太田述正コラム#4173(2010.8.5)
<皆さんとディスカッション(続x914)>
<宮里>
『憲法と歴史学』を本日、改めて卒読しました。
たしかに本書から、きのう自分が述べた論旨が導き出せるかといえば……。無理だと感じました(再び苦笑)。
私がきのう述べた論旨は、小路田さんがその後に出した単著『国家の語り方―歴史学からの憲法解釈』(勁草書房・平成18年)の読後感から得たものだと思います。
小路田さんが、近代日本の民主政治を、西欧からの輸入物としてではなく、古代からの日本史に内在する論理から説明しようとする立場には共感を覚えました。
『神皇正統記』を読み込むことで、天皇政治の正統性は民意を嘉する(よく汲み取る)姿勢にあったというのは、自分などにはすんなり入ります(もちろん、その見解すべてに賛同しているわけではありませんが)。
<太田>
私自身、日本の古典を余り読んでいませんでしたが、それじゃいけないという気になってきました。
しかし、原文を読むのはかなり大変ですね。
現代語訳が出ているものもあるけれど、今度は、「翻訳」が的確かどうか心配になってきますしね。
<べじたん>
ダイハウス<(Carol Dyhouse)(コラム#4082、4084、4086、4088)>の主題は服飾史から見る女性の社会進出(権限移譲)のようですが、女性の服オタ視点による写真付き書評を見つけました。補足になりますか。
http://lapetitefashionista.blogspot.com/2010/05/lpf-book-club-glamour-women-history.html
ファッションのトレンドは10年周期、とよく言われるのですが、「女性的(~1920)→男性的(1920~)→華奢的(1930~)→女性的(1940~)→男性的(1950~60)」と綺麗に回っていますね。
<1枚目:1920年代、モダンガール>
1920年代の「グラマラス」な女性とは、モダンガールとされた。
モダンガールは、ポール・ポワレ
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Poiret
とマドレーヌ・ヴィオネ
http://en.wikipedia.org/wiki/Madeleine_Vionnet
らのオリエンタリズムにヒントを得た服を着ていた。
伝統的な女性の曲線を捨て、男性的シルエットが好まれた。
投票、飲酒、運転といった普通は男性がすることをモダンガールがすることによって、モダンガールは一連の議論の象徴となった。
(#最後の一文、訳があやしいです)
→およろしいのでは。(太田)
<2枚目:1930年代後半、ダイアモンド、毛皮、羽飾り>
デビアス社のダイアモンドとロマンスを結びつける大マーケティングキャンペーンによって、1930年代後半にダイアモンドはステータス・シンボルになった。
「紳士は金髪がお好き(1953)」で、マリリン・モンローが歌う”Diamonds are a Girl’s Best Friend”は、ダイヤモンドを崇拝させた。
グレタ・ガルポのようなハリウッドスターが毛皮と羽飾りを身に付け、グラマー、イコール、セーブルの毛皮となった。
<3枚目:ハリウッド・ドリーム>
女性の日常生活不満にハリウッド映画が着火した。
シルクのガウンから真紅の口紅といった物を身に付け、スターのような外見になりたいという女心に火をつけた。
マックスファクターの化粧品キャンペーンは成功し、ジョーン・クロフォードといった女優をフィーチャーした。
いたる所の若い女性は美とグラマーな生活を叶えるために一生懸命働いて金を稼いだ。
<4枚目:1947年、ディオールのニュールック>
ディオールの草分け的ニュールック・コレクションが1947年に出た。
クリスチャン・ディオールは、女性のための最新のシルエットをほぼ独力で再定義した。
男性的シルエットは消え去り、砂時計のようなくびれた曲線となった。その服を着るためにダイエットが大流行した。
あからさまな女性らしさが「流行」となり、自立心は影に隠れてしまった。
(#最後の一文の”in”、訳があやしいです)
→およろしいのでは。(太田)
参考:『ニュールックは47年の時点では「新しい」ルックといえたのですが、歴史的に見れば、これはリバイバルです。それは16世紀以降女性服の基本型の現代的アレンジと言ってもいいでしょうが、これは時代に受け入れられました。戦時中は女性らしさを抑制したストイックなファッションが中心でしたが、戦後解放され、より女性らしさを強調するファッションを時代は求めていました。ディオールはこれに答えるかたちで「ニュールック」を発表しました。「平和のシンボル」と言われる由縁です。』
http://history.fashion-press.net/newlook.htm
<5枚目:1950年代後半~1960年代、革命>
1950年代後半~1960年代には、ファッションとグラマーはストリート(素人の若者)からインスピレーションを受け始めたという劇的な変化が起こった。
つまり、若者が流行を作った。
英デザイナーのマリー・クワントのビートニックスタイル(
http://daruporn.blogspot.com/2009/05/important-8-street-trends-of-20th.html
のヘップバーン)とミニスカートが流行した。
若い女性はトラウザーズを履き、若い男性はロングヘアーで反抗的態度を取ることに、メディアは逆上した。
ロンドンは「チェルシーガール」ルックのルーツだった。
米国では、イーディ・セジウィック
http://en.wikipedia.org/wiki/Edie_Sedgwick
がチェルシーガールルックのポスターとなった。
参考:『モッズ・ガール・ファッション
男モノが派手でカラフルになっていくのに対し、モッド・ガールは黒のメイクにショート・ヘア、体のラインが目立たないゆったりしたセーターやパンツ・ルックが好まれたというのがおもしろい傾向。
女の子は女らしく・・・といった既成のイメージの反発なんでしょう。
