太田述正コラム#4266(2010.9.20)
<米国人の米外交・安保政策批判(その3)>(2010.10.20公開)
3 ベースヴィッチの本
 (1)序
 2冊目は、ベースヴィッチ(ベースビッチ=Andrew J. Bacevich)(コラム#715、2063)の ‘WASHINGTON RULES America’s Path to Permanent War’ です。
b:http://www.nytimes.com/2010/09/05/books/review/Bass-t.html?pagewanted=print 
(8月17日アクセス。以下同じ)
c:http://www.bluevirginia.us/diary/1313/washington-rules-americas-path-to-permanent-war-by-andrew-bacevich 
d:http://www.newsweek.com/blogs/we-read-it/2010/08/02/washington-rules-america-s-path-to-permanent-war.print.html
e:http://www.ethicalmarkets.com/2010/09/04/washington-rules-america%E2%80%99s-path-to-permanent-war/
f:http://www.opednews.com/articles/Washington-Rules–America-by-Jim-Miles-100915-78.html
 なお、ベースヴィッチは、米中西部出身の米陸軍士官学校卒であり、23年間米陸軍に勤務したベトナム戦争帰還兵であり、大佐で退役した人物であり、現在のボストン大学の歴史と国際関係論の教授をしています。
 彼の前著は、’The End of American Exceptionalism’ です。(b、c)
 ちなみに、彼の令息(テキサス州フォート・フードの第1騎兵師団第3旅団戦闘団第8騎兵連隊第3大隊のアンドルー・ベースヴィッチ中尉)は、2007年にイラクで戦死しています。(d)
 (2)戦後の米帝国主義
 「・・・米国は、今、世界中のほとんどの国に軍事基地を持っており、更にカネがかかることで驚くべきことに、世界中の他の国を合わせたよりも多くのカネを軍事費に使っている。・・・」(e)
 「・・・ベースヴィッチは、発端は、ヘンリー・ルース<(コラム#2934、3074、4092、4112、4150)>、の「米国の世紀」であったとする。・・・」(c)
 「・・・1947年に、ニューヨークタイムスのタカ派の軍事担当記者だったハンソン・W・ボールドウィン(Hanson W. Baldwin)は、米国を来たるべき<ソ連との>戦争に備えさせることは、「戦争になる前に、<米国の>政治社会(body politic)と経済社会(body economic)をひねり、歪め、ねじってしまう」だろうと警告した。
 彼は、果たして、「「兵営国家(garrison state)」に堕すことなくして、そして我々がそもそも救おうとし始めたところの様々な徳と原理の様々な質を破壊することなくして」ソ連と対峙することができるのだろうかと疑問を投げかけたのだ。・・・」(b)
 「・・・ベースヴィッチ言うところの<戦後米帝国主義における>三位一体とは、全球的軍事プレゼンス、全球的軍事力投入、そして全球的軍事介入だ。・・・」(f)
 「・・・あらゆるものを覆い尽くすところの、「米国が全球的リーダーシップをとるべきであるとの信条(credo)と米軍事慣行に係る聖なる<上記>三位一体は、米国を、実のところ、恒常的安全保障危機の状態へとしばりつけてしまった。」
 最初は反共産主義を標榜し、今では反テロリズムを標榜して、この三位一体なる戦略<を推進してきたこと>によって醸成されたところの、かかる恒久的危機は、米国を近似的な恒久的戦争の状態へと駆り立ててきたのだ。・・・」(f)
 「・・・「聖なる三位一体」とは、「米国の軍事力、米国防省の全球的足跡、そして米国の軍事介入性向」だ。
 <米国の>かかる威嚇的姿勢は、1945年においてこそ多少は意味があったのかもしれないが、今日では破滅的である、と彼は言う。
 それは米国を、「恒久的国家安全保障危機の状態」へと零落させる、と。・・・
