太田述正コラム#4194(2010.8.15)
<映画評論7:レッド・クリフ(その3)>(2010.9.15公開)
 (3)中共の観客にとっては荒唐無稽ではない
 このように見てくると、日本人のあるオタッキーな『レッド・クリフ』ファンが口にする、この映画の荒唐無稽さ(F)(下掲)・・それは私が感じた荒唐無稽さでもある・・については、簡単に説明がつきそうです。
 まず、「曹操<が>偽の情報を得てきた「蒋幹」を毒殺したり、疫病で死んだ兵士たちを孫権・劉備軍へ船に乗せて流したり<しているが、>これらは三国志演義にもない話<だ>」(F)については、そもそも、『三国志演義』が、曹操を悪玉にして劉備を善玉にした・・それに伴って孫権も善玉にした・・という、いわば歴史の歪曲をした以上、この『三国志演義』に拠りつつ、これを圧縮して提供しなければならない映画『レッドクリフ』において、制作者がこの歪曲に一層メリハリを付けるのはごく自然なことでしょう。
 中共の観客は、より話が分かりやすくなったことを喜びこそすれ、荒唐無稽だなどとは思わないはずです。
 次に、以下のような荒唐無稽さはどう考えるべきでしょうか。
 「周瑜・・・単独での戦闘シーンはやりすぎ<だし、>・・・周瑜が壷に矢を<投げ入れる競技で>すべて<の矢を>入れる事が出来て誰も入れる事が出来ないというのはやりすぎ<だ。>」
 「<何と>周瑜<と>趙雲<が>共に敵地に上陸して白兵戦を演じるオリジナルシーンが登場<する>。」
 「戦局を一変してしまう君主<孫権>の突撃はありえない<が、これは>、映画オリジナル<だ。>」
 「孫尚香<の、この>映画での・・・<諜報活動や戦闘における>活躍<(!)>はどれもオリジナルである。」
 「<何と>劉備<が>剣をとって戦い、発石車の発射を体をはって止めたりして彼にも見せ場を作っている<が、>これは<もちろん>映画オリジナル<だ>。」
 もともと「『三国志演義』の戦争は華々しい猛将同士の一騎打ちが多く、呂布・関羽・張飛・趙雲らが卓越した武勇を発揮している」(B)ところへもってきて、京劇では、長靠武生の役柄(前出)からも伺えるように、一人でもってその人物が率いる集団全体を象徴するものなのであって、集団が部隊である場合、その指揮官役の俳優が激しい立ち回り等を自ら演じることで、彼が率いる部隊の活躍を表すのが習いなのです。
 ですから、周瑜や趙雲といった武将はもとより、孫権や劉備といった君主までもが『レッドクリフ』で大立ち回りを演じても、中共の観客にしてみれば、少しも荒唐無稽ではないはずなのです。
4 どうして美男美女、とりわけ美女が登場しないのか
 上記日本人ファンは、小喬(を演じる俳優)について、「こんな美貌で色気がある嫁を持つ周瑜がうらやましすぎ<る>」とし、孫尚香(を演じる俳優)について、「勘弁して欲しいくらい可愛い」と記しているのですが、私は思わず自分の目をこすりました。
 全くそうは思わなかったからです。
 もともと、漢人は朝鮮人に比べて美男美女度において劣るという印象を私は持っています。
 上澄みの部分においてはなおさらです。
 北朝鮮をとってみても、あれだけの美貌の金賢姫を大韓航空機爆破事件で使い捨てテロ任務に就かせるくらい美人があり余っているということです。
 韓流スター達だって、人口のはるかに多い日本の一流スター達と互角以上の美男美女揃いであると思いませんか。
 その日本人から、『レッドクリフ』の制作者は、(日本への売り込みも念頭にあったのでしょうが、)二人も日本人俳優を起用した、というか、起用せざるをえなかったわけです。
 しかも、企画段階で、曹操役に擬せられた渡辺謙・・彼がやっていた方が絶対によかった・・のほか小雪の名前もあがりました。(A)
 (ついでに言わせてもらえば、事実上の主人公である周瑜を演じたトニー・レオン(梁朝偉)も品格と重みに今一つ欠けています。)
 言うまでもないことですが、支那を舞台にした、中共の一種の国策映画であるというのに、外国人ばかりを起用するというわけにもいきません。
 ところで、京劇をご覧になった日本人には、特にそれが男性であれば、舞台上の女優が恐ろしいほどろう長けて見えたはずです。
 それは隈取りと言ってもよいほど濃いメーキャップを施すことによって、遠目でそのような効果を発揮させているのです。
 つまり、漢人の女性を、遠いところから最大限グラマラスに魅せることに京劇は成功しているわけです。
 制作者・・遅きに失したかもしれませんが、言わずと知れたジョン・ウー(呉宇森)監督のことです・・は、その手が使えないことに地団駄を踏んだのではないでしょうか。
 映画はクローズアップがあるので、京劇的なメーキャップをしたら化け物になってしまうからです。
 この結果、この映画には、美男美女、とりわけ美女が登場しないのである、というのが私の説です。
5 支那の茶道について・・終わりに代えて・・
 この映画では、小喬がお茶を御点前のようにたてる場面が何度も登場し、果てには、彼女が単身敵陣に乗り込み、曹操にお茶をたてて時間を稼ぎ、孫権軍や劉備軍のために時間稼ぎをします。この曹操とのからみも、また、小喬がお茶をたてる名手というのも映画オリジナルのようですが、「喫茶文化は、四川から長江を下って次第に広がり、魏晋南北朝時代には長江流域で楽しまれたとされる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6
というのですから、ありえない話ではありません。
 ただ、私は、制作者が日本の茶道のことを意識して張り合おうとした、ということではないかと勘ぐっています。
 ところで、「<支那の>茶道の創始者は・・・唐の時代の茶神陸羽(733~804)という人である。彼は世界最初の茶道家である。・・・残念ながら中国では今、茶道がほとんど見られなくなった。・・・」
http://jp.eastday.com/node2/node8/node96/node102/userobject1ai3512.html
と書かれた日本のサイトがありましたが、これは必ずしも正しくないと思います。
 日本人が、中共の茶道を紹介したサイトを見つけました
http://phil.flet.keio.ac.jp/person/sakamoto/mirror/cha2.html
が、私自身、2003年中の2回目の訪中の時、古い街並みの中の支那式喫茶店でまさにこのような茶道でお茶をふるまわれたことがあるからです。
 『レッドクリフ』第1部と第2部を鑑賞すると、やはり、韓国とは違った意味で、支那と日本は近くて近い関係にあることを痛感させられます。
(完)