太田述正コラム#4262(2010.9.18)
<米国人の米外交・安保政策批判(その1)>(2010.10.18公開)
1 始めに
9月10日付のワシントンポスト電子版が、米国の外交・安保政策を批判している新刊本2冊をとりあげた書評を載せていたところ、どちらも日本と密接に関わりがあることもあり、この2冊の概要をそれぞれご紹介するとともに、適宜、私のコメントを付すことにしました。
2 ダワーの本
(1)序
1冊目は、ダワー(John W. Dower)の ‘CULTURES OF WAR Pearl Harbor/Hiroshima/9-11/Iraq’ です。
A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/09/10/AR2010091003604_pf.html
(9月13日アクセス)
B:http://www.dallasnews.com/sharedcontent/dws/ent/books/stories/0905bk_culturewar.ce7e058a.html
(書評。9月17日アクセス(以下同じ))
C:http://japanfocus.org/-John_W_-Dower/3405
(評者による紹介と著者自身による解説)
(2)ブッシュ政権の歴史認識
「・・・ダワーは、ジョージ・W・ブッシュ政権は「歴史の利用と誤った利用」の罪で有罪であるとする。
ニューヨークとワシントンにおけるテロ攻撃の直後から、<1941年>12月7日と<2001年>9月11日の比較が行われ始めた。
対イラク侵攻の前の時期、ブッシュ政権は、日本の再建の「成功物語」を指摘して、イラクもまたうまく再設計ができることの根拠とした。
しかし、ダワーは、往事とその時とで本当に同類視されるべきは、米国を攻撃した日本の「戦略的無能さ」であると主張する。
→ダワーは日本は対米英開戦をしない選択もありえた(日本にとってwar of choiceだった)としていますが、そんな選択はありえなかった・・日本帝国を崩壊させた瞬間、米国は日本のそれまでのソ連・共産主義封じ込め政策を継受せざるを得なかったことがそれを裏付けている・・のであり、当時の日本の指導者達が「戦略的無能」であったと言われる筋合いは全くありません。(太田)
彼は、この言葉をブッシュ政権の対イラク攻撃という意思決定に適用する。
彼は、それを「戦術的成功だが戦略的失敗」であったと判定を下す。
→ここは、「対イラク戦は戦術的成功だがその後のイラク占領統治は戦術的失敗、しかし、現時点で振り返れば、やはり対イラク戦は戦略的成功であった」ということではないでしょうか。(太田)
対イラク戦争のその後について議論をする際に、ダワーは火器の照準をブッシュ<政権>の政策決定者達にあてる。
ダワーにとっては、第二次世界大戦後の日本の再建は成功のモデル以外の何物でもないのだ。
「規律、道徳的正当性、十分定義され十分公表された諸目的、明確な指揮系統、政策立案と実施とにおける寛容と柔軟性、<自分の>国が建設的に行動する能力への信頼、母国の党派的政治から自由に外地において仕事をすることができたこと、そして占領諸政策の対象たる安定的、弾力的にして精巧な<日本の>市民社会。」
ダワーは、ブッシュ政権は、日本における成功経験にしばしば言及しつつも、そのそれを活かそうとはしなかった、と主張する。
「これら多くは決まり切った(routine)平凡な(mundane)ことであるように思われていたのだけれど、このような態度や慣行が被占領イラクに欠如していることにより、突然これらが例外的であったと思われるに至ったのだ」と。
ダワーのこの良く主張がなされかつ良く書けている本は、時に歴史書というよりは論争の書のように読めてしまうが、不完全なように思える。
彼は、例えば、米国が第二次世界大戦で一般住民を攻撃したことを忘れて、どれほどテロリスト達が<米国やイラクの>一般住民を標的にすることに苦情を言ったかを描写する。
→この点は、ダワーよ、よくぞ言ってくれたと褒めてあげたいですね。(太田)
しかし、彼は目的が手段を正当化したかもしれないことに言及することをしていない。
→目的が手段を正当化するのなら、戦時国際法はいらない。(太田)
