わねばならないのです。真の敵はアメリカではありません。しかし、こうして開戦した以上わが国民政府はお国に協力します。同生共死ということです。」
(小山武夫「私の見た中国大陸五十年」行政問題研究所1986年83頁
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog140.html(より孫引き))
と語り、自らと自らの路線の運命を読みきり、覚悟を決めるのです。
コリン・ロスは、1939年に「東アジアに居住する<日中>両民族の連合もしくは友好協力関係が実現される事態となれば、東アジア地域は世界最強勢力となるだろう。」(ロス前掲287頁)、「30年前の朝鮮<と>5年前の「満州国」・・は、今日の占領下の中国と非常によく似ていた。しかしその間に朝鮮、あるいは満州在住の日本人に対する感情は大いに改善された。同様のことが<占領下の中国>でも・・<まず>華北<で>起こるであろう。
米国が犯したこの深刻な過ちは、米国にとって、第一の原罪である黒人差別(コラム#225)と並ぶ第二の原罪と言ってもいいでしょう。そのどちらも、背景には米国の建国者たるアングロサクソンのアングロサクソン至上主義があるのです。
マクナマラ(コラム#213)ら以外の米国人は、一体いつになったらこの第二の原罪を直視するのでしょうか。
http://blog.ohtan.net/archives/50955599.html
要約
日本は東亜連盟(民主主義陣営)でソ連(共産主義陣営)に対抗するつもりだったが・・・
↓
結局、日本は中国の共産党シンパとファシスト(共産党と握手可)と泥沼の戦争へ
↓
アホでレイシストのアメリカ人がなぜか中国のファシストを応援
↓
追い詰められた日本がキレてアメリカと戦争(太平洋戦争)
↓
日本降伏後、アメリカが大東亜共栄圏(またの名を民主主義陣営)を防衛するはめに・・
↓
安全保障はアメリカまかせの日本は安楽椅子の果てに白痴化←今、ここ
◎太田さんの石原評のまとめ 石原莞爾は、東亜連盟構想までは良かったが少々、狂っているために日本が東亜連盟を率いてアメリカと対決する妄想にとりつかれていた。
それにしても太田コラムは奥が深いですね。
私は2005年くらいからの古参の読者ですが、過去ログを読み返すと自分が現代史すら、まともに理解していないことに気がつきます。
ただ個人的見解ですが、満州国もそうですが、日本が朝鮮半島や中国大陸に出て行くと必ずひどい目に合う気がします(笑)。
それにしても、石原莞爾は満州で勝手に軍を動かしたのだから、WWIIの後でもよいので腹を切るべきだったと思います。
<太田>
別段問題提起されるまでもなく、ご自分で回答を用意されていたってくらい太田コラム・バックナンバーにお詳しそうですね。
<Fat Tail>
–太田述正観察日記III:「日本型経済体制」について–
一、「多重の会員権のネットワーク」=「エージェンシー関係の重層構造」
太田さんの「日本型経済体制」論(コラム#0040、0042、0043等参照)に関し、その論点の幾つかが大変似ているのが、池田信夫著、『情報通信革命と日本企業』(1997年)です(1*)。
(下記のリンクでDL可能。開けない場合は二つ目のリンクを選択。)
http://hayek.cocolog-nifty.com/book.pdf
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/0f7e7c9871388eeaa02920cbef618cde
特に、同書では、太田さんの「エージェンシー関係の重層構造」という最も重要な概念に代え、「多重の会員権のネットワーク」という枠組みを用い、日本的取引慣行や日本企業の行動・制度を分析しています(第4章~第6章)。
同書では、資本関係や長期契約を伴わない下請けとの系列取引や終身雇用、あるいはメインバンクといった、明文化されていない非公式の会員権のネットワークの存在を、日本企業の特徴的なガバナンス体系、「契約によって規定されない非公式の調整」とし、論旨を展開しています(P.79、P.81)(2*)。
太田さんも「エージェンシー関係」を、「個人相互間・・・あるいは機関相互間、における大幅な裁量権を委ねた信頼関係に基づく依頼関係」としており(コラム#0042)、これが法的根拠を持つものではないとの含意が読み取れ、上記概念に極めて近いことが分かります(3*)。
二、万能ではない会員権のネットワーク
