太田述正コラム#3894(2010.3.18)
<科学と自由民主主義(その1)>(2010.6.25公開)
1 始めに
米国屈指の科学著述家で大学教授のティモシー・フェリス(Timothy Ferris)が上梓した ‘THE SCIENCE OF LIBERTY Democracy, Reason, and the Laws of Nature’ が米国で評判です。
彼の考え方は、いささか米国的バイアスがかかってるけれど、結構面白い話が出てくるのでご紹介しましょう。
A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/05/AR2010030501713_pf.html
(書評(以下同じ)。3月14日アクセス)
B:http://www.nytimes.com/2010/02/14/books/review/Rosen-t.html?pagewanted=print
(3月18日アクセス。以下同じ)
C:http://articles.sfgate.com/2010-02-28/books/17958687_1_timothy-ferris-science-partisan-politics
D:http://www.foreignaffairs.com/print/66108
E:http://www.cceia.org/resources/transcripts/0261.html/:pf_printable?
(紹介と著者による講演と質疑応答)
2 科学と自由民主主義
(1)序
「<この本>の中で、ティモシー・フェリスは、科学は、自由主義と民主主義の勃興の背後の霊感(inspiration)であった、と主張するとともに、今度は、科学が栄えたのは民主主義による奨励あったればこそである、と主張する。
教授として、フェリスは科学革命と啓蒙主義との協同的進化(co-evolution)について探求し、科学が自由主義的、ジェファーソン型民主主義に直接つながっていることを指摘するとともに、今日我々が抱懐するところの、啓蒙主義によってもたらされた政治的自由が科学革命の直接的産物であることを指摘する。
彼は、トマス・ジェファーソンとベンジャミン・フランクリンのような啓蒙主義の思想家や政治指導者が単に科学によって影響されていただけでなく、一定程度彼等自身、科学者でもあったことを思い起こさせてくれる。
<著者>は、いかに政治的自由と科学的前進とが相互に強化しあうことによって社会が全体として裨益したかを示すことを大いに楽しんでいる。・・・
最終的に、彼は、我々のもののような民主主義を科学実験室に準える。・・・」(E)
「・・・民主主義は科学なしで栄えることができるだろうか?
科学は民主主義なしで栄えることができるだろうか?
ティモシー・フェリス・・・のこの二つの問いへの答えは、明確かつ断言的な「否」だ。・・・
フェリスは、ナチスの科学の分析を行う前に、第一次世界大戦前のドイツを特徴付けた「自由で進歩的な改革」の短い期間を思い起こす。
当時、マックス・プランク(Max Planck)が量子物理学を樹立し、ヴィルヘルム・レントゲン(Wilhelm Roentgen)がX線を発見し、アインシュタインがその一般相対性理論を出版した。
それから、戦争の後、ヒットラーが権力を握り、ホロコーストの犠牲者達ともども真の科学は殺害された。
総統は、宇宙に関する彼の「科学的」見解を奨励した。
すなわち、・・・星が氷でできており、核兵器は「ユダヤ的科学」であり、学校で科学を教えることは「最も重要度が低い」とされたのだ。・・・」(C)
「・・・<こういったフェリスの主張は、>知識、革新、自由、そして社会的前進が手を携えて進むとの啓蒙主義的確信に根ざした古からあるテーゼである<、とも言えそうだ。>・・・」(D)
(2)科学/自由民主主義
「・・・真の科学的営みは、400年前に始まった。・・・
・・・それは一種のフィードバック回路であり、何かの観念を思いついた場合、それは実験によって検証される。・・・
すなわち、科学の本質は、実験を行うことなのだ。・・・
<そういう意味では、>あらゆる科学的知識には条件がついている。・・・
他方、自由主義ということで私が意味しているところのものは、古い型の古典的な本来の自由主義、つまりは、(イギリスの1689年の権利の章典(Bill of Rights)と米国の1789年の権利の章典に法典化されているところの、)全人類が不可譲の権利を保有しているとするとともに、これらの権利は法の下で平等である(これらの権利は単に一つの市民達の範疇に属するものではない)とし、かつ、これらの権利を切り詰めると脅すかもしれない或いは実際に脅す、大きな政府を含む、組織の権力を制限しようと試みることが望ましいとする、明確な政治哲学だ。・・・
さて、生きている自由主義は、科学と幾ばくかの近似性を有する・・・。
・・・自由民主主義とは、すなわち、多数派がどんなことに票を投じてもよい・・ただし、個人の権利を侵さない限り・・ということであり、自由民主主義においては、常続的に実験を行っていることになるからだ。
誰かを何かの公職に選出するたびに、そして立法府が法律を通すたびに、一種の実験を行っていることになるのだ。・・・
科学と自由主義が共通しているのは、そのどちらも自ずから反専制的であるという点だ。
・・・そのどちらも自己矯正的システムだ。・・・」(E)
「<そのどちらも>実力主義的(meritocratic)であり協同的(collaborative)だ。
著者が尊崇する人物うちの一人のジョン・デューイ(John Dewey)は、「探求の自由、種々雑多な見解への寛容、通信(communication)の自由、発見されたことの究極的な知的消費者たる全ての個人に対する分配」は、全て、「科学の手法においてと同様、民主主義の手法においてもつきものである」と記している。・・・」(B)
「・・・<そして、その>どちらも・・・<投入>知的資源の最大化を求める。
だから、そのどちらも教育に熱心だ。
ジョン・ロックは、教育について夥しく書き記した。
それは、欧米の歴史を通じて常に知識人によって執拗に侮辱されてきた普通の人々・・本当にそんな輩・・に権力を付託しようというのなら、公教育の適切なシステムを持つ必要があることを彼が自覚していたからだ。・・・」(E)
(続く)
科学と自由民主主義(その1)
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