太田述正コラム#4060(2010.6.9)
<米国の倨傲(その2)>(2010.7.9公開)
3 コメント
(1)安全保障の性格の変化に鈍感
「・・・ベトナムとアフガニスタンは第一次と第二次の世界大戦のような国家対国家の軍事戦争ではない。
これは、勝ち負けといった基本的なことが、国内において異なった形で話題(play)となり、米国政府(及び有権者達)にとって戦うに値するものは何であってそれがいかに戦われるべきかについての微積分学が変更される、ということを意味する。
換言すれば、米国の有権者達は、以前の諸戦争が終わったところの無条件降伏に比して、アフガニスタンの対叛乱戦争においては何か非常に異なった帰結を期待するということだ。・・・
ベイナートは、・・・戦争、戦闘、そして安全保障の性格(nature)が・・・<こういったように>根底的に変化した<ことにほとんど目を向けていない。>・・・」(B)
→ベイナートも、そしてベーナートを批判するこの書評子もどちらもピンボケ度ではいい勝負だ。
この書評子は、ベトナム戦争が国家対国家の戦争ではないと思っているようだが、それが北ベトナムと米国との戦争であったことは明らかだからだ。
ただし、米国のそれまでの戦争と違っていたところもある。
それが、米国の共産主義国家との初めての戦争であったという点だ。
北ベトナムの場合は、ナショナリズム国家でもあった。
世界でナショナリズムを「復興」させたのはウィルソン米大統領であったし、第一次世界大戦後、ロシアが突然変異をして新しく出現した共産主義の脅威に対して、第二次世界大戦が終わるまで、一貫して拱手傍観し続けたのも米国の歴代政権だった。
米国が犯したこの二つの大きな過失がもたらしたものが、ブーメランのように米国を襲ったのがベトナム戦争である、と彼等は受け止めるべきだろう。(太田)
(2)第二次世界大戦から目を背けている
「・・・ウィルソン<大統領>の失敗した事業(project)の帰結が第二次世界大戦だった。・・・」(B)
「・・・外交官でありかつ学者であったジョージ・ケナン(George Kennan)によって明確に表現されたところの、ソ連に対する狭い政治戦略である封じ込めなるドクトリンは、全球的共産主義に対する軍事戦略へと変身して行った。・・・」(A)
「・・・「支配の倨傲」が米国の兵士達をメソポタミアへと投げ捨てさせ<る>・・・前にやってきていたのが「力の倨傲」だ。
これは、ミュンヘンと宥和政策の過度に学ばれた教訓の後、米国はソ連を封じ込めるだけではなく、全球において共産主義と戦わなければならないという信条だ。
それを更に遡ると「理性の倨傲」だ。
これは、ウッドロー・ウィルソンの、第一次世界大戦での勝利により、米国は、ルールに則った平和と理性の全球的なシステムを創造することが可能になるだろうとの妄想だ。・・・」(D)
→米国の「(人種主義的帝国主義)イデオロギーの倨傲」が東アジアを中心に大災厄もたらした第二次世界大戦(における日米戦争)をベイナートが素通りし、しかもそのことをどの書評子も問題視していないことには呆れてしまう。
米国の知識人で、米国のこのいわば原罪を直視しようとしない者がいなくなる日が来るのが早からんことを、米国のためにも願っている。(太田)
4 終わりに
すぐ上の書評子は、米国がケナンの考えに従うべきだったと主張していますが、私はそうは思いません。
ケナンが、1946年の非公開の「長い電報」、及び1947年の公開の「ミスターX論文}で米国における政府内外の対ソ観に決定的な影響を及ぼした
http://en.wikipedia.org/wiki/George_F._Kennan
後、1950年にマクマレーの「メモランダム」を読んで、激しい共感を覚えたのは、日本が戦前において追求していたのは対ソ(対露)封じ込めであり、それがまさに彼が米国自身が追求すべきであると考えていたものと合致していたためです。(『平和はいかに失われたか–大戦前の米中日関係もう一つの選択肢』原書房12~13頁)
マクマレーは、(東アジアにおいて現実主義外交ではなくイデオロギー外交を行うことで)そのような日本の足を引っ張った米国政府を批判したわけですが、ここで我々が押さえておくべきは、戦後の米国のソ連封じ込めは、日本が東アジアで戦前やってきたことを受け継ぎ、それを全世界を舞台に遂行したものであるということです。
さて、ケナンの問題点は、彼が、戦前の日本の対ソ政策の全体像を参考にしようとした様子が見られないことです。
つまり、日本は、ソ連を領域的・イデオロギー的複合脅威であると認識していました。
だからこそ、「1925年1月のソビエト連邦との国交樹立(日ソ基本条約)により、共産主義革命運動の激化が懸念されて、」治安維持法が「1925年4月22日に公布され、同年5月12日に施行」されたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%AE%89%E7%B6%AD%E6%8C%81%E6%B3%95
ところがケナンは、ソ連をもっぱら領域的脅威と見たのです。
その後、米国は、ケナンの主張を乗り越え、ソ連を領域的・イデオロギー的複合脅威として、(すなわち、あたかも戦前の日本が全面的に乗り移ったかのような形で)遂行して行くことになります。
http://en.wikipedia.org/wiki/George_F._Kennan 上掲
してみれば、米ソ冷戦とは、軍事面での帝国陸軍の統制派のソ連封じ込め、及び政治面での日本の内務省的イデオロギー対策からなる対ソ戦略の拡大焼き直し版以外の何物でもない、と言ってよいでしょう。
そして、1950年代の米国を吹き荒れたマッカーシー旋風
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_McCarthy
は、さしずめ、共産党音痴であった未成熟な米国の成熟化、すなわち、対ソ戦略の日本化にあたって米国において発生した集団ヒステリー現象であった、ということになるでしょうね。
(完)
米国の倨傲(その2)
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