 国家安全保障国家<たる米国>の容赦ない肥大化についての辛辣な説明の中で、彼は、やってきては去って行く<歴代の>大統領達ではなく、彼等を包み込むシステムの建築家達・・CIAを建設したアレン・W・ダレス(Allen W. Dulles)と、同じことを米戦略空軍(Strategic Air Command)についてやったカーティス・E・ルメイ(Curtis E. LeMay)・・<の果たした役割>を強調する。・・・」(b)
 「・・・地殻変動的な戦争の勃発を回避するため、ルメイはかかる脅しを実行する意思が<米国には>十分すぎるくらいあることをあらゆる手立てで明らかにしつつ、戦略空軍でもって空前の規模の破壊を行うと脅した。
 自由、民主主義、及び自由主義的諸価値の存続を確保するため、アレン・ダレスはCIAの尊敬すべき人々によって遂行される限りにおいては最も汚い手口でさえ許容されることをあらゆる手立てで明らかにしつつ、現代においては国家主導テロ(state-sponsored terrorism)の定義を充足するところの諸活動に中央情報局を従事させた。・・・」(c)
 「・・・戦争の文化は定型化されたふるまいを奨励することから、<米国に関し、>ばかげたことがたくさん起こった。
 これが、ベースヴィッチが明瞭に解き明かしたところの、ワシントン規則群の本質なのだ。
 この規則群は、米国的生活様式を守るためには、全球的軍事プレゼンス<を維持すること>と、<地球の>どこであれ軍事介入することを厭わないことが必要不可欠であると規定する。
 力と暴力は徳によって洗浄されるのであって、米国は「善」であるが故に、米国の行動は常に良性(benign)なのであるというのだ。
 この規則群は、米国を恒久的戦争状態へと押し出した。
 敵はあらゆるところにいると考えられたため、安全の追求は無制限なものとなった。・・・」(A)
 「・・・<米国が全球的リーダーシップをとるべきであると>の信条は、米国を以下のように措定するところの、あらゆる議論の基本的な柱なのだ。
 すなわち、残存する<唯一の>超大国、<世界にとって>欠くことのできない国(the essential nation)、世界の手本(the exemplar to the world)、民主主義的諸理念の普及者、<等々>と。・・・
 手段に関して言えば、三位一体は、我々が、国際的に能動的であることを<世界の>手本であることよりも、ハードパワーをソフトパワーよりも、そして強制することを説得することよりも、より高く評価することを意味した。
 ベースヴィッチは、この三つのうちの最後のものは、しばしば「力の立場から交渉すること」と描写されたと記す。
 「彼は、かかる信条が内包するところの全球的リーダーシップの役割は、「自衛のために要求されるものをはるかに超えた軍事的諸能力を米国が維持することを余儀なくさせた」とも記す。・・・。・・・」(c)
 「・・・以上を読んで、前<ブッシュ>政権による<対テロ戦の>様々な正当化のこだまのようなものがあなたに聞こえてくるとすれば、更には、米国人として、我々がやることは、たとえ我々が他の国々の人々が同様な流儀で行動すれば彼等を罰するとしても、生来的に正しいとする観念さえもがあなたに聞こえてくるとすれば、あなたはベースヴィッチの主張の核心、あるいは少なくとも核心の一部を把握し始めた、ということなのだ。
 彼は、ワシントン規則群に反対しているのであり、この諸規則は米国の諸原理たるべきものに違反していると考えているのだ。・・・
 彼は、こんなことになったのは、ワシントン規則群が、ワシントン、すなわちアイゼンハワー<大統領>が想像したいかなるものをも超えた産軍複合体の現在版、に関し、政府幹部OB達と政治家達に金銭的インセンティブを与え、政治家達が自分達の選挙区に職と政府のカネをもたらすことを可能にし、軍部により多くのカネ、人員、そして新しい兵器や新しい理論なるものを試す機会、を与えるからだと主張する。・・・」(c)
 戦後の米帝国主義についての、ここまでのベースヴィッチの指摘は、私としても、基本的に首肯できます。
 私が付け加えるとすれば、戦後米国は、戦前の日本型帝国主義を継受し、それを(日本のように)東アジアだけでなく、世界に(=全球的に)展開した、という視点を加味すべきである、という点です。
 これに関連して付言すれば、米国は、先の大戦の終わり近くになって突然ソ連/共産主義の脅威に目覚めたため、戦前の日本に比べて、より激烈な形で日本型帝国主義を展開したのであり、その副産物として牢固とした産軍複合体が構築されてしまったため、冷戦終焉後も、この産軍複合体が国防予算を再び増やす機会を求め続けて現在に至っている、ということでしょう。
(続く)