太田述正コラム#4268(2010.9.21)
<米国人の米外交・安保政策批判(その4)>(2010.10.21公開)
(3)志願制化と中東重視
「・・・「戦争は、ワシントン・コンセンサスを維持するために戦われた」ベトナム戦争の後、「大衆(people’s<=徴兵制の>)軍(army)から職業軍(professional force)へ」の変貌についてあらゆることが語られ、行われた。
その結果、<国家>意思決定者達は、米国民が所有権を放棄した軍を自由に使うことができるようになった。」・・・
ジミー・カーター<大統領>の下での政権は、メディアにおいては、しばしば「平和」な大統領<というイメージで>とらえられたが、カーターは米国の軍事力の推進に関する応分の貢献を超えることをやってのけた。
彼は、韓国から<米軍>部隊を撤退させるという誓約を反故にしたし、彼の監督下で、米国防省は、「インド洋で、英領の島であるディエゴ・ガルシアに新たに大きな軍事基地を整備し始めた。このプロジェクトはこの島の住民の追放を伴った。」
この民族浄化は、中東及び全南アジアの全域において、そこから米国が監視し作戦を行うための大きな基地を設立するという触れ込みの下で行われた。
<このように、>大きな動きが中東でなされたのだ。
冷戦が冷え込んだことから、海外での軍事プレゼンスを減らすことよりも、カーターは、米国の冒険主義を中東において起動させ、「いかなる外部の大国であれ、この地域をコントロールしようとすることは」米国の死活的諸利益への攻撃であって、「軍事力を含むあらゆる手段で排除されなければならない」と宣言した。
「・・・この、カーターによって起動されたところの、軍事態勢における方向転換の重要性はどんなに強調しても強調しきれない。」・・・」(f)
ここは、異議があります。
当時のソ連の方が、まず、デタントから第2次冷戦へと方向転換した・・兆候は見えていたが、1979年のアフガニスタン侵攻によって顕在化した・・のであって、それに対処しようとしたカーター政権を批判するのは間違っているからです。
ただし、米軍の志願制軍隊への変貌により、国民からの直接的批判に晒されることなく、米国の歴代政権が軍事力を行使できるようになったという点はベースヴィッチの言うとおりです。
(4)範例主義の勧め
「・・・ベースヴィッチによれば、<戦後米帝国主義に>代替させるべきは孤立主義ないし宥和主義ではない。
この二つの政治的意味合いのあり過ぎる言葉は、何度も米国政府のふるまいに反対する人々をぶちのめすために用いられてきた。
彼は、これらに代えて、より上から目線でない危機の評価を擁護する。
これは、元兵士の口から出ていることから、一層説得力を増している。
<彼に言わせれば、>イラクとアフガニスタンは米国に脅威を与えたことがない。
むしろ、この両国と世界は、<この両国への>米国の高圧的な軍事介入のために一層危険度を増してしまったのだ。
北朝鮮も<米国に>脅威を与えたことはない。
ベトナムだってそうだ。・・・
→ここも筆が滑っています。
自由民主主義陣営の立場からすれば、東南アジアにおける共産主義の勢力拡大は軍事力を含むあらゆる手段で阻止しなければならなかったのであり、戦後における米国のインドシナ(ベトナム)への本格介入が遅すぎ、かつまた撤退が早すぎたことがまずかったのです。
また、前述したように、対イラク戦についても、占領統治こそ酷すぎたけれど、これまた自由民主主義陣営の立場からすれば、戦略的には必要であったし、成功を収めつつある、と思います。
対アフガニスタン戦についても、戦略的には必要であったし、現在成功を収めるべく努力がなされている最中です。(太田)
徳の力、というのがベースヴィッチの最も深甚なるメッセージだ。
アフガニスタンのヘルマンド(Helmand)州を何とかしようと試みる代わりに、米国はデトロイトとクリーブランドを何とかすべきなのだ。
自由と民主主義の観念をどちらについても経験のない国々に輸出しようとする代わりに、米国は、自らの行動によって、まだ米国が自由で民主主義的で人道的な国であることを顕示すべきなのだ。
米国の本当の力は、その自由主義的伝統に存するのであって、米国の殺人能力に存するのではない。・・・」(A)
→どちらも必要であり、だからこそ、米国以外の自由民主主義諸国は、軍事面でも経済援助面でも、そして何よりも知恵の面でも、もっと米国の肩代わりをすべきなのです。(太田)
「・・・彼は、「勝利とはいかなるものか、いかに勝利するか、そしてそれにはどれくらいコストがかかるのか、についてのかすかな観念すら有さないという有様で、この国を定義不全の際限のない「全球的対テロ戦争」へと向こう見ずに突入せしめたところの、<米国の>政策決定者達の愚行と倨傲は、ちょっとばかり気の狂ったドイツの軍閥達によってしかこれまで到達しえなかった水準に近づいた」と記す。
一体どのちょっとばかり気の狂ったドイツの軍閥達だというのか?