但し、信頼関係だけでは、機会主義的な行動を排除することは出来ません。他の会員=エージェンシーが機会主義的な行動を取らないと十分高い確度で期待出来、かつそうした認識が共有されており、そして会員であることによってもたらされるレント(超過利益)が、非会員であることよりも十分高いことが担保されている必要があります(P.68、69)。
この点から、
(i)企業文化や社会通念を共有する等、比較的会員=エージェンシー同士が同質であること、
(ii)会員権のネットワークが市場の大部分を網羅しており、どこかのネットワークに属していないと割りを食うという、秩序に強い自己拘束性が存在すること、
(iii)市場の競争は比較的激しいが、技術革新のスピードがある程度予想出来、中核部品等の開発・調達を会員権のネットワーク内で完結可能で、工程革新や品質管理に競争優位性が見出せる製品市場、
といった条件が必要になります(P.63、68~70、90、130~135)。
逆に、多様な新規参入者が多数存在する場合や、技術革新のスピードが極めて速く非連続的で予測が難しい場合等、会員権のネットワークを維持するよりも、外部調達した方が有利なケースが多くなれば、ネットワークがもたらす相対的なメリットが薄れ、その維持が難しくなっていきます(4*)。
これは、ネットワーク内での自己完結的な開発や独自規格に固執した日本のPCメーカー等の情報通信産業が競争力を失っていったことや、技術革新のスピードが極めて速い同産業において従来の会員権のネットワークを維持するメリットが低くなった状況を考えると、大変示唆に富んでいる指摘です(第7章、第8章、第9章)。
特に、基幹部品の標準化が進み、世界的規模で日本の閉鎖的な会員権のネットワークに代わる、より柔軟な「オープン・ネットワーク」化が実践されている市場では、日本企業の競争優位性は観察されていません(P.122)。
三、今後の日本社会の行方
こうした視点は、企業行動や制度の分析に利用出来るだけでなく、日本が今後積極的な移民政策を推進する(出来る)環境が整った場合、一時期より縮小したとはいえ、未だ日本社会の中核を占めるこうした会員権のネットワークの性格が変容することは避けられない、という点を浮かび上がらせます(5*)。
この対処方法として、ネットワークを移民も含めた形で再構築するのか(同化型)、ネットワーク型から「完全競争」型の社会に移行するのか、あるいは移民と日本人のネットワークが別個に成立し対立又は協調する併存型となるのか、今後議論すべき重要な論点だと位置付けられます。
四、留意点
同書のように、ゲーム理論を用いて企業行動や制度を分析することは、多くのケースでその形成過程を合理的に説明することを可能にし、安易に文化的背景に原因を帰着させるような議論とは一線を画しており、大変有益です。
しかし、同書でも指摘している通り、均衡に至る経路が一義的に決まらず、かつ複数の均衡が存在する場合、ある社会でどのようなシステムが採用されるのかは、結局歴史的に付与された「初期条件」が重要な決定要因となります(P.63)。
これは、「読者によるコラム:日韓の反目と安全保障」(コラム#2771)において、ゲーム理論的な枠組みで日韓関係の記述を試みた、ビクター・チャの日韓疑似同盟理論に対して、太田さんが「日本と韓国がかつて日本帝国の構成国であったことや、戦後の日本が米国の属国(保護国)であり続けているといった、歴史的/法理論的な事実を踏まえることが何よりも重要」と指摘している点を思い起こさせます(コラム#2775)(6*)。
歴史的に付与された「初期条件」の構成背景を把握し、日本型経済システムの起源を理解するには、日本のこうした「多重の会員権のネットワーク」=「エージェンシー関係の重層構造」も、江戸期にまで遡って考える視座が必要だ、ということを再認識させられます(コラム#0043)。
注記
(1*)同書では、「1940年体制」として知られる日本型経済システムの内、少なくとも雇用関係については、その説は妥当ではないとしています。戦時体制による一定の影響は認めつつも、協調的な労使関係の始まりは第一次世界大戦後に求められ、かつ長期的な雇用慣行は1930年代にはすでに一般化しつつあったと指摘しています(P.5、30、31)。系列関係も含め、こうしたシステムの中核が1950、60年代の労働争議や過小資本に対処するために、戦後生み出されたかもしくは完成したものだ(第3章、4章)、としている点が、「太田理論」あるいは「野口理論」との違いです。
(2*)「日本の大企業とその下請けの関係の深さと資本関係にはほとんど有意な相関がなく、親会社が下請けの株式を所有している比率は機械工業全体で18.7%に過ぎない」(P.56)という点からも、所有権アプローチから見た日本の系列関係の特殊性が伺えます。