ところが、その後マリー・クワントによる発明「ミニ・スカート」が登場し、いわゆるスウィンギン・ロンドンの時代を迎えることになる。
実は、50年代後半には「チェルシー・ガール」と呼ばれるお洒落な少女達の間では既製のスカート短く直して着るのが流行っていて、あのミニ・スカートを先駆けていたとか。
それをいち早く取り入れて1964年に発表したのがマリー・クワントというわけだ。』
http://mods.beat-net.info/fashion/modsgirl.html
<ブログ主<(べじたん)>の感想>
グラマーとは、その定義が時代とともにいかに変わっても、魅惑的な見た目のことなのだと思いました。
また、女性は自分自身に完全に満足したことが一度も無かったと思われることが面白かった!
いつの時代でも彼女らは理想的な装いをしていたのにね。
だから、このような女の子像を変えましょう。ありのままの自身に満足する最初の世代になりましょう!
(#全般的に作文をしましたので、訳が全滅かもしれません)
<太田>
いやいや、大変結構でした。
べじたんさんが見つけてくれた書評、私の拠った書評群よりできがいいですね。
<べじたん>
≫<ヘンドリックス、>セクシーだっちゅうーんだけど、グラマーとの関係これいかに? 誰か教えてくれー。≪(コラム#4167。太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Glamour_(presentation)
のVirginia Postrel(American political and cultural writer)による脚注[1]より。
http://en.wikipedia.org/wiki/Virginia_Postrel
http://www.ted.com/index.php/talks/virginia_postrel_on_glamour.html
>I think that that’s starting to get at what the core that combines all sorts of glamour is. This is Filippino Lippi’s 1543 portrait of Saint Apollonia. And I don’t know who she is either, but this is the 15th century equivalent of a supermodel. It’s a very glamorous portrait. Why is it glamorous? It’s glamorous, first, because she is beautiful, but that does not make you glamorous, that only makes you beautiful. She is graceful, she is mysterious and she is transcendent, and those are the central qualities of glamour.
色々なグラマーな人や物を紹介してきましたが、これらに共通するグラマーの核心とは何かを理解することを始めましょう。これはフィリッピーノ・リッピが1543年に描いた聖アポロニアの肖像画です。私は聖アポロニアが何者か知りませんが、15世紀のスーパーモデルに相当する人です。これはとてもグラマラスな肖像画です。なぜグラマラスと言えるのでしょうか? グラマラスなのは、第一に彼女が美しいからです。でも、美しいだけではグラマラスとは言えません。彼女が優雅で、神秘的で、超越しているからこそグラマラスなのです。これらがグラマラスの核心的本質なのです。
→むしろ、こっちの翻訳の方が若干問題があり、手直しさせていただきました。
ところで、件の肖像画、これ↓の右側のことですね。ウーム、どこがグラマラスじゃい?
http://www.nortonsimon.org/collections/browse_artist.php?name=Lippi%2C+Filippino&resultnum=1 (太田)
> Drew Barrymore, for all her wonderful charm, is not glamorous.
ドリュー・バリモアは、すばらしく魅力的だが、グラマラスではない。
確かに、E.T.の子役時代、25年目のキス等のチャーミングな演技が上手な女優ですね。
→これですな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Drew_Barrymore_by_David_Shankbone.jpg (太田)
簡単にまとめますと、ビューティフル、チャーミング、セクシー等に、
・偽造 falsification
・理想 idealization
・美化 glorification
・脚色 dramatization
・優雅 graceful
・神秘 mysterious
・超越 transcendent
・別世界 a different world
・遥遠 distant
・完璧 an idealized, perfect place
・手が届きそうで届かない距離感 translucent, not transparent, not opaque
といったプラスアルファがないと、人や物はグラマー/グラマラスとはならない、とのことです。
(ただし、神は我々を超越しすぎているので、グラマラスではないし、グラマラスであるはずがない)
————————
≫女性は、自分の外見を演出できる余地が男性に比べてはるかに大きい存在である、ということが今更ながら、よく分かりました。≪(コラム#4088)
ネタとして、どうぞ。
http://blog.livedoor.jp/oprain/archives/50251996.html
<太田>
ボク、このネタ↑の主にゃ全然化かされなかったもんね。
ところで、honeykingdomさん、このべじたんさんの、ものスゴーく時間と労力をかけたお答え・・お疲れさまです・・でよろしいですか?
