太田述正コラム#4098(2010.6.28)
<2010.6.26東京オフ会次第(その2)>(2010.7.28公開)
3 そのほか、「講演」で語ったこと
 細かくなるので、「講演」原稿では書きわけなかったが、「コモンセンス」に載せた論考は、中川八洋と一緒に書いたものではない。
 この論考は、グローバルな軍事バランスを見ると、西側陣営がソ連圏よりも明確に優位にあることを指摘したものであり、極東における軍事バランスに焦点をあてたものではないが、いずれにせよ、既に当時、中川は、ソ連脅威論に立脚しており、一緒にそんなものを書けるはずがなかった。
 ただし、小学館への橋渡しは彼がやってくれたのではなかったか。
 このソ連脅威論をめぐる見解の違いが、彼と袂を分かつ大きな原因の一つとなった。
4 質疑応答の一部(2次会、3次会を含む。O=太田)(順不同)
A:太田コラムに接してまず感銘を受けたのはアングロサクソン論だったが、最近では、日本の戦前史だ。
 どうして当時の日本人があれほど頑張って戦ったのか不思議に思っていたが、太田さんの戦前史を読んで初めて得心がいきつつある。
B:役人の天下りが叩かれているが、民間の大企業でも子会社や系列会社への天下り的なものがあり、天下りするとほとんど仕事らしい仕事をする必要がない、という点も似ている。
C:秦郁彦氏が、ある対談の中で、太田さんの(1940~41年における)対英(だけ)開戦論のようなことを述べていた記憶がある。
O:さすが秦さんだが、ちゃんとした論考とか本ではないのだな。
 (論考とか本で、この説を述べているものがあったら、秦さんのものでなくてもいいので、ぜひ教えて欲しい。)
D:『サルバドル/遥かなる日々』のビデオを鑑賞したらしいが、どう思ったか。
O:米国人がイメージしている中南米的なものを見事に全部つめこんだ映画だと思った。
E:太田コラムはなかなか全部消化しきれないが、グラマーの話などが出てくると一生懸命読んでしまう。
O:あのシリーズは、ホント苦労した。私は、ファッションについてはほとんど何も知らないし、また、シリーズ中に登場した、戦前ハリウッドで活躍した女優についても、名前くらいは知っている人が多いが、彼女達が主演した映画なんてまず、鑑たことがないもんね。
F:比較的最近に中川八洋が書いたものにはついて行けないものが多いが、彼はどんな人物なのか。
O:ある種天才であることは間違いない。
 論考に係るマーケティングの天才だということだ。
 マーケティングというのは、市場をにらんで製品開発をするところから始めるわけだが、私がアイデアを一言二言彼に話すと、売れそうかどうかを瞬時に判断して、それを彼が文章にする。それがまた、一般の人が読みやすく興味をそそる文章なんだな。そして、この文章を、彼のコネがある、しかもその文章を載せるに最もふさわしい出版社に持ち込む。そうすると、十中八九その出版社は採用する。こうしてこの文章が上梓されるわけだ。
 私が噛んだものではないが、彼のソ連脅威論なんて、まさに当時の日本の読者市場がそういうものを欲している、ということを鋭敏に察知したからこそ、彼は打ち出したんだと思う。
 だんだん、彼の書いたものが当たらなくなってきているとすれば、それは、彼もトシだ、ということではないか。
F:ほかにも天才に出会ったことはあるか。
O:大学学部時代の、あらゆることを印画紙のように記憶してしまった友人も天才と言えるだろう。何しろ、初めて私と学食であった時にそれぞれが何を食べて、それがいくらだったかといったことまで覚えているのだから・・。
 もう一人は、スタンフォード時代だが、後に日本で経済学の教授になった友人で、経済学等で分からない時、彼に聞きに行くと、私が何が分からないかを一瞬で把握し、極めて分かりやすく教えてくれた。だから、分かった気になって試験は通る。(もっともすぐ忘れてしまったが・・。)予備校の教師になったら日本で有数の名物教師になれたんじゃないかな。
 もっとも、その彼が、スタンフォードには将来ノーベル経済学賞がとれそうな学生や若手教師が何人もおり、彼等には逆立ちしてもかなわないと言う。
 どんな分野にも天才はいるが、天才だって上を見れば限りがない、ということではないか。
G:太田さんも参議院選挙でカネを随分使ったというが、どうしてそんなにカネがかかるのか。
O:秘書(私の場合は2名)を雇わなければならなし、アルバイト雇って葉書の住所氏名を書いてもらわなきゃならない。ポスターやパンフレットもつくらなきゃならない。(ポスター貼りは、知人以外に、民主党の他の政治家の地元事務所等にやってもらうのだが・・。その代わり当方からは私が持っている各種名簿を提供する。)また、選挙期間中には選挙カーに乗って、秘書1人(運転手を兼ねる)とともに、ウグイス嬢2人だったか3人だったかを載っけて九州から東北地方まで回ったが、それぞれに日当を払った上にホテルに泊め、飯も食わせなければならない。
G:ウグイス嬢はどうだったか?
O:全員、ある劇団の劇団員だったのだが、感心したのは、私の主張を実に的確に理解した上で、それを気の利いた感じの文言に仕立てて連呼してくれたことだ。しかも、同じ文句をずっと連呼するのではなく、時々言い回しを変える。
G:さすが、国政選挙のウグイス嬢ともなるとプロなんだな。
H:沖縄人は、さしずめ縄文人だということになるのだろうが、沖縄では、薩摩の沖縄入りより前の記録がほとんど残っていない。
 失われたのか、そもそも、もとからなかったのかすらよく分からない。
 もっとも、本土だって、地方に関しては似たようなものだが・・。
O:しかし、本土に関しては、古くに、既に風土記なんてのがあったではないか。
D:大和朝廷の人々はみんな弥生人だと考えて良いのか。
O:そうだ。とにかく面白いのは、渡来した弥生人と土着の縄文人との間で戦争らしい戦争があった形跡がないことだ。
 縄文人は、そもそも争いごとが嫌いだったというだけではなく、新しいものが良いものであれば、それを素直に評価する人々でもあったのではないか。
 いずれにせよ、私の弥生モード/縄文モード論は、まだ仮説の域にとどまっているので、どんどん批判して欲しい。
(完)