太田述正コラム#4360(2010.11.6)
<映画評論16:スミス都へ行く/エビータ(その2)>(2010.12.6公開
3 エビータ
(1)序
先週、夫の前大統領ネスター・キルヒナー(Nestor Kirchner)が心臓発作で60歳の若さで亡くなり、アルゼンチン(Argentina)の現大統領、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルヒナー(Cristina Fernandez de Kirchner)は途方に暮れています。
そもそも、前大統領は、次の大統領選に再出馬して再び大統領に返り咲くつもりであると考えられていました。
その間、現大統領を公私ともに支えていくはずだったのです。
誰も現大統領が一人でこの国を統治できるなどとは思っていなかったのですから、前途多難などという生やさしい話ではないのです。
このアルゼンチンで最初に大統領になった女性は、ホアン・ペロン(Juan Domingo Peron)の三番目の奥さんのイザベル・ペロン(Isabel Peron)で、就任は1974年でした。
しかし、それは、クーデターによって長らく亡命生活を余儀なくされてからようやく帰国して大統領に3度目の就任を果たしてから9ヶ月しか経っていなかったところの、ホアン・ペロンの遺志を受けた就任であり、選挙で大統領に就任した女性は現大統領が初めてです。
結局、間もなく、イザベル・ペロンはクーデターで大統領を逐われてしまいます。
さて、以上登場した人物達に共通していることがあります。
それは、彼等や彼女達がいずれもペロニストである、という点です。
それは、全員が南米一強力なアルゼンチンの労働組合を支持母体にしている、ということを同時に意味します。
http://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-11673444
(11月6日アクセス)
映画『エビータ』、つまりはミュージカルの『エビータ』、とどのつまりはペロンの二番目の奥さんであったエビータ・・エヴァ・ペロン(Maria Eva Duarte de Peron)・・本人及びその生涯を考えるということは、ペロニズムについて考えることであり、また、アルゼンチンそのものについて考えることでもあるのです。
(2)アルゼンチンという国
アルゼンチンは、(イギリスと対照される文明的な意味での)欧州の外延であると総括することができる中南米諸国の中で、以下のように、ほとんど唯一、欧州そのものと言っても過言ではない国です。
「アルゼンチンの事実上の公的言語はスペイン語だ。・・・
憲法は、宗教の自由を保障しているが、政府がカトリシズムを経済的に支援するよう求めている。
また、1994年までは大統領と副大統領はカトリック信徒でなければならなかった。もっとも、それまでも、それ以外の国家公務員にはそのような制限はなかった。・・・
アルゼンチンの人々の86.4%は欧州系であると自認している。原住民との混血は8%と推定され<る>・・・。・・・
欧州からの移民の半分以上はイタリアとスペインからやってきた。・・・
2,500万人ものアルゼンチン人が、程度の差こそあれイタリア系であって、彼等は<実に>総人口の60%前後を占める。 <その次がスペインからの移民であり、ぐっと下がって、>フランス・・・、ドイツ、スイス、デンマーク、スウェーデン、アイルランド、ギリシャ、ポルトガル、そして英国と続く・・・。」
e:http://en.wikipedia.org/wiki/Argentina
最大のポイントは、9割が欧州系で、(黒人がほとんどいない点でもエルサルバドルと同じで珍しいのですが、)原住民どころか、原住民との混血すら8%しかいないことです。
しかし、アルゼンチンを欧州そのものと言ってよいとしても、それは、少なくともホアン・ペロンが大統領に初めてなった20世紀半ばまでは、極めてイギリスの大きな影響の下にある特異な「欧州」国でした。
「比較的数は少なかったが、イギリスからのアルゼンチンへの移民は、その近代国家形成に大きな役割を演じた。イギリス系アルゼンチン人は、伝統的に鉄道、工業、及び農業部門において大きな影響力をふるう立場にいた者が少なくなかった。」(e)というのです。
もう少し敷衍しましょう。
ヴィクトリア時代にはアルゼンチンは英国の植民地ではないのに事実上大英帝国の一部をなしていました。
その頃には、英国の対外投資総額の10%をアルゼンチンが占めたこともあります。
1939年においても、アルゼンチンにおける投資(定義がはっきりしない(太田))の39%が英国によるものでした。
イギリス文化は、アルゼンチンの文化、とりわけその中産階級の文化に大きな影響を与えました。
イギリス系アルゼンチン人は、伝統的に、その他のアルゼンチン人と違って、教育と商業等の面で母国と強い紐帯を維持し続けました。
第二次世界大戦においては、アルゼンチンが中立の立場を維持したにもかかわらず、イギリス系アルゼンチン人4,000人が母国英国の3軍すべてに加わって戦いました。
現在、10万人前後のイギリス系アルゼンチン人がアルゼンチンにいます。
http://en.wikipedia.org/wiki/English_settlement_in_Argentina
(11月6日アクセス)
すなわち、「アルゼンチンが、1880年から1929年の間、世界で最も豊かな10カ国のうちの1つとして頭角を現し、その繁栄と卓越を増進させたのは、農産品の輸出が主導した経済、及び英国とフランスからの投資、によって裨益したためだ」(e)と言ってよいでしょう。
(続く)
映画評論16:スミス都へ行く/エビータ(その2)
- 公開日:
アメリカからの武器輸出3原則の要求を完全に飲まない菅政権はそろそろ終焉が近いと思われますか?
http://www.asahi.com/international/update/1201/TKY201012010342.html?ref=reca
ゲーツ米国防長官が昨年10月、北沢俊美防衛相と会談した際、「SM3ブロック2A」の第三国供与に言及。三原則を見直し、新型ミサイルを欧州などに輸出できるようにするよう非公式に求めたとされる。公電の日付は、こうした時期とも符合しており、菅政権が進める三原則の見直し議論にもつながっている可能性がある。
http://www.asahi.com/politics/update/1207/TKY201012070180.html
菅内閣は、原則すべての武器輸出を禁じる武器輸出三原則の見直しについて、年内に取りまとめる防衛計画の大綱(防衛大綱)に明記することは見送る方針を固めた。