太田述正コラム#4234(2010.9.4)
<日本の新聞の歴史認識>(2010.10.4公開)
1 始めに
読者のTAさんが、産経新聞論説委員室編・著『社説の大研究–新聞はこんなに違う!』(扶桑社2002年)からの「終戦記念日」・・21世紀最初の年である2001年の8月15日付各紙社説を紹介・・のところのコピーと、今年の8月15日付各紙社説のコピーを送ってくれたので、次著で用いることをも念頭におきつつ、表記のコラムを仕立てました。
2 8月15日付社説より
(1)序
まずは、これらの社説からの抜き刷りと私の簡単なコメントをお読み下さい。
(2)2001年の社説
朝日:45年8月15日、戦争終結を告げる放送・・・は「大東亜共栄圏建設」という美名のもとに、アジアを侵害し、人々を殺りくし、強制連行し、協力を強いた軍国日本の一方的な破たん通告でもあっただろう。・・・天皇の戦争責任は免れない、というほかあるまい。・・・「国家の最高位にあった人物が・・・責任を負わないで、どうして普通の臣民が自らを省みるか」(ジョン・ダワー・・・)・・・
→戦前の日本が当時の英国並みの象徴君主制であったことを無視した議論です。わずか9年前の社説とは思えません。(太田)
毎日:・・・ポツダム宣言は「軍国主義」を世界から駆逐することを鮮明にし 一 戦争犯罪人に対する厳罰 二 民主主義的傾向の復活・強化 三 基本的人権の尊重–など、戦後の日本が進むべき道を明示していた。・・・<ところが、この宣言を受け容れて降伏したはずの日本の>小泉純一郎首相の靖国神社参拝・・・騒動<等によって、日本は、>・・・国内はもちろん、国際社会からも、いまだ疑いの目を向けられている・・・
→占領時代で時間が止まってしまっているような、全くコメントする気にもならない社説です。(太田)
読売:・・・普通の日本人には、軍国主義の復活や近隣諸国への再侵略など、およそ想像もできないだろう。たとえば、戦前の軍部暴走を招いた大きな要因に、「統帥権の独立」という明治憲法上の問題があった。現在では、そんな問題が生じる可能性など、まったくありえない。問題は、そうした日本の現実について近隣諸国の理解を求めるどころか、逆に近隣諸国の”誤解”を増幅したがる動きが日本国内にあることだ。・・・もちろん、かつての日本が、中国に対する侵略行動で多大の被害を及ぼしたことも忘れるべきではない。・・・いずれにしても、戦争の呼称さえ定まらないということは、まだ「あの戦争」を、日本全体として総括できていないことを示しているともいえる。・・・
→面白いことに、「左」の毎日と「右」の読売、歴史認識に、当時、大差がなかったことことが分かりますね。(太田)
産経:・・・戦後日本は「平和」「自由」「平等」の価値観を抽出し、戦前の価値観の全面否定に走った・・・しかし、時の経過とともに「平和」は「空想的平和主義」や「国防の放棄」に流れ、「自由」は「放縦」や「無責任」と同義語化した。「平等」は「悪しき」の形容がつくほど税制や教育に好ましからざる影響を与えた。・・・小泉純一郎首相が15日の靖国神社参拝にこだわったのもこの<ような認識>に沿ったものといえよう。むろん、いわゆる「戦後民主主義」を主導してきた側からの抵抗は続くだろう。・・・ただ社会というクルマにはブレーキが欠かせない。その役割を担う存在として許す寛容さこそ、真の歴史の教訓ではあるまいか。
→毎日・読売の歴史認識を真逆にした、これぞ「右」という歴史認識ですねえ。(太田)
(3)2010年の社説
朝日:・・・私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。・・・米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は・・・これを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。・・・冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない」日本という国際社会の評判だ。・・・戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに、「戦後」を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。・・・