(3*)なお、同書の末尾に挙げられている関連図書の内、太田さんの「「日本型経済体制」論 ――「政府介入」と「自由競争」の新しいバランス」を収めた「日本の産業5 産業社会と日本人」(筑摩書房1980年6月)は含まれていません。
(4*)各々のケースの典拠は省略しますが、同じ自動車企業である日産自動車と三菱自動車の「再建」は、日産が新しい株主の下で会員権のネットワークを縮小又は部分的に解体し外部調達を増加させたことによって成し遂げたのに対し、三菱は三菱グループという日本で最大規模の会員権のネットワークを総動員した結果達成した、と考えることが出来ます。
(5*)会員権のネットワークは、社会的に見て良いことばかりではありません。特に国際的な競争に晒されていないような会員権のネットワークに属している場合、ネットワークがもたらすレントを維持するために他の会員と協力して生産性を上げることを志向せず、既得権益を守るレント・シーキング(rent seeking)に陥ってしまうケースが少なくありません。自動車や家電ではネットワークが未だ有効に機能しているのに対して、建設・放送業界等では談合体質に堕してしまっていることが典型例です(P.141)。また、官庁は口頭の行政指導や天下りを通じて、こうした業界内の協調を維持する会員制メカニズムの要の役割を負っていたか、あるいは未だ負っていると考えられます(P.146)。
(6*)インターネット誕生の背景にも、「核戦争によって通信網が寸断された場合にも残った部分だけで軍事的な命令や情報の伝達が可能な分散型のネットワークとして、ランド研究所のポール・バランによって1960年代初期に提案されたもの」(P.109)という、軍事・安全保障上の要因が絡んでいたことを見るにつけ、こうした切口を自ら放棄した日本の「国是」に思いを致さざるを得ません。
<太田>
貴重な情報提供ありがとうございます。
お示しの池田関係の典拠に目を通している時間がないので、とりあえずの感想です。
第一に、確かに池田の説は、私の説によく似ているという印象を受ける。
第二に、池田の説に比べて、私の説の方が、政府の重要性をより強調しているように見えるところ、これは、(政治抜きの)日本型経済体制に着目したか(実質的に)日本型「政治」経済体制に着目したかの違いによるのではないか。
第三に、日本型経済体制の成立を、私は、「日中戦争から先の大戦の間の日本の経済体制の核心部分は、・・・持久戦体制・・・の基本的部分が実現したもの」(『防衛庁再生宣言』234頁)、『「1936年<時点の>日本の産業制度は、…資本主義…国家主義…共産主義…(といった)同時代のどんな国の制度とも似ていない」「日本はどの国家よりも統一された産業計画をもって(いる)」「日本の産業の頂点にあるのは、…産業統制である」・・・「日本(は、)…国際競争力の優位(に向けて、)国が一丸となって努力する…それは、どの国もまねができない」」(同234~235頁)といった記述からお分かりのように、(満州国成立からそれほど時間を置かない)1930年代中頃であると考えており、これは野口よりは少なくとも5年以上前であり、それが一気に成立したわけではないとしているようにうかがえるところの池田とも違います。
ちなみに、日本型経済体制の「政治」の方が成立したのは、1932年の挙国一致内閣の成立(いわゆる政党内閣の終焉)によってであり、完成したのは1940年の大政翼賛会の成立であって、戦後の55年体制は、戦前の挙国一致内閣/大政翼賛会の継続である、というのが私のかねてよりの考えです。
<通りすがりのPD>
いつも面白く拝見しております。
太田先生は現代思想にあまり関心は無い、とのことですが、
ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
とその顛末をまとめた労著である
「知の欺瞞」
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%AC%BA%E7%9E%9E%E2%80%95%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%BF%AB%E7%94%A8-%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB/dp/4000056786/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1276878673&sr=8-1
について御存知でしょうか?
