太田述正コラム#4172(2010.8.4)
<中共と罪人引き回し>(2010.9.4公開)
1 始めに
 ニューヨークタイムスが、電子版で、中共の罪人引き回し制度についての特集を組んでいたので、そのさわりをお伝えしましょう。
 かなり初歩的な話も含まれていますが、現在の日本人で、支那のことをよく知らない人が多くなってきていることもあり、皆さんの参考になると思いました。
2 中共の罪人引き回し
 「・・・中共の公安部(Ministry of Public Security)は・・・今週・・・罪人引き回しを禁止した。・・・
→日本の主要メディアの電子版は、この話を報じていないのではないか。(太田)
 2500年前に、『論語』の中で、孔子は、「これを道びくに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且(か)つ格(ただ)し。<(=もし人々を道徳によって導き礼儀によって正すとしたら、彼らは恥を知り正しくあろうとするだろう。(為政第二の三))>」
http://blog.mage8.com/rongo-02-03 (太田)
と講じた。
 この賢人<孔子>の最も著名なる解釈者である孟子は、実に、恥を知らない者は人間ではない、と宣言するに至った。
 儒者達は、こういうわけで、悪いことをした者は罰せられる前に教育されなければならないと考えた。
 こうして教育された者はやがて恥を知るようになり、そうなった者は正しい生活を送ることになるだろうというのだ。
 法は、儒教の世界観においては、<人の>ふるまいを規制する手段として万能ではないのだった。
 法は浮浪人と造反者に対してのみ必要である、とされたのだ。
 他方、文明化された市民は、自発的に礼の定めである礼義(Liyi)を遵守した。
 支那人達は、何世紀にもわたって、自分達の国を礼義之邦(Liyi Zhi Bang)、すなわち、正義<(礼(ritual)と義(righteousness)>の国と呼んできた。
 恥は、支那を何千年にもわたって一つにつなぎとめる糊であったと言えるのかもしれない。
 2003年には、3人の学者が恥を意味する言葉が支那に113もあることをつきとめた。
 しかし、恥は、深い悩みを抱える社会にあって、急速にその力を失いつつある。・・・」
http://www.nytimes.com/roomfordebate/2010/7/31/china-shaming/the-shame-concept-goes-back-to-confucius
 「<こういう背景の下、>支那では大衆の前で<罪人を>引き回す長い歴史がある。
 しかし、それは支那だけでのことではない。
 19世紀になる前までは、多くの欧州諸国でもこれをやっていた・・・。
 近代刑務所が制度化されて、ようやくこの種の見せ物的懲罰は、徐々に欧米から姿を消して行ったのだ。・・・」
http://www.nytimes.com/roomfordebate/2010/7/31/china-shaming/public-shaming-wont-disappear-overnight
 「・・・何世紀にもわたって、支那では、犯罪者達は、檻の中に入れられるか首枷(重い角材でできた長方形の襟あて)をつけられ、地方長官府か市の門の前で見せ物にされた。
 その目的は、大衆の面前で辱めを与え、見物人達に道徳的不行跡を犯すとどうなるかを教えることだった。
 この慣行は、20世紀初頭に<支那で>新しい法制度が導入された際に公的には廃止され、1920年代と30年代においてはおおむね姿を消した。
 <ところが、>皮肉にも、共産党がこの伝統的懲罰を革命期間中に評価し、1940年代に田舎でこの慣行を復活した。
 しかし、道徳的不行跡者ではなく、いわゆる階級の敵と政治的敵対者とが、村々を、しばしば辱めの帽子を頭の上に載せて引き回された。
 見せ物裁判と大衆的つるし上げ(mass rally)・・その間、特に狙いがつけられた犯人は不行跡の告白<(自己批判)>を強いられた・・は、大衆を教育し、大衆に規律を注入するための強力かつ効率的な手段だった。
 1949年の<共産党による支那統一の>後は、階級の敵と通常の犯罪者に対する大衆の面前での見せ物や辱めは、懲罰においてつきものとなった。
 この共産主義国家は、「劇場型国家(theatricalized state)」へと成長し、敵とみなされたものや安全保障上の脅威に対する闘争にあたって、体制的権力を浸透させる(extend)ために、大衆ドラマと刑事司法とが渾然一体とされた。
 1978年より後の諸改革は、法制度の多くの側面を改善したが、党は、これまでこの社会統制の強力な道具を放棄することが困難であると考えてきた。・・・」
http://www.nytimes.com/roomfordebate/2010/7/31/china-shaming/how-shaming-was-used-in-chinese-history
 この特集に対し、NYタイムス電子版読者の投稿がいくつか寄せられていますが、その中の一つから、面白い箇所をご紹介しましょう。
「<ニューヨークのハドレー>
 魯迅の最も有名な作品である『阿Q正伝』の終わりに、ついてない阿Qは、自分が犯していない犯罪で告発され有罪とされ、都市一帯を大衆の面前で引き回された上、処刑された。
 彼を逮捕した地方軍司令官は、阿Qが無実であることを知っていたが、にもかかわらず、なお、<彼の>処刑を行おうと決意していた。
 それを正当化するため、彼はよく知られた支那の諺である「鶏を殺して猿を懼れさせる」を引用した。・・・」
http://www.nytimes.com/roomfordebate/2010/7/31/china-shaming/police-power-in-chinese-life
3 終わりに
 現在のグローバルスタンダードが、アングロサクソン由来の、経済面における資本主義と政治面における自由主義(法の支配)であるとすれば、支那は、前者については、1978年にようやく20世紀初頭の支那の状況に再び達し、後者については、2010年になってようやく20世紀初頭の支那の状況に再び達した、ということです。
 思えば、何という遠回りをこの国はしてきたことでしょうか。
 その責任の大部分は中国共産党に帰せられます。
 そんな政党の独裁の下にいまだに支那があるというのは、考えてみれば、信じがたいことですね。