太田述正コラム#3940(2010.4.10)
<ナポレオンを破ったロシア(その1)>(2010.8.3公開)
1 始めに
 ナポレオン(Napoleon Bonaparte。1769~1821年。イタリア貴族の家系にコルシカ島で生まれる。フランス第一執政(First Consul for Life):1802年~04年。フランス皇帝:1804~14年、15年
http://en.wikipedia.org/wiki/Napoleon_I
)の1812年のモスクワ遠征は、どうして失敗に終わったのか?
 ドミニク・リーヴェン(Dominic Lieven)が ‘RUSSIA AGAINST NAPOLEON The True Story of the Campaigns of ‘War and Peace;Dominic Lieven’ を上梓したので、例によってその書評等に拠って、この本の概要をご紹介したいと思います。
 ちなみに、リーヴェンは、英国のLSEのロシア政治の教授です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Dominic_Lieven
2 ナポレオンの帝国・・序に代えて
 「帝国の創造は、通常、三段階を経る。ただし、これらの段階は、しばしば重なり合う。
 最初に来るのは、征服による帝国の形成と外からの脅威の除去だ。
 これに関わるのが、一般に、軍事力、外交的職人性、そして地政学的文脈だ。
 しかし、<こうして形成された帝国が>生き残るためには、様々な制度が必要であり、さまなくば、征服者とそのカリスマの死とともに瓦解してしまうだろう。
 これらの制度を確立するのが帝国の創造の第二段階であり、それは、第一段階よりもしばしば困難なことだ。
 とりわけ、巨大なる征服が短期間で行われた場合には・・。
 第三段階では、隷属民達が帝国に忠誠心を抱くとともに帝国と自己同一視するようにさせなければならない。
 とりわけ、前近代的な社会においては、隷属民達中のエリートに・・。
 ナポレオンは帝国形成の第一段階では偉大なる前進をとげた。
 次いで、帝国的諸制度の創造に向けて若干の歩を運んだが、彼の権力を正当化することに関しては、道はこれからだった。・・・
 ナポレオンは、決して全体主義的な支配者ではなかった。
 また、彼の帝国は、それほどイデオロギーで駆り立てられていたわけではない。
 逆に、彼はフランス革命に蓋をし、フランスの政治生活からイデオロギーを消滅させるべく最善を尽くした。
 征服された欧州における地方エリートの根絶についても、それはナポレオン自身の欲求や彼の権力をはるかに超えて行われたものだ。
 多くの欧州の政治家達はこのことが分かっており、そのような認識を踏まえて行動した。
 ロシアの初代米国公使のテオドル・フォン・デア・パーレン(Theodor von der Pahlen)伯爵(注1)は、1809年に任地に赴任するに際して、フランスの累次の勝利とその優越的支配状況にもかかわらず、50年も経たないうちに、<ナポレオンの帝国は、>欧州を覆し圧政を敷いたという空虚な栄光以外、何も痕跡を残していないことだろうと記した。
 (注1)フォン・デア・パーレン一族の誰かを特定できなかったが、この一族はバルト沿岸地方のドイツ系のロシア、リトワニア、スウェーデンの貴族の家系であり、1799年にロシア皇帝パウルス(Paul)1世が一族の家長及びその直系の子孫に伯爵位を授けることとした。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Pahlen
 それは、フランスに何の真の便益も与えることにはならず、フランスは人材と財産をその諸隣国から確保できなくなった時点で自らの人材と財産を蕩尽することになろう、と。 <更に、>フランスの現在の大きな影響力は、たった一人の個人の存在に全面的に依存している。
 彼の偉大なる種々の能力、彼の驚くべきエネルギーと激しい性格は彼の大志に上限を設定することを許さない。
 その結果、彼が今日死ねばそれと同時に、また、死ななくても30年後までには、彼は、現在における以上に状況を不整序なものへと導くだろう、と。
 こうして欧州で新しい30年戦争(注2)が続いている間に、新大陸の諸国がその力を著しく伸ばすことだろうとパーレンは付け加えた。
 (注2)1889年にフランス革命が起きると、欧州の諸大国及び英国は干渉戦争を始めるので、その時点から数えると、既に1809年時点で戦争が20年継続していたことになる。
 その後、戦争は1815年まで続いたので、結果的には、30年戦争ならぬ、26年戦争で終わったことになる。(太田)
 欧州の諸大国の中で、英国だけがかかる状況から利益を引き出すことができよう、と。・・・」
http://www.nytimes.com/2010/04/08/books/excerpt-russia-against-napoleon.html?pagewanted=print
(本からの抜粋)(4月8日アクセス。以下同じ)
(続く)