もし御存知でしたら、是非とも御感想をお伺いしたいと存じます。
…きっと面白いご意見を拝聴できるだろうと期待しておりますので…
<takahashi>
太田コラムの恐るべき効用。
日本の人文・社会科学の学者のレベルに常に疑いの目をむけるようになったこと。
内田 樹 専門はフランス現代思想、ユダヤ人問題から映画論や武道論まで幅広い。仕事の依頼が殺到しており・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9
半年ほど前、なぜか内田 樹ブログの過去ログを漁っていたら(笑)、<どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか>というテーマを発見。
http://blog.tatsuru.com/2009/11/24_1159.php
たかがブログとはいえ、このシブすぎる中身に脱帽。
『・・・なにしろ軍事の要諦とは「敵を作らない」ことと「隙を作らない」ことなのであるが、秀才軍人たちは「敵を作ること」と「隙を作る」ことをほとんど本務として職務に邁進したのだから。』だそうです(笑)。
それにしてもなぜ「仕事の依頼が殺到しており」となるのか謎です???
フランス現代思想が悪いのか学者が悪いのか、それとも両方か?
私は教養がないのでフランス現代思想が何なのかわかりましぇーん。
それでも正解だけは知っています。
答え 不毛
<太田>
ソーカル事件については、過去に(コラム#3041、3564で)既に話題になってますよ。
通りすがりのPDさん、検索ぐらいかけてから投稿しましょう。
なお、その他のことは、takahashiに任せでよさそうですねえ。
それでは、記事の紹介です。
AV女優蒼井そらの大活躍。中共の日本化(縄文モード化)がどんどん進んでいる?↓
http://j.peopledaily.com.cn/94475/7030377.html
北朝鮮のナショナル・サッカー・チームの一員としてワールド・カップに出場した鄭大世ら在日朝鮮人の永住権を剥奪する措置を講じるべきではないか?↓
http://www.chosunonline.com/news/20100618000040
http://www.chosunonline.com/news/20100618000041
英米間の軋轢と言えば、こんなのもあったのね。↓
・・・a furious row between Henry Kissinger, then Nixon’s national security adviser, and the British prime minister, Edward Heath. The irascible and arrogant Kissinger suspected Heath of valuing the UK’s European partners more than the US and instructed the NSA and CIA to suspend intelligence cooperation with GCHQ and MI6 – a move, Aldrich comments, which “sent shock waves through the British establishment”. ・・・
Relations between London and Washington were not improved by Heath’s decision to adopt a policy of strict neutrality during the 1973 Yom Kippur war and refusal to allow the US to use Britain’s spy and air bases on Cyprus.・・・
http://www.guardian.co.uk/books/2010/jun/19/gchq-intelligence-richard-aldrich
