太田述正コラム#4190(2010.8.13)
<映画評論7:レッド・クリフ(その1)>(2010.9.13公開)
1 始めに
読者の皆さんからリクエストがあったわけではない映画の評を挟ませてもらいます。
昨年、表記の映画の第一部(2008年)をTVで鑑賞していたのですが、8月10日に第2部(2009年)をTVで鑑賞し、mixiの太田コミュで「『レッドクリフ2』をTVで鑑賞。『1』もTVで見てたからこれで全編鑑賞したことになる。戦争映画だし、歴史物だけど、誰も評論対象に推さないわけだ。赤壁の戦いの描き方が余りにも荒唐無稽で笑っちゃった。もう一つ。どうして、あれだけ人口が多くて、俳優の容姿が男女ともイマイチなんだろ。」と書き込みをしたところです。
さあ、どれだけこれに肉付けできますか、お立ち会い。
2 どうして支那と日本を中心に上映?
この映画に係る日本語ウィキペディア
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95
(8月11日アクセス)を読むと、支那と日本でしか上映されていないように読めます。
(フランスで、第一部と第二部を一つにまとめた要約版が上映されはしました。)
しかし、その末尾に外部リンクが掲げられており、香港と台湾のリンク先が出てくるので、漢人圏であるシンガポールでも上映されたのではないでしょうか。
韓国で上映されていないということも考えにくいところです。
しかし、いずれにせよ、この映画の人気に関し、支那と日本がシンクロしていることは間違いないようです。
それは、「中国文学の四大古典小説とされている羅貫中の『三国志演義<(Romance of the Three Kingdoms)>』を基に、前半のクライマックスシーンである赤壁の戦いを描く」(A)からこそであり、以下ご説明するように、『三国志演義』を通じて、支那と日本は糾える縄の如き関係にあるからなのです。
まず、『三国志演義』の支那における重要性は、「<その>満州語版『三国志演義』の巻頭には、大略「作中の善行を鑑とし、悪政を戒とし、国人に興亡の理を学ばせよ」というドルゴン<(清1世皇帝ヌルハチの第14子。順治帝の摂政)>の諭旨が収められた。また順治帝<(清第3世皇帝。2世皇帝ホンタイジの第9子)>は桃園結義(注1)にならって蒙古諸汗と兄弟の盟約を結び、満州を劉備、蒙古を関羽になぞらえた上で、蒙古との関係を保つべく関帝(注2)信仰を公認した。『三国志演義』が単に兵書として用いられるに留まらず、<清>王朝の対内・対外政策の根幹に影響を与えていたことがわかる」
B:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E6%BC%94%E7%BE%A9
といったことからも明らかでしょう。
(注1)桃園の誓いとも言う。劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%9C%92%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84 (太田)
(注2)「中国国内のみならず、華僑が住まうチャイナタウンに関帝廟はつきものである。日本でも横浜中華街の関帝廟が知られている。・・・関帝(関聖帝君)とは、『三国志』でおなじみの蜀の関羽のことである。・・・<いかにも中国らしいが、>関帝は財神なのである。・・・孔夫子(孔子)に対して関夫子という呼び方まである。すなわち、関帝の地位は孔子と比肩するまでになったのである。」
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/guangong.html (太田)
他方、日本においては、『三国志演義』が日本語に完訳された『通俗三国志』が1689年に刊行されますが、これは、日本語に完訳された初めての外国の小説であるとともに、上記満州語版に次いで世界2番目の外国語訳でもあるのです。(注3)
(注3)満州語版が出たのは1650年。ちなみに、朝鮮語訳が出たのは1703年。(B)
江戸時代には、1781年に夢中楽介が三国志のパロディである洒落本、『通人三国師』を刊行していますし、歌舞伎においては、1811年初演の有名な「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出てきたり、1860年初演の同じく有名な「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面が出てきたりします。
C:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E4.B8.89.E5.9B.BD.E5.BF.97.E3.81.AE.E5.8F.97.E5.AE.B9.E3.81.A8.E6.B5.81.E8.A1.8C
江戸時代の日本から清時代の支那に(明治時代に?)逆輸入されたのが、浮世絵師の桜井雪舘(Sekkan Sakurai。1715~90年)が劉備・関羽・張飛を描いた絹画(silk painting)(注4)の複製です。自分達もこの画の中に描かれている3人のように信頼できますよ、という趣旨で、現在でも支那の事業家や華僑のオフィスにかかっているということです。
D:http://en.wikipedia.org/wiki/Romance_of_the_Three_Kingdoms
(8月12日アクセス)
(注4)http://en.wikipedia.org/wiki/File:Three_Brothers.jpg
この画は、DにもBにも掲げられている。
さて、日本では、戦後の1948年、吉川英治が『三国志演義』をもとに書き上げた『三国志』が刊行されてベストセラーとなり、この時以降、日本では、持続的に三国志ブームが続いて現在に至っています。
そして、(大幅に脚色されたものも含め、)漫画化されたり、アニメ化されたり、ゲーム化されたり、更には三国志をテーマにしたビジネス書まで出版されたりしています。
この日本での三国志ブームが、近年、支那にまたもや逆輸入されて、日本の作品を模倣した三国志の漫画・ゲームなどが作成されているのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97
(続く)
映画評論7:レッド・クリフ(その1)
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