太田述正コラム#4024(2010.5.22)
<米人種主義的帝国主義と米西戦争(その4)>(2010.9.28公開)
「リードは大海軍を建設することに関心がなかった。
というのは、彼は、そんなことをすれば米国はそれを使おうとする誘惑にかられるだろうと考えたからだ。」(PP135)
「1897年3月4日、・・・マッキンレー(McKinley)は、<大統領就任式で>宣誓を行い、就任演説を行った。
彼は、「我々は征服のための戦争を欲しない。我々は領土的侵略の誘惑を回避しなければならない。あらゆる平和のための手段が尽くされた後でなければ決して戦争に訴えてはならない。ほとんどあらゆる状況の下で平和は戦争より好ましい。」と述べた。
<これは本心だった。というのも>マッキンレーは・・・私的会話で「私の政権の下においては、いかなる戦闘的愛国者的ナンセンスを許さないことを請け負っても良い」と力説している<からだ。>」(PP151~152)
「<ハースト系新聞は、>マッキンレーの就任演説での征服戦争回避の約束を「漠然としていて萎びている」とした。
大統領が戦争を始めたくないというのなら、自分が始めてやる、とハーストは結論づけた。」(PP155)
「<キューバで叛乱鎮圧にあたっていた>ヴァレンチノ・ワイラー(Valentino Wyler)将軍は・・・<叛乱勢力のいる>町々の全員をみすぼらしい急ごしらえのキャンプに「再収容」した。
この「再収容者達」は、疾病や栄養不良で群れをなして亡くなった。
推定で170,000人、一般住民の10%が亡くなったのだ。・・・
ハーストは、<ハバナに送り込んだ特派員が戦争がないので帰国したいと言ってきたのに対し、>「そちらにいてくれたまえ。君は写真を送ってくれればいい。私が戦争を提供(furnish)してやる」と返事した。」(PP161)
「1897年5月3日、・・・海軍次官に就任したばかりの・・・セオドア・ローズベルトは、アルフレッド・セイヤー・マハン大佐に・・・手紙を送った。・・・
彼は、「もし私が自由にやらせてもらえたら」、米国は「明日にも」ハワイ諸島を併合するだろう、とマハンに書いた。
ローズベルトは、日本が新しい2隻の戦艦をイギリスから入手(注5)するまでに速くハワイに向けて動きたかったのだ。
(注5)1894年に起工され、竣工したのが1897年の富士型戦艦(富士・八島)のことだと思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6
(5月22日アクセス。以下同じ) (太田)
我々は「<ハワイの>島に旗を立てるのだ。細かいことはそうしてからのことだ。」とローズベルトは書き、「私は、一ダースもの新戦艦を建造すべきだと信じている」と付け加えた。
彼は、トーマス・リードを含め、米議会の議員達の若干がそんな必要はないと考えていることに怒り狂っていた。
1893年1月、リリウオカラニ(Liliuokalani<。1838~1917年。ハワイ王国最後の君主:1891~93年
http://en.wikipedia.org/wiki/Liliuokalani (太田)
>)女王の諸島は「ハワイ人のためのハワイ」を宣言した。
彼女にとって困ったことに、彼女は、米海兵隊員の若干によって助けられた、米国人たるパイナップル生産者達によって退位させられ、自分の宮殿に軟禁されたのだ。・・・
<結局、>砂糖権益者達によってホノルルに設立された傀儡政府は、<ハワイ諸島を>正式に米国の領土にしようとし、1897年に<米国政府と>併合条約に調印したが、米上院で批准に必要な3分の2の票を得ることができなかった。
当時、日本が太平洋の海上権力として出現しつつあり、ローズベルトは、政治家達の動きをイライラしながら見守っていた。
そこで、彼は、ハワイを奪取する口実を探していたというわけだ。・・・
<彼は、更にマハンに、>「我々が確実にスペインを<カリブ諸島、キューバ、及びプエルトリコ>の諸島から追い出すまでは、(私に自由にやらせてくれるのなら明日にでもやってのけるところだが、)我々はそこで起きる問題に悩まされ続けることになるだろう。」と記し<ている。>」(PP170)
「1897年5月28日、・・・ローズベルトは、以下の指示を海軍大学校(Naval War College)の校長・・・に送った。
大学校用の特別な秘密の課題:
日本がハワイ諸島領有の意思を表明する。(Japan makes demands on Hawaiian Islands.)
米国がそれに対して介入する。
介入するためにはどれだけの軍事力が必要か、そしてその軍事力をいかに用いるべきか?
なお、大西洋においてもうひとつの大国<(スペイン)>とキューバをめぐって紛争が起きることを念頭に置いておかなければならない。(Keeping in mind possible complications with another Power on the Atlantic Coast(Cuba).)
・・・
6月1日、ローズベルトは・・・海軍大学校で<演説を行った。>
「偉大な支配的なる人種は、常に戦う人種だった」と彼は咆えた。・・・
「…人生には、物質的愉楽の軟弱かつ安易な享受よりも高次元のものがあるのだ。
闘争(strife)を通じ、あるいは闘争への即応態勢にあることで、国家は偉大性を勝ちとらなければならないのだ。・・・
我々が大海軍を求める理由の一つは、もし国民が、名誉と名声の喪失に甘んじ、その必要が生じた時に、すべてのものを至高の戦争の裁断にゆだねんと、その血、宝物、そして涙を湯水のように流すことを潔しとしないというのであれば、そんな国家の存続(national life)は無価値であると思うからだ。」(PP171~172)
(続く)
米人種主義的帝国主義と米西戦争(その4)
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