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6月26日の東京での講演(オフ)会参加ご希望の方は、下掲フォーム↓からお申し込み下さい。
http://www.ohtan.net/meeting/
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<US:翻訳>
ちょっと長めのものにトライしてみました。
コラム#4073より。
民主主義(ポピュリズム)がインドの経済発展を妨げている、と指摘してきたところだが、鉄道を例に、そのことが詳述されている。↓
ムンバイ、インド - S.K.サハイ商会は、4、5日もあれば、コンテナをシンガポールから4,400キロ離れたここ、ムンバイの港まで船で送り届けることができる。ところが、ここムンバイからの次の行程である、ニューデリーまでの鉄路による1,400キロには、たいてい、2週間以上もかかってしまうのだ。
保管料金及び鉄道貨物料金を計算し、サハラ氏は、ムンバイからデリーまでの商品輸送のコストを1コンテナあたり最大840ドルと見積もっている。これは、シンガポールからムンバイまで、コンテナ(一つではない)を運んだコストの実に約3倍に匹敵する。・・・
評論家たちは、政府の指導者たちが、自分の国において将来にわたって必要となるものに対する投資よりも、むしろ選挙で勝つことや特定有権者の言うことを聞くことのほうにより強い関心を持っているため、インド鉄道の延伸と近代化は遅々として進んでこなかったと言う。それは、中国がその独裁的体制のもと、経済発展を目指して否応なしに指図できる強制された行軍であるのに対し、インドの騒々しい民主主義の政情はその対極にあることを示すいくつかの証左の一つである。
・・・インド鉄道の軌道はあまりにも軽量で、機関車はあまりにもパワー不足であるため、列車は5,000トンを越える積荷は運搬できない。米国、中国およびロシアの列車が20,000トンの運搬能力があるというのにだ。
インドにおけるもっとも高速な旅客列車であるラージダニとシャタブジでさえ、その最高速度はたったの時速160キロである。合衆国のアムトラック・アセラでさえ、数分のうちに時速241キロに到達できるというのにだ。一方では、中国の新幹線が、平均時速346キロの猛スピードで勢いよく進むというのにだ。・・・
・・・ほとんどの鉄道大臣は・・・鉄道に対する限りある資源を、貨物事業を犠牲にして、乗客のための助成金に集中して投下してきた。
旅客事業が昨年は約40億ドルの損失を被ったにも関わらず、政府は7年間にわたり、運賃を値上げしてこなかった。そして、年3.8から13%の幅のインフレに直面しているときに、いくつかの価格についてはさらに引き下げてきたのだ。・・・
乗客の旅行に助成金を支給するために、鉄道会社は、世界でもっとも高い貨物運賃料率表のいくつかを採用している。 インド鉄道は、1トンのものを1キロ運搬するのに395ドル請求してくる。 - これは、米国の会社が請求してくるものの4倍であり、中国の2倍にあたる。・・・
≫インドの場合、かつての英国や日本のように、参政権を国民の教育度、成熟度に応じて漸進的に拡大していくというオプションがとれなかったことによる悲劇でしょうね。≪(コラム#4073。太田)
翻訳した#4073のインドの記事を読んだ当初、道路や新幹線整備を訴えてきた自民党政治も似たように人気取り公約を掲げてきただけなのに、日本の場合はここまで発展してこれて、なぜインドではだめなのかよくわかりませんでした。
無駄な道路、鉄道あるいは新幹線も多いですが、日本経済を支える重要なインフラとして今も活躍できているのは、政治家も国民もそれなりの教育度、成熟度にあったからなんですね。
ほんと、そうなんですかね?
インフラ未整備の当時の日本においてたまたまポピュリズム的公約とインフラ整備のニーズがたまたま一致しただけじゃないでしょうか?