それとも日本には、私が紹介した英国の女性やべじたんさんが紹介した米国の女性に伍してグラマー論を展開できるような女性がいないのかな。
いや、それとも、日本の女性は、そんな「理論」抜きで世界の最先端のグラマーを「実践」しており、理論なんてクソくらえだと思ってるんでしょうか。
<べじたん>
≫お示しの彼の演奏≪(コラム#4167)
・・・ヌヴーは女の子ですよ。音が力強く、男っぽかったですか?
<太田>
あちゃー。
魔が差して日本語ウィキを、しかも斜め読みしたのでミスっちゃいました。
最初から
http://en.wikipedia.org/wiki/Ginette_Neveu
を読むべきだったですね。
では罪滅ぼしに彼「女」の19歳の時の演奏を、写真(何歳?)付きでお送りします。容貌はやや中性っぽいね。↓
http://www.youtube.com/watch?v=Icr0l8zJmfg&feature=related
同じ曲を、彼女が15歳の時にコンクールで破ったオイストラフ・・その時は2位・・の演奏でもどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=zFEWK2cBxnQ&feature=related
ちなみにこの曲、一番ユーチューブアクセス数が多いのがハイフェッツの演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=tenI_FyFeZ0&feature=related
ところで匿名性にこだわっておられるべじたんさん、まさかご自分が実は女性だった、なーんてことはありませんよね?
<tomattarou> (ツイッターより)
≫<これから出す>本ともなれば、英語のままの引用なんてしませんよ。
当然、翻訳したものを載っけます。≪(コラム#4171。太田)
「対訳付きで」と申し上げたのは、私が以前家庭教師をしていた際に英訳の教材に悩んだ経験から、太田さんの著作が対訳されていれば啓蒙も兼ねつつ良い教材になるのではないかと思ったからです。
<鯨馬>
ここ数回のディスカッションでFat Tailさんが、アメリカが大恐慌から回復した要因について言及されていました。
多分お忘れでしょうが、私も以前<「ドイツゲーマー」というハンドルネームの下、>この場で紹介したことがあります<(コラム#2230)>。
是非次著にはこれら最新の学説を反映させてください。
なお、本論とまったく関係ないのですが、本トピックのきっかけとなった本の著者が日本にいらしていたこと、そして、北大で講演されていたことを知りました。いきたかった…。
2006年03月22日(水) 特別研究会
「近世の日英比較―人口と社会―」
報告者 アラン・マクファーレン●ケンブリッジ大学教授
http://www.global-g.jp/symposium/symposium20060322.html
<太田>
私もそのことを3年前に知りました。
<Chase>
≫Chaseさん、ニューディール論やフランクリン・ローズベルト論も次著には入ってましたよね? ≪(コラム#4171。太田)
以下の目次案で、5.3 米国発の世界大恐慌 の項になるかと思いますが、ニューディール論やフランクリン・ローズベルト論というひとまとまりの論考のイメージは持っておりませんでした。
http://blog.ohtan.net/archives/51975554.html
本稿について、べじたんさんの次著のコラム採集サイトでは、該当コラムがUPされておられないのですが、私の当初の検索メモでは、#3677(2009.11.30)<世界大恐慌と日米>
http://blog.ohtan.net/archives/51428475.html
は、該当コラム(の一つ)かと考えておりました。
しかしながら、太田さんのイメージを忖度しまして、もう少しひとまとまりの論考となるように検討したいと思います。
同論については、コラムで数多くの言及なされていますので、べじたんさんにコラムのピックアップをお願いできたらと思います。
<太田>
それに加えて、Fat Tailさんの「研究」成果にも(勝手に)期待させていただくことにしましょう。
<植田信>(2010.8.4)http://8706.teacup.com/uedam/bbs
・・・太田述正氏のサイト・・・は、最近は、<ツイッターという>一口コメントがあるので、それだけを拝見をしています。
これだと、30秒以内で終わりますから。
技術の進歩と、それを利用される皆さんの適応力の早さには驚くばかりです。おかげで、時間の節約になりますが。
それと福岡国際問題研究所さんが、太田氏サイトのポイントを紹介してくれます。
http://blog.zaq.ne.jp/fifa/1 ・・・
・・・
<で、昨>日の太田述正氏のひとくちコメントにロシア問題があります。
「ナポレオンのロシア侵攻→ロシアのエリート達が民主主義独裁の思想にかぶれる→うち最も急進的なマルクス主義にかぶれたエリート達が革命→エリート層の亡命、粛清による著しい減少→ロシアの没落。 新たな仮説が生まれたけどいかが?」
http://www.ohtan.net/
まあ、そうも言えるか、などとロシア人のことを考えていたところ、ふと、ロシア問題は大きいと思い当たりました。
戦後の日本を吉田茂体制に持っていったのは、ロシア要因である、と。 ・・・
<太田>
私のホームページで私のツイッターをご覧になってる方がいらっしゃるんですねえ。
それにしても、植田さん、私のコラム本体にも、たまには目を通してくだいさいな。
植田さんのブログ、私に言及されてるところだけをたまに読む私にそんなこと言う資格ないかもしれませんが・・。
<太田>(mixi太田コミュより)(2010.7.21)
DVD5枚組のBand of Brothers、一昨日、ようやく視聴し終わったんだけど、パソコンのDVDドライブが最後のあたりオシャカになりかかってひやひやものだった。
それくらい、同ドライブを酷使したって感じ。
いやー、大変な力作で、ちょっとやそっとじゃ感想書けないや。
<鯨馬>
Band of Brothersの評論楽しみにしています。
他に候補をあげてみます:
『鬼が来た!』
出だしはコミカルだけど…急転直下。日本兵らしさがよく出ている気がする。
2000年(中国)第53回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E3%81%8C%E6%9D%A5%E3%81%9F!