→9年前の社説はお粗末でしたが、今年の社説では、不十分ながら、歴史認識において、新しい方向性の模索が行われていて、好感が持てます。(太田)
毎日:・・・1945年<の>夏・・・連合国側の・・・ポツダム宣言<という>動きを見抜けず、こともあろうに対日参戦を着々準備していたソ連に助けを求めていたのだ。・・・国際感覚の欠如と情報不足は耳を疑うほどだ。・・・<世界有数の>経済力の国が自国のことだけに気をとられているわけにはいかないはずだ。まして、かつて不幸な戦争を引き起こした日本である。積極的に平和を創る役割を担うのは当然のことだ。・・・特筆すべきは核廃絶を巡る動きだ。原爆投下の当事国である米国の駐日大使が初めて広島・平和記念式典に参加した。英仏代表と国連事務総長も初参加だった。・・・二度とあの戦争の悲劇を繰り返してはならない。・・・
読売:・・・ロシアは先月、・・・9月2日を第2次世界大戦終結の記念日に定めた。・・・今月6日、ルース駐日米大使は広島市の平和記念式典に米政府を代表して初めて参加した。・・・米国内からは「無言の謝罪と受け止められかねない」と批判の声が上がっている。・・・一方で、日本も過去の誤りを率直に認め反省しなければ国際社会からの信頼は得られない。日本は世界の情勢を見誤り、国際社会からの孤立を深めていく中で無謀な戦争を始めた。中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害をもたらした。読売新聞では戦後60年を機に、昭和戦争の戦争責任の検証を行った。その結果、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判(東京裁判)の「A級戦犯」の多くが、昭和戦争の責任者と重なった。・・・
→今年もまた、「左」の毎日と「右」の読売の論調は似通っていて、余り進歩の跡が見られません。(太田)
産経:・・・昭和19年7月にサイパン島を失い、10月のレイテ沖海戦で海軍が事実上消滅して日本の敗北が決定的になったあとも、指導部<は>終戦工作に動こうとしなかった・・・日米戦争を不可避にした南部仏印進駐についても米英などの経済封鎖をほとんど予想しなかったとされる。対米英戦争もドイツがソ連に勝利するなどを前提に組み立てたという。国際戦略のなさ、外交センスの貧弱さ、情報分析能力の欠如–その危うさは今と似ている。・・・
→毎日・読売は開戦に焦点をあて、産経は終戦に焦点をあてるという違いこそあれ、今年は、産経まで毎日・読売両紙と論調が似通ってしまっています。(太田)
日経:・・・日本が中国に加え米英とも戦争することになった原因のひとつが、・・・日独伊三国同盟だった。ドイツ、イタリアと組んで米国に対抗する狙いだったが、米国との対立は決定的になったうえ、その後のドイツの敗退でこの構想はあっさり崩れた。対中、対米政策の失敗も重なった。中国各地に戦線を広げ、それが米英の日本への警戒感を増幅させるという、負の連鎖を招いた。・・・国際情勢の甘い分析と、国力をかえりみずに大風呂敷を広げた外交、国内の情緒に依拠した対外政策は、国の進路を誤るという現実だ。・・・
→何とまあ、日経まで毎日・読売・産経と論調で足並みを揃えてしまっています。
日経、一体どうしたんだと言いたくなります。
これではまるで、4紙間で談合でも行われたかのようであり、相対的に朝日だけが光って見えます。(太田)
中日:・・・米国に依存しつづける安全保障・・・<は>いったい・・・どこからきたのでしょうか。・・・豊下楢彦・・・教授<によれば、>意外なことに「昭和天皇」<だったのです。>・・・安保の呪縛は戦後の日本外交から矜持も気概も奪いました。
→9年前の朝日の社説は天皇の開戦責任に関するものであったのに対し、今年の産経の社説では天皇の戦後体制構築責任に関するものですが、戦前もほとんど、そして戦後は完全に実権を持たない昭和天皇に、「悪い」ことの責任を全部押しつけるとは、戦後の日本人の無責任さを象徴しているような悪い冗談であると言いたくなります。(太田)
日本の新聞の歴史認識
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