太田述正コラム#4018(2010.5.19)
<米人種主義的帝国主義と米西戦争(その1)>(2010.9.25公開)
1 始めに
エヴァン・トーマス(Evan Thomas)の ‘The War Lovers’ を読み進めながら、折に触れて、以前の紹介(コラム#3972、3974、3976)とできるだけだぶらない形で、この本の内容の紹介をしていきたいと思います。
2 対英戦争熱
「<1894年、当時ニューヨーク州議会議員をしていたセオドア・>ローズベルト
http://en.wikipedia.org/wiki/Theodore_Roosevelt
(5月19日アクセス。以下同じ)(太田)
は、・・・手紙の中で、「キューバからスペイン人を、カナダからイギリス人を追い出すための、全般的な米国民あげての海賊的遠征(buccaneering expedition)が敢行されること」を希っていると記している。
カナダ人達が英国人達を自分達の岸辺から追い払いたいと欲していることを信じる特段の理由はなかったうえ、いずれにせよ、世界で最も強力な英海軍は、米国の「海賊的遠征」の恐るべき敵となったことだろう。
しかし、キューバに関しては、話はまた別だった。」(PP60)
「1895年12月、・・・米国は英国と戦争するぞと脅かした。
戦争騒ぎは、大部分の米国人が聞いたこともない、英領ガイアナ(Guyana)の中の鉱物資源が豊富ないくつかの地に関する英国とベネズエラの間の境界紛争として始まった。
(米国人の<世界地理に関する>無知は米国にとっての、当時、そしてそれ以降の小さい戦争における、ほとんど制約と言ってもよかった。)
モンロー宣言を援用して・・・グロバー・クリーブランド(Grover Cleveland<。1837~1908年。大統領:1885~89年、1893~97年(二度大統領を務めた唯一の大統領。1860~1912年の間の共和党ばかりの大統領の中の唯一の民主党大統領
http://en.wikipedia.org/wiki/Grover_Cleveland (太田)
>)大統領は、英国に対し、西半球に手を出すなという熱いメッセージを送った。
英国は、最初のうちはこの米国の指導者を無視したが、その後、傲慢に彼をはねつけた。(注1)
(注1)本問題のここまでの経緯は次のとおり。
・1877年、ベネズエラは、英領ガイアナとの境界紛争を国際仲裁で解決することを英国に提案し、米国に支援を求めたが米国は取り合わなかった。
・その後、米国では経済発展に伴い、英国と覇を競おうとする気運が出てきた。
・二期目のクリーブランド政権は、1895年、国内での不人気にあえいでおり、外交で得点を稼ごうと考えるに至った。
・1895年2月、同政権は、上下両院で、上記紛争は国際仲裁にかけられるべきだとする決議が採択され、大統領はこの決議に署名した。
・同年7月、大統領の指示により、米国務長官が、英国によるベネズエラへの領域拡大はモンロー宣言違反である、とする書簡を英国に送った。
・同年12月、英国のソールベリー(Salisbury)首相が返答を寄越し、モンロー宣言は境界紛争に適用されない、また、国際仲裁にかけるかどうかに第三国が介入するのは国際法違反である、と指摘した。
http://www.guyana.org/features/guyanastory/chapter84.html (太田)
クリーブランドは、彼らしくもなく、軍事行動をとると脅した。
突然、各新聞は戦争の話であふれかえった。
1895年12月18日付のニューヨークタイムスの一面に以下のような見出しが躍った。
戦争準備
米国はその気になった
イギリスと戦うことを欲する
陸、海軍の人々は戦争することに非常に熱心
カナダ侵攻の話をしている
・・・
後で考えてみれば、これらの戦士志望者達がどうしてこんな素っ頓狂なことを言い出したのか、理解するのは困難だ。
<英国による>挑発はあったかもしれない・・とはいえ、南米沿岸沖に数隻の英国の戦艦が派遣されていたことが米国の安全保障にさしたる脅威になるとは思えなかった・・が、1895年に英国と戦争をするなどということは狂気としか言いようがなかった。
米国はカナダを人質にすることができたかもしれないが、海上では数の差が圧倒的だった。
英国は戦艦を50隻持っていたけれど、米海軍には3隻しかなかったのだ。
しかし、この地で好戦的な精神は高まっていた。
11月には・・・クリーブランドと英外務省は最後通牒をかわし始めた・・・。
12月17日、クリーブランドは、「<米国は>その持てるあらゆる手段を使って」英国による土地奪取に抵抗すべきである、と議会に呼びかけた。
米国は、いや少なくともその統治者達は雄叫びをあげた。・・・
ネバダ州選出の民主党議員・・・は、「戦争は、それによって我々がむち打たれようと良いことだ。というのは、それによって我々はイギリスの銀行による統治から脱することができるからだ」と主張した。(米国は国際的な金本位制の下にあった。)
ワシントンポストは、社説の頁で「武器をとれとのお呼びがかかっている。結局のところ、戦闘的愛国者達(jingoes)は正しかった」と叫んだ。・・・
軍事的に劣勢であることは、<当時ニューヨーク市の公安委員長(President of the Board of New York City Police Commissioners)をしていた>ローズベルト
http://en.wikipedia.org/wiki/Theodore_Roosevelt 前掲(太田)
をひるませなかった。
「しなければならないのであれば、戦争しようじゃないか。
私は米国の沿岸の都市群が<英国の艦艇によって>砲撃されようと気になどしない。
その代わりカナダをぶんどってやる」と。
(続く)
米人種主義的帝国主義と米西戦争(その1)
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