米国は<日本でもイラクでも>圧政(tyranny)を終わらせようとしたのに対し、テロリスト達は新たな圧政を始めようとしたのだ。
→日本は自由民主主義(的)国だったのであり、イラクとは全く事情が異なります。
しかし、この書評子は、ブッシュのスピーチライターであったケーシー・S・パイプス(Kasey S. Pipes)であり、彼も、そして彼のせいで(?)ブッシュ自身も、戦前の日本は非自由民主主義(的)国で、戦後の米国の占領統治のおかげで自由民主主義化したと思い込んでいたと思われるところ、だからこそ、こんなピンボケのダワー批判が飛び出すのです。(太田)
イラク再建に係る闘争を描写する際、ダワーは、2007年に<ブッシュ政権が>完全に方向を変えたことに気づいていないように見える。
実際のところ、ダワーはアイビーリーグで訓練された博士だが、もう一人のアイビーリーグで訓練された博士であるデーヴィッド・ペトラユーズ(ペトレイアス)のことをまともにとりあげることを行っていないのだ。・・・」(B)
→イラク占領統治を開始してから4年も経ってからようやく方向転換を行ったなんて、お粗末極まりない話です。(太田)
結局のところ、ブッシュらの歴史認識はお粗末極まりないところ、「専門家」のダワーの歴史認識だって、それよりは少しはマシな程度であり、ダワーがブッシュらの歴史認識を批判するなどおこがましい限りである、と言いたくなります。(太田)
(3)原爆投下≒9.11同時多発テロ/真珠湾攻撃≒対イラク攻撃
「・・・より<米国内で>議論を呼び起こすであろうことだが、ダワーは広島と9.11を対で取り上げる。
どちらも道徳的確信から生まれたテロ行為であったと・・。
オサマ・ビンラディンもハリー・トルーマンも本質的には同じマニ教的修辞でもってむちゃくちゃな殺人を正当化した。
動機、文脈、及び規模は違っていたかもしれないが、手法は同じだった。
このどちらの指導者も、<物事を>善と悪とに<単純に>分ける発想であったために、殺人を容易に行った。」(A)
→上述したように、ダワーよ、よくぞ言ってくれたといったところです。(太田)
「1941年には、米国人達は非理性的な東洋人というステレオタイプを抱くことによって自らを安心させていた。
彼等は、日本人達を、真珠湾攻撃がそうであったことを証明したように、非論理的であるからして容易に打ち破ることができるだろうと想定していた。
この攻撃は、(長期戦において米国を打ち破ることが不可能である以上、)まさに非論理的だったけれど、それは別に日本人特有の話ではなかったのだ。
ダワーは、希望的観測、思い違い、そして裕仁天皇の宮廷内における群集心理的ふるまいがこの戦争の症候群であって、それは民族性とは無関係であることを明らかにする。
これと同じ諸欠陥が、2003年において、ホワイトハウスの大統領執務室内の人々をしてイラク侵攻をするのが良いアイディアだと思わせたのだ。・・・」(A)
→遺憾ながら、1941年当時の米国人の、人種主義、及びそれとも関連する日本/東アジア情勢に係る無知を指摘している部分を除き、ダワーのこのくだりは全くいただけません。(太田)
日本の対米英開戦は、基本的に論理的なものであり、一定程度、「希望的観測、思い違い、・・・群集心理的ふるまい」があったとしても、本質的な問題ではありません。
日本は、主たる戦争目的であったところの、東アジアにおけるソ連・共産主義封じ込め政策については、戦後、戦前よりはるかに不利な状況下ながら、戦前の自分より数等倍強力な米国に全面的に継受させることに「成功」しましたし、半ばプロパガンダ目的の副次的な戦争目的であった東アジアの欧米帝国主義からの解放については、自らの力でそれに完全に成功するのですから、日本の対米英開戦が論理的なものであったことは明らかだからです。
なお、2003年の対イラク戦開戦当時の米国人のイラク/中東情勢に係る無知は、米国人が、人種主義こそ克服しつつも、その国際情勢音痴ぶりにおいて、60年以上経っても、ほとんど進歩の形跡が見られないことを示すものです。
(続く)
米国人の米外交・安保政策批判(その1)
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