インフラ整備がほとんど終わったころから両者は一致してこなくなってきたので、箱物行政は、ポピュリズム的なメッセージにならなくなってきたのではないでしょうか。
特定団体に属さない選挙に無関心な多数の一般有権者のおかで、特定有権者だけのための空港や整備新幹線を訴えても選挙で勝てるため、自民党政権末期のころは、作った後に後悔するようなものが多くなってしまったってことだと思っています。
その無関心な多数の一般有権者の心をつかんだ民主党のかずかずのばらまき政策
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/pdf/manifesto_2009.pdf
ですが、その中でも、「子供手当て」は財源も確保できていなかった大うそつきのまさにポピュリズム的政策と思います。
しかしながら、長期的視野にたてば子供への教育投資は、国家の存続意義に係る重要なことなので賛成・・・子持ちなのでとても助かっています。
<太田>
過早に民主主義を導入すると、貧者による富者の収奪が起こり、貧者は収奪したカネを消費だけに使ってしまう、という(イギリス人が自国の民主主義化に関してかつて恐れた)事態が起こるということです。
マルクス主義的に言えば、資本蓄積が行われないため、拡大再生産
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%93%84%E7%A9%8D
ができなくなるということであり、寓話的に言うと、すべてを消費してしまうキリギリスはせっせと投資に励むアリに負けてしまう、ということです。
子供手当のねらいは、人的資本の蓄積ですから、ねらい通りに子供が増えれば、これはポピュリズム的政策とは言えないでしょうね。
なお、今回の翻訳は大変結構でした。27ポイントですね。
<Fuku:翻訳>
≫Fukuさんは、とりあえず、半年間、有料コラムの配信を受ける権利を獲得されました。≪(コラム#4077。太田)
ありがとうございます。
≫ただし、この権利を行使するためには、(後出しで恐縮ですが)条件があります。 有料コラムを申し込まれた方々同様、メルアドはもとより、お名前、性別、居住都道府県名、年齢帯を私宛ご連絡いただくことです。≪(同上)
お問い合わせフォームから連絡申し上げましたのでよろしくお願いします。
コラム#4075より。
メキシコの麻薬戦争は一層エスカレートしている。↓
・・・政府の報告によると、カルデロン大統領が初めて街へ軍を送り込んだ2006年12月以降、23000人以上の人々が麻薬にからんだ暴力で命を落とした。・・・
・・・専門家が推定するところでは、毎年100億から250億ドルの麻薬の収益が北(=米国)からメキシコに流れ込んでいるという。米国で消費されるコカインの約90%がメキシコを通って運ばれる。メキシコからはまた、米国の諸都市で売られるマリファナとメタンフェタミンの少なくとも半分が密輸されている。対して、麻薬カルテルが使う手榴弾や軍用アサルトライフルなどの武器は米国からメキシコへ密輸される。・・・
・・・麻薬カルテルとの戦いはオバマ政権と米議会から支持されており、彼らは警察の訓練、司法制度改革や、麻薬犬、装甲車、暗視ゴーグル、軍用ヘリブラックホークの提供のために13億ドルを捧げてきた。・・・
コラム#4077より。
米軍における黒人士官差別の歴史が記されている記事が出てた。
先の大戦当時の米軍がいかに差別の巣窟であったかが分かるよ。↓
・・・1877年、ヘンリー・オシアン・フリッパーがアフリカ系アメリカ人として初めてウェスト・ポイント(の米陸軍士官学校)を卒業した。・・・
ヘンリー・O・フリッパーは1856年奴隷として生まれ、血なまぐさい南北戦争の後に解放奴隷となった。・・・彼が卒業したとき、士官学校生徒としての成功に対してもの珍しく思ったり、祝福したり、敬意を払う人もいた。しかしその敬意は直ちに陸軍での成功に繋がりはしなかった。第10騎兵連隊のバッファロー・ソルジャーズに配属されたフリッパーは、資金使い込みの容疑で告発され軍法会議にかけられた。彼は、そのような罪を犯してはいないと判明したのだが、誤った公式報告を提出するという士官にあるまじき振る舞いをしたとして有罪とされ、不名誉除隊になった。陸軍を去ってから、フリッパーは土木技師として成功し、ついには司法省に勤めたり、のちには内務省長官の特別補佐官をつとめることになる。
