太田述正コラム#4084(2010.6.21)
<グラマー(性的魅力)について(その2)>(2010.7.21公開)
(3)グラマー概念の確立:各論
「・・・銀幕のスター達はぴかぴかのサテンのラメが散りばめられ、ダイヤモンドやスパンコール付きの、しなやかで体の線をいかしたドレスを着て、柔らかい毛皮で身体を覆った。
映画『Grand Hotel (1932)』の中で女性が耳の先端まで毛皮にくるまれてロビーを漂い歩く姿、あるいは、ジョセフ・ヴォン・スターンバーグ(Josef von Sternberg<。1894~1960年。ウィーン生まれの米国のユダヤ系映画監督
http://en.wikipedia.org/wiki/Josef_von_Sternberg (太田)
>)の『Blonde Venus』<(1932年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Blonde_Venus (太田~
>の中で「毛皮に捕らわれたヴィーナス」として忘れがたく描写されたマレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich<。1901~92年。ドイツの俳優・歌手で米国籍を取得
http://en.wikipedia.org/wiki/Marlene_Dietrich (太田)
>)を思え。・・・
もう一つお定まりの映画スターのイメージは、化粧台の前で、絹製の日本の着物を着て化粧品と香水の瓶の斉揃いに取り囲まれているというものだ。
ハリウッド映画は、戦間期の英国の若い女性達を信服させる影響力を行使した。
だから、「映画宮殿(picture palace)」が「夢工場」と形容されたことは驚くに当たらない。
願望、求愛のパターン、衣類、ヘアスタイル、そしてメーキャップは、ことごとく映画の影響を受けた。
『ガールス・シネマ(Girls’ Cinema)』、『ミス・モダン(Miss Modern)』、『フィルム・ファッションランド(Film Fashionland)』、『ウーマンズ・フィルムフェア』(Woman’s Filmfair)』といった新しい雑誌が最新のファッションを米国から英国にもたらし、ハリウッドに鼓吹された化粧品の広告を載っけてきた。
道徳主義者達は、米国流グラマーのアピールについて首を傾げたが、それを押しとどめることはできなかった。
「女優のように見える工場の女工達」が時の徴となった。・・・
スターンバーグ映画において、バーバラ・スタンウィック(Barbara Stanwyck<。1907~90年。米国の俳優
http://en.wikipedia.org/wiki/Barbara_Stanwyck (太田)
>)、ジーン・ハーロー(Jean Harlow<。1911~37年。米国の映画俳優で1930年代のセックスシンボル
http://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Harlow (太田)
>)、そしてディートリッヒらの女優は、若干の素晴らしく積極的な、時には逸脱気味の役割を演じた。
スターンバーグの映画群におけるディートリッヒらの演技は映画的グラマーの頂点だった。
漆黒の(jet)コック(Coq< de Leon雄鳥
http://www.bearlodgeangler.com/coq_de_leon.htm (太田)
>)羽できらびやかに<着飾って>、『上海急行(Shanghai Express)』<(1932年。北京から上海へ向かう列車が舞台)
http://en.wikipedia.org/wiki/Shanghai_Express_(film) (太田)
>の夜汽車の通路を滑るように進ん(pullulate)だり、或いは、『深紅の急行(Scarlet Empress)』<(1934年。ロシアのエカテリーナ大帝の生涯を描く)
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Scarlet_Empress
>の中で勢いよく群がる羽のようなシダ・シュロなどの葉(frond)を身につけて魅惑したりするディートリッヒの性的沈着さには誰も抗えなかった。
それは明確に経験の産物だった・・私<(=ディートリッヒ)>の名前を上海リリーに変えるには一人の男だけではすまなかった・・のであり、それを間違いなく世間体と在来型の徳の埒外に置いたのだ。・・・」(B)
「・・・最もグラマラスな時代である1930年代のハリウッドを定義した女性達と恋に陥らないなどということはおよそ不可能だ。
豹皮の革張りのランチア(Lancia<。1906年に設立されたイタリア・トリノを本拠地とする高級自動車メーカー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A2 (太田)
>)車を運転したグロリア・スワンソン(Gloria Swanson)、『深紅の急行』の中でダイハウスが描写するところの「銀幕の上で柔らかい羽の�嫣とシダ・シュロなどの葉からなり、ほとんど滑るように進むように見える羽のようなネグリジェ」を纏ったマレーネ・ディートリッヒ、赤い狐の毛皮に包まれたキャロール・ロンバード(Carole Lombard<。1908~42年。米国の俳優
http://en.wikipedia.org/wiki/Carole_Lombard (太田)
>)、『ゴールド・ディッガーズ(Gold Diggers)』の中で金貨でできた衣装を着たジンジャー・ロジャース(Ginger Rogers<。1911~95年。米国の俳優
http://en.wikipedia.org/wiki/Ginger_Rogers (太田)
>)。
グラマーとは、外見(appearance)、態度(attitude)と願望(aspiration)の三つに係るものなのだった。
「論争の余地のないハリウッド・グラマーの遺産は、それが女性の見てくれ(looking)、女性であること(being)、そして女性の生き様(living)の新しい様式(ways)を指し示したことだ」とダイハウスは記す。
銀幕のヒロイン達はグラマーを法典化したかもしれないが、ダイハウスの主張で枢要な事実は、それは天賦のもの(innate)ではなく獲得される(attained)ものだということだ。
売れっ子になるまでに、ジョーン・クローフォード(Joan Crawford<。1905~77年。米国の俳優
http://en.wikipedia.org/wiki/Joan_Crawford (太田)
>)とグレタ・ガルボ(Greta Garbo<。1905~90年。スウェーデンの俳優で米国で活躍
http://en.wikipedia.org/wiki/Greta_Garbo (太田)
>)は、「歯を相当手入れした」し、後者が1920年に米国に到着した時には、「さして魅力のない顔つき」をしていた。
マレーネ・ディートリッヒは、親知らずを抜いたり彼女のトレードマークのくぼんだ頬にするため美容整形を始めた。
「グラマーは、私のウリであり、私の商売道具なのよ」とディートリッヒは言った。
天然の美とは違って、グラマーは獲得できるのであって、100パーセント民主主義的なのだ。・・・」(E)
(続く)
グラマー(性的魅力)について(その2)
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