太田述正コラム#4252(2010.9.13)
<映画評論9:グラン・トリノ>(2010.10.13公開)
1 始めに
引き続き、クリント・イーストウッド制作(3人のうちの1人)、監督の
『グラン・トリノ(Gran Torino)』(2008年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8E (★)
(9月12日アクセス。以下同じ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Gran_Torino_(film) (※)
の評論をお送りします。
なお、この↑英語ウィキペディアは、完全なネタバレを行っており、チトいかがなものかと思われます。
この映画の脚本はニック・シェンク(Nick Schenk)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nick_Schenk
であり、舞台背景をミネソタからミシガンに変えたことに伴う部分を除き、このもともとの脚本に一切変更が加えられていない(※)ようです。
ですが、イーストウッドがこの脚本を読んで、ただちに映画化を決意したというのですから、彼が痛くこのストーリーを気に入ったことが分かります。
ですから、私は、この映画は、イーストウッドの世界観を吐露したものであろう、と考えているのです。
2 イーストウッドの世界観
さて、★と※とでは、御多分に漏れず、後者の方が圧倒的にボリュームがあるのですが、前者の、「フォードの自動車工を50年勤めあげたポーランド系米国人、コワルスキー<(イーストウッド)>は、愛車<1972年から1976年に生産されたフォードの(★)>グラン・トリノのみを誇りに、日本車が台頭し<た(注1)ために、貧乏な>東洋人の<多く住む、治安の悪い>町となったデトロイトで隠居暮らしを続けていた・・・
コワルスキーを意固地にしたのは朝鮮戦争での己の罪<(無抵抗の若者を射殺した)>の記憶・・・」(★)中の、「日本車が台頭し」、及び、朝鮮戦争での「己の罪の記憶」に関する記述が、後者にはありません。
(注1)何と、コワルスキーの息子は、日本車のディーラーであり、日本車に乗っている。(太田)
他方、後者にあって前者にないものがあったとしても、不思議ではないところ、「<コワルスキーは、>しばしば友人と人種差別的冗談をともにした」や、モン族(Hmong)と米国との関わり(注2)への言及が前者に全く欠落しているのには困ったものです。
(注2)モン族は、<支那南部の苗(Miao)族の一支族であり、支那、ベトナム、ラオス、タイの山岳民族に住む少数民族であり、>ベトナム戦争の時、<その一環として、南ベトナム軍及びその米国等の同盟諸国の側に立って、ラオスで共産系のパテトラオと>戦ったが、米軍部隊が撤退し、南ベトナム軍が敗北した時に北ベトナムの共産軍に追い立てられるような形で<その多くがタイの>難民収容所に収容されるに至った。(※)
(<>内は、以下による。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hmong_people )
そして、そこから更に米国に亡命した者が多かった。
私の見るところ、この映画は、
1の罪:有色人種差別→2の罪:1の罪の系としての朝鮮戦争→3の罪:1の罪の系としてのベトナム戦争→
1のたたり(有色人種の代表格たる日本の自動車メーカーによるコワルスキーの旧勤務先の没落)→2のたたり(コワルスキーの良心の呵責)→3のたたり(コワルスキーのモン族との軋轢)、
という舞台背景を設定し、コワルスキーが、いわばイエス・キリストとして、自らを犠牲に供することで、米国が、過去に犯した様々な有色人種差別に係る罪から救済されることを希う、というキリスト教的救済劇なのです。
ですから、ニューヨークタイムスに掲載された、この映画がデトロイトと呼ばれる産業の墓に対する鎮魂歌であるという映画評とか、ある評論家の、新しい世紀を迎えて異なった人種同士がより胸襟を開くようになった米国を描いた映画であるといった映画評(※)は、この映画のほんの一断面を切り取った浅薄なものである、と言うべきでしょう。
3 終わりに
イーストウッドは全く隅に置けない名映画制作者であり名監督である、と今回も思いました。(コラム#3826参照)
まだこの映画を鑑賞していない方には、ぜひご覧になることをお勧めします。
映画評論9:グラン・トリノ
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