1976年、彼のウェスト・ポイント卒業百周年の前に、フリッパーの子孫が軍法会議の決定の見直しを申請した。陸軍記録訂正委員会は有罪判決を無効にすることを勧告した。その結果、陸軍はフリッパーの名誉除隊証明を発行し、一連の法的手続きと処分が不当なものだったことを確証した。ヘンリー・O・フリッパーの物語はもう一人の米軍最高司令官の耳にも届き、1999年、ビル・クリントン大統領は彼に恩赦を与えた。・・・
陸軍大学校によって行われた1925年の調査は次の結論に達した。「戦闘部隊が近代のような戦争条件の下にあるとき、[黒人たちは]白人将校によってうまく指揮された場合でさえ、決して白人部隊の基準に達することはできなかった。黒人将校は教育を受ける場合においてもその性格においても白人よりはるかにおとっていた。そして黒人将校に率いられる部隊は、攻撃的で積極的な敵と戦うには能力に欠けていた」
ウェスト・ポイントを卒業する4人目のアフリカ系アメリカ人生徒が現れるには、1936年の卒業生ベンジャミン・O・デイヴィス・ジュニアまで待たなくてはならなかった。1940年、彼の父親ベンジャミン・O・デイヴィス・シニアは米軍で最初のアフリカ系アメリカ人将軍となった。第二次世界大戦が始まった時点において、陸軍で親子2代でアフリカ系アメリカ人将校だったのはこの父と息子だけである。・・・
この文章は長いわ難しいわで非常に苦戦しました・・・・・・
<太田>
頑張ったけど、後の方の記事、大したことないところでちょっと雑な訳でしたね。
「・・・彼の卒業をもの珍しく思ったり、祝福したり、その成功に対して敬意を払う人もいた。」→「・・・彼が卒業したとき、士官学校生徒としての成功に対してもの珍しく思ったり、祝福したり、敬意を払う人もいた。」
と手を入れました。
13+31-10=34。よって今回は34ポイントです。
————————————————————————–
一人題名のない音楽会です。
今回は、アイーダの続篇です。
ところで、今、劇団四季でミュージカルの『アイーダ』やってんですね。
http://www.shiki.gr.jp/applause/aida/
なるほど、日本じゃこういうノリで売り込んでるのか。
http://www.shiki.gr.jp/aida_love/
ミュージカルのは曲(エルトン・ジョン作曲)が全然違うけど、筋は同じです。
(下で登場するソプラノ歌手Leontyne Priceが書いた歌劇『アイーダ』の子供向け翻案物語がこのミュージカル『アイーダ』の元になりました。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Aida_(musical)
さて、オペラの『アイーダ』に戻りましょう。
ActIII
O patria mia
Leontyne Price 歌唱
http://www.youtube.com/watch?v=fTuvi2IgFSk&feature=related
l’aria di Amonasro Questa assisa ch’io vesto
Giuseppe Valdengo 歌唱、Toscanini 指揮
http://www.youtube.com/watch?v=Jhp8HfEqg6g&feature=related
ActIV
La fatal pietra
R.Tebaldi/S.Loren-G. Campora/L. Marra 歌唱/演技
http://www.youtube.com/watch?v=vUjgBXaK_zo&feature=related
O terra, addio
RENATA TEBALDI-MARIO DEL MONACO 歌唱
http://www.youtube.com/watch?v=jdrbEVZszxc&feature=related
LUCIANO PAVAROTTI-MARIA CHIARA 歌唱
http://www.youtube.com/watch?v=ALltYrgupRs&feature=related
『アイーダ』を鑑賞した時、子供ながら、舞台の豪壮さ、ヴェルディの音楽の素晴らしさに目を見張りつつ、登場人物に感情移入して酔いしれた記憶があります。
人として生まれてきた以上、一度はラダメスとアイーダのような激しい恋をしたいものですね。
(完)
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太田述正コラム#4080(2010.6.19)
<悪について(その4)>
→非公開