学識深い歴史家であるベースヴィッチが、小公子達の幾人か、或いはヴィルヘルム2世のことを言っている可能性もなきにしもあらずだが、普通の読み方をすれば、これはヒットラーのことだろう。・・・」(b)
「・・・首都ワシントンでは集団思考(groupthink)が生きており繁栄している、とベースヴィッチは主張する。
彼は、米国の、その他世界全体に対する、力を見せびらかすような軍国主義的で終わりのない理想主義的アプローチは、極めて高く付いていると確信している。
そして彼は、この主張を最も単純な言葉に煮詰めて提示する。
すなわち、世界は、この過剰武装をした全球的警察官がいなくても十分やっていけるし、より重要なことは、米国は、これほどもその財産(gifts)を外国で浪費していなかったとしたら、国内ではるかにうまくやっていけていたはずだということだ。・・・
ベースヴィッチは、・・・米国の欧州と東アジアの同盟諸国は、自分自身で十分うまくやっていけるから心配する必要などない、と言う。
ロシアはもはや脅威ではない。
支那は経済的パートナーだ。
そして、イラン、北挑戦、そしてベネズエラはドジ国家であって、真に危険な存在ではないから、と。・・・」(d)
以上の2ブロックについては、全く同感です。
大男でこそあるが知恵が足らないのに警察官をやりたがった米国、また、それをいいことに、警察官役をもっぱらその米国やらせてきた、米国以外の自由民主主義諸国、そのどちらも深刻な反省が必要でしょう。
とりわけ、この大男に完全にただ乗りしてきた日本なんぞは、自由民主主義国のアウトローである、と言われても致し方ありますまい。
4 終わりに
既に、随所で私のコメントを付してきたので、最後に、ダワーの本について、その新たな書評をもとに、再度論評を加えて、このシリーズを終えたいと思います。
「・・・ダワーは、第二次世界大戦が終わってから、欧州諸国が元の諸植民地を再占領しようとしたことについて熟考する。
現代のイラクに関し、路傍の爆発物によってではなく、「アメと花」によって「解放」軍が言祝がれるとの期待があったのと同様、英国、オランダ、そしてフランスの植民者達は、マレーシア人、インドネシア人、更にはベトナム人が彼等が戻ってきたことを歓迎すると想像していた。
連合諸国は、日本の兵士達の「獣のような行為」を非難していた。
しかし、インドネシアでは、オランダが(短期間)コントロールを回復するまでの間、彼等は日本人捕虜達を独立運動を抑圧するために用いた。
史的健忘症の沈泥から偽善の破片を浚渫するのがダワーのねらいの一つなのだ。・・・
→独立が予定されていたからか、米領であったフィリピンについての言及がありませんが、植民地支配に固執していた欧州諸国も、フィリピン植民地統治をおっぽり出そうとしていた米国も、どちらも褒めたものではありません。
なお、戦後すぐに、文字通りこれら植民地から実力で追い出されたオランダとフランスと違って英国はマラヤを1957年まで(共産勢力の叛乱を鎮圧しつつ)保持したのであり、一律に論ずるのは英国に失礼と言うものです。(太田)
<もう一つ。>1939年に<欧州で第二次世界大>戦が始まった時点では、フランクリン・D・ローズベルト<米大統領>は、非武装の一般市民を爆撃することは「非人道的野蛮(inhuman barbarism)」であると呼ばわっていた。
ところが、1945年になると、<米国は、>意図的に何万人もの一般住民を殺戮するのが当たり前になったのだ。・・・」
http://www.ft.com/cms/s/2/9322b8f4-c1ea-11df-9d90-00144feab49a.html
(9月21日アクセス)
→前に引用した話とだぶりますが、このくだり、ダワーを褒めたいですね。(太田)
(完)
米国人の米外交・安保政策批判(その4)
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