太田述正コラム#4280(2010.9.27)
<映画評論13:エリザベス/エリザベス ゴールデン・エイジ(その2)>(2010.10.27公開)
 イギリス国内にもそれに呼応する動きがありました。
 エリザベスの又従兄弟のノーフォーク公爵(Sir Thomas Howard, 4th Duke of Norfolk KG, Earl Marshal。1536~72年)は、スコットランド女王となったメアリー・・ヘンリー7世はエリザベスの祖父にして自分の曾祖父であるところ、庶子のエリザベスにはそもそもイギリス王位継承権はなく自分メアリーこそが正当な継承権者であると主張し続けていたが、メアリーの最初の夫であるフランス国王フランシス2世(Francis 2。1544~60年。国王:1559~60年。母親はあの有名なカトリーヌ・ド・メディチ)が1560年に死亡
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_II_of_France
し、メアリーはフランスからスコットランドに戻っていた・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Mary,_Queen_of_Scots
と結婚しようとしたので、エリザベスは彼を投獄します。
 釈放後、今度は、スペインのフェリペ2世による、メアリーをイギリスに王位に就けイギリスをカトリックに復帰させようとする陰謀に荷担したとして、エリザベスは、彼を処刑するのです。 
 (以上、特に断っていない限り(D)による。)
 こういう環境下で、エリザベスは、カトリック教会やカトリック教徒達を過度に怒らせないような非カトリック化政策を推進します。
 そのために、彼女は、急進的なプロテスタント達(ピューリタン達)は排斥し、プロテスタント的教義でカトリック的儀式という折衷的な、国王を首長とする英国教会を構築するのです。
 このことを定めた法律(bill of supremacy)案を下院は強く支持しますが、上院には僧侶達を中心とした根強い反対勢力がいました。
 しかし、採決の際、たまたま僧侶達の多くが欠席をしてたため、この法律案は上院でも採択され、法律となります。
 エリザベスはまた、全国民に対し、教会への出席と1552年統一祈祷書の改訂版の使用を義務づける法律(Act of Uniformity)をつくるのですが、その一方で、異端諸法を廃止し、宗教的迫害を行わないこととします。
 このため、この法律に従わない確信犯や、たまたま従わなかった者に対する処罰は穏やかなものでした。(α)
 さて、この映画で準主役として登場するのが、ロバート・ダドレー(Robert Dudley, 1st Earl of Leicester。1532~88年)です。
 彼は、妻がいながらエリザベスの寵愛を受け、その妻が不審死をすると、人々は、いよいよエリザベスが彼と結婚をすると噂したといいます。
 しかし、エリザベスは結婚することなく、1563年には、ダドレーをスコットランド国王のメアリーと結婚させようとします。
 結婚させた2人をイギリスの宮廷でエリザベスとともに生活させ、カトリックのフランスの禍根を断とうとしたのです。
 しかし、ダドレーはこれに、スコットランドのヘンリー・スチュアート(Henry Stuart<,1st Duke of Albany←Lord Darnley。1545~67年。
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Stuart,_Lord_Darnley
>後にメアリーの2番目の夫となる)と協力して抵抗します。
 また、エリザベスは、メアリーに対して彼女に王位を継承させる言質を与えなかったことで、メアリー自身もこの話に乗ろうとしませんでした。
 やがて、ダドレーはエリザベスの侍女と結婚し、エリザベスはこれに激怒します。
 しかし、その後もダドレーは、ウィリアム・セシル(William Cecil)及びフランシス・ウォルシンガム(Francis Walsingham)とともに3人の最重要廷臣の1人としてエリザベスを支え続けるのです。
 (以上、特にことわっていない限り、(E)による。)
 ところで、エリザベスは生涯独身を通し、処女を通した可能性さえ取りざたされています。
 その原因については、彼女の少女時代のトラウマの影響があるのではないかという説が有力です。
 すなわち、彼女は、父親のヘンリー8世によって生母のアン・ブーリン(Anne Boleyn。1501/1507~1536年。女王:1533~36年
http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn
)を処刑されたわけですが、1547年にヘンリー8世がエリザベス13歳の時に亡くなると、この父親の最後(6番目)の妻であるキャサリン・パー(Catherine Parr)はすぐトマス・セイモア(Thomas Seymour of Sudeley。1597~49年。エドワード6世の母のジェーン・セイモア(Jane Seymour)の兄
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Seymour,_1st_Baron_Seymour_of_Sudeley
)と再婚します。
 このカップルはエリザベスと一緒に生活を始めるのですが、40歳近くのセイモアがしばしば14歳のエリザベスに性的ないたずらをしたというのです。
 結局エリザベスはパーに翌年追い出されます。
 その後、セイモアはエリザベスと結婚してエドワード6世を放逐しようと企んだ廉で逮捕され、1549年に処刑されます。
 この時、エリザベスも尋問を受けるのですが、共犯容疑濃厚とされつつも証拠不十分で無罪放免されています。
 (以上、特にことわっていない限り、(α)による。)
 (3)この映画の歴史脚色とこの映画に対する批判
 この映画は、以上の(最後のエリザベスのトラウマの件を除く)史実に、かなり自由に脚色を施してつくられています。
 ほんの数例をあげれば、映画では、エリザベスは、フランスのアンジュー公アンリ(Henri, Duke of Anjou)に求婚されたことになっていますが、史実では、その弟のフランソア(Francois)に求婚されています。
 また、この二人のどちらもマリー・ド・ギーズに会いにスコットランドに出かけたことはないのに、映画では、出かけていき、マリーと関係を持った(太田)ことになっています。
 しかも、映画ではアンリに女装趣味があり、彼がホモか両刀使いであったことを示唆していますが、彼が優雅な人物で狩りや戦争が嫌いだったことは確かではあるものの、女性と数え切れないほど浮き名を流していることから、女装趣味があった等とは考えられません。
 これだけでも、この映画が、フランス人ないしカトリック教徒をことさら醜悪に描いていることがお分かりになることと思います。
 こういったこともあり、カトリック関係団体は、ニューヨークタイムス掲載の映画評で、この映画が「「陰謀を企む法王」を描き明確に反カトリシズムである」とし、かつまた某米国紙が「この映画に登場するあらゆるカトリック教徒は陰険でキチガイじみていて邪である」としたことを引きつつ、この映画は、「すべての宗教的紛争はカトリック教会の差し金であるとの印象」を与えるとし、反カトリシズムである、と非難したことはある意味当然のことでした。
 (以上、特に断っていない限り、(A)による)
(続く)