『ゆきゆきて、神軍』
ドキュメンタリー。ただただ圧倒された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%8D%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%80%81%E7%A5%9E%E8%BB%8D
『オールド・ボーイ』
あっと言わされた。
2003年(韓国)第57回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4
『革命児サパタ』
メキシコ革命が舞台。
1952年(米国)エリア・カザン監督。出演、マーロン・ブランド、アンソニー・クイン。脚本、ジョン・スタインベック。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E5%91%BD%E5%85%90%E3%82%B5%E3%83%91%E3%82%BF
<太田>
今、太田映画評論家は夏休み中ざんす。
ところでtakahashiサン、なんで「たった一人の反乱」日曜から夏休みに入っちゃってるの?
それでは、記事の紹介です。
そうだそうだ、ムチャクチャでござる。↓
「民主党は、2270万票で28議席を獲得した一方、39議席を獲得した自民党は、約1950万票にすぎませんでした。
選挙区でも比例区でも民主党を下回る票しか集められなかった自民党が、議員の当選者数では、勝っているわけです。これは、明らかに1票の不平等ですよ。 」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100803/215692/?top
ネズミだけじゃなく、ネコも逃げ出し始めたってよ。↓
昨年12月に北朝鮮で貨幣改革(デノミネーション=通貨単位の切り下げ)が実施されて以降、脱北者の類型に変化がみられることが分かった。貨幣改革以前は、北朝鮮で社会的身分が低く、生活が苦しい階層が主に脱北を試みる傾向があった。脱北者の間では、「北朝鮮で飢え死にするのも、逮捕されて殺されるのも同じ」という考えを持つケースが多かったという。
ところが貨幣改革以降に関して、安全保障関連部処(省庁)のある政府関係者によると、「中産層以上が脱北するケースが増えている」という。・・・
http://www.chosunonline.com/news/20100804000022
インドと中共の企業家の違いが分かる記事。↓
・・・Asked about their main motivation, the overwhelming majority of Indian entrepreneurs name “being my own boss,” while the most popular response in China is earning more money. In this way, Indian entrepreneurs more closely resemble the Western model: American entrepreneurs were more likely to cite “owning my own company” than “building my wealth” as the main reason they launched a business・・・
Compared to just 9% in India, 23% of Chinese entrepreneurs say what they learned in school or at the university prompted their decision, presumably a result of the government’s strategy of using universities to promote entrepreneurship. Chinese business owners cite pro-business actions by the government or pro-business messages in the media (which in China are state-controlled) at three times the rate of their Indian peers. ・・・
The relational Indian model of business start-ups is evident in enterprise financing, where 49% of business owners rely on family resources to start their enterprise, compared to only 25% in China.・・・
Chinese entrepreneurs believe business success depends on external market conditions that can be known and manipulated, whereas Indian entrepreneurs regard success as the result of their internal ability to adapt to changing conditions. ・・・
Generally, enterprising individuals in India believe they succeed in spite of the state, while in China they think they succeed through their connections to it. ・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704271804575404650983236426.html
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太田述正コラム#4174(2010.8.5)
<アダム・スミスと人間主義(その1)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x914)
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