太田述正コラム#4106(2010.7.2)
<原爆論争(その1)>(2010.11.5公開)
1 始めに
 表記について、読者提示の資料の一部をご紹介しましょう。
2 資料篇
 「・・・昭和天皇は、1975年に東京で実施された初めての記者会見で、広島への原爆投下についてどう思うか尋ねられた。
 天皇は、「原爆が投下されたことは極めて残念なことであって、広島市民にはお気の毒なことであったが、それは戦時に起こったことであったので仕方がない」と答えた。・・・
 長崎への原爆投下の前日、天皇は東郷<外相>に、「敵対関係の速やかな終焉を確保する」との彼の願望を伝えた。
 東郷は、彼の回顧録に、天皇は「このような破壊的な力の兵器が我々に対して使用された以上は、我々はもはやこれ以上戦いを続けることはできず、より有利な諸条件を得ようという試みに従事することで[戦争を終結させる]機会を逸するようなことがあってはならないと警告した」と記した。
 天皇は、次いで、東郷に対し、<鈴木貫太郎>首相に彼の希望を伝えるよう求めた。・・・
 降伏理由を日本国民に提示した彼の演説<(終戦の詔書)>で、天皇は、原爆に特に言及し、仮に戦いを続けるならば、それは「終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スル」と述べた(注1)。
 (注1)「・・・戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ・・・」
http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htm (太田)
 しかしながら、8月17日に発せられた陸海軍人へ勅語(Rescript to the Soldiers and Sailors)の中で、彼は、ソ連の侵攻に焦点をあて、原爆への一切の言及を省いた(注2)。・・・
 (注2)「・・・今ヤ新ニ蘇国ノ参戦ヲ見ルニ至リ内外諸般ノ状勢上今後ニ於ケル戦争ノ継続ハ徒ニ禍害ヲ累加シ遂ニ帝国存立ノ根基ヲ失フノ虞ナキニシモアラサルヲ察シ帝国陸海軍ノ闘魂尚烈々タルモノアルニ拘ラス光栄アル我国体護持ノ為朕ハ爰ニ米英蘇並ニ重慶ト和ヲ媾セントス・・・」
http://www.geocities.jp/nakanolib/choku/cs20.htm#陸海軍人へ勅語(昭和20年8月17日) (太田)
 「・・・戦後、豊田副武海軍大将は、「私は、原爆よりもロシアの対日参戦の方が降伏を早めたと思う」と述べた。
 鈴木<貫太郎>首相は、ソ連の戦争への参入が「戦争の継続を不可能」にしたと宣言した。
 その出来事のニュースを東郷外相から聞くや、鈴木はただちに「戦争を終結させよう」と延べ、最終的に戦争終結のための最高戦争指導会議(Supreme Council)の臨時会合を開いた。
 英国の公式史である『対日戦争(The War Against Japan)』もまた、ソ連の<対日>宣戦が「最高戦争指導会議の全構成員をして、交渉による和平の最後の望みが潰え、連合国の条件を遅かれ早かれ受諾するしか方法がないと自覚せしめるに至った」と記している。・・・
 インドの法学者のラダ・ビノード・パール(Radhabinod Pal)は、極東裁判で少数意見を書いた人物だが、戦争犯罪を犯したのが日本だけであるとの考え方を受け入れることに難色を示した。
 皇帝ヴィルヘルムII世による、第一次世界大戦を速やかに終結させるための彼の義務は、「あらゆるものが火と剣にかけられなければならない。男も女も子供もそして老人も殺戮されなければならず、一本の木も一戸の家も残されてはならない」との言明を引用しつつ、パールは、次のような見解を示す。
 「戦争を早く終えるためのかかる無差別的殺害政策は犯罪であると考察されている。
 我々の考察下の太平洋戦争において、ドイツ皇帝の上述の書簡に示されたものに近いものがあったとすれば、それは連合国による原爆の使用に係る意思決定だ。
 将来の諸世代は、この恐ろしい意思決定に<厳しい>裁定を下すだろう…。
 仮に、非戦闘員の命と財産の無差別的破壊が依然として戦争において違法であるとすれば、太平洋戦争におけるこの原爆の使用に係る意思決定は、第一次世界大戦中のドイツ皇帝の諸指示、及び第二次世界大戦中のナチの指導者達の諸指示に近い唯一のものだ」と。・・・
 ドワイト・D・アイゼンハワーは、彼の回顧録の『ホワイトハウス時代(The White House Years)』の中で、「1945年に米陸軍長官のスティムソンがドイツの自分の司令部を訪問し、私に、米国政府が日本に原爆を落とすことを準備していると教えてくれた。
 私は、このような行為の賢明さに疑念を抱くもっともらしい理由がいくつかあると感じた幾人かの一人だった。
 私は、自分の気持ちが塞ぐのに気付き、彼に対して自分が抱く深刻な不安を口にした。
 それは、第一に、日本は既に敗北していて原爆を落とすことは全く不必要である、という私の信条に立脚しており、第二に、私思うに、それが米国人の命を救う手段としてもはや不可欠ではないのに、このような兵器を行使することで、世界の世論に衝撃を与えることを米国は回避すべきである、と私は思ったからだ。」と記している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Debate_over_the_atomic_bombings_of_Hiroshima_and_Nagasaki#cite_note-asada-105
(7月1日アクセス。以下同じ)
(続く)