太田述正コラム#4425(2010.12.9)
<皆さんとディスカッション(続x1039)>
<太田>(ツイッターより)
 (コラム#4423に関し)習近平、漢籍の話でもして米国大使を煙に巻きゃいいのに、ミーハーだねえ。
 ま、再婚相手もタレントだしなあ。
 これ3年も前の話だが、面白いのは、この大使、翌日には李克強(次期首相)と話をしてる
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703296604576005283675882532.html?mod=WSJASIA_hpp_LEFTTopStories
ことだ。
<ΔΔΟΟ>(「たった一人の反乱」より)
 「・・・もちろんソ連が、東アジアの覇権を日本と競う可能性は十分にある。
その争いでロシアが勝てば、結果は疑いもなく中国の独立の回復ではなく、日本に代わるソ連への隷属である――その結果、新しい事態が生じ、新しい難問が生まれるだろう。」 (マクマレーのメモランダムp184)
 ようするに日本は赤露の影を察し、水面下でロシアとやりあっていた所を、横から英米に刺され――。
 その結果、冷戦が始まり、アメリカは赤露の領域的・イデオロギー的、複合脅威の封じ込めと言う難問を抱えた訳だな。
<太田>
 その通りだんべ。
<ΔΟΟΔ>(「たった一人の反乱」より)
 欧米の価値観を当然のごとく極東に強いる連中。
http://www.j-cast.com/2010/12/08082975.html
<ΟΟδδ>(同上)
 こいつらがニコ動の「総統閣下シリーズ」を知ったら発狂するなwww。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5386695
<ΟδΟδ>(同上)
 あれは名作ぞろいだよなw。
 <ΔΟΟΔクン、>脅しのテクがまんま特亜なんだけど、手法はやっぱり特亜が劣化コピーしてるんだろうね。
<太田>
 おかしいなあ。
 このニコ動、ボク、見れんかったぜ。
 なお、上に出てきた
http://www.j-cast.com/2010/12/08082975.html
読んだけど、アマゾンでナチスの制服等、売ってるって言うじゃん。
 なんで、サイモン・ウィーゼンタール・センター、アマゾンを攻撃してないんだい?
<雅>
 –一神教(特にキリスト教について)考えて見ました–
 Wikiでキリスト教他を眺めていたのですが、一神教(→他の神を認めない→自身が他より優越した選民意識)というものがそもそもやっかいなのではないでしょうか?
 この一神教(上の意味も含んで)という教義が、他の多神教宗教を圧倒(弾圧)し、信徒を増やし(脱しさせない)状況を生み一神教を広範囲に広めた大きな要因ですが、逆にこの広範囲の一神教的選民意識(典拠多数)が、欧州各国が原住民(ネイティブアメリカン・アボリジニー・黒人)などを多数屠殺してきたと改めて認識しました。
 キリスト教そのものに、そういう弾圧特質が含まれているのと思います。
 実例は多数あるのでが、あえてキリスト教が広まって数年(~1549年宣教師が日本に到達)でこのような状況になっている。
 「その課程において、一部のキリシタン大名とキリスト教信者によって、領内の神社、寺院が焼かれ、僧侶が迫害されるという事例が存在した。ただし仏教徒の大名の領土では逆にキリスト教徒が迫害されていた事例も存在した(原因の一つにキリスト教が他宗教を「悪魔の教え」と見なしたことによる対立がある。アフリカにおける例を参照)。」
 有名なのが大友宗麟で、(宗麟は、キリスト教信仰に深入りした余り、神社仏閣を徹底的に破壊する、金曜日・土曜日には断食をする、それまで家に伝わっていただるまをも破壊するなどという行為も行なっている)。
<太田>
 高山右近(1552~1615年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%8F%B3%E8%BF%91
のような、比較的他の宗教に寛容なキリスト教大名もいましたけどね。↓
 「大阪府史第四巻(1981)
 ・・・<高山>右近はキリシタン好みの信長の寵臣となり、領内でも大いに入信をすすめたので、天正九年(一五八一)には領民二万五〇〇〇人の内、実に一万八〇〇〇人(七二%)がキリシタンとなった。高槻領内には少なくとも二〇の天主堂があった。右近は同じキリシタン大名の大友宗麟がとったような、強引な仏教弾圧をしたわけではなく、天正二年三月十三日付の『本山寺文書』や、年未詳七月十四日付の『安岡寺文書』にみられるように、仏教寺院も保護してはいるが、領民がキリシタンに改宗することを右近が何よりも喜ぶために、右近の歓心を買おうとして改宗し、そのために仏教寺院は信徒を失って廃絶したのである。右近は天主堂の建築用材にこれら廃寺の解体材を利用したが、これは仏教側からいえば、まさに寺をこわして天主堂を建てたことになり、右近は僧侶たちから呪詛されるほどに憎まれたのであった。」
http://homepage.mac.com/ryomasuda/Saigoku/history/KamiGami/Goz3.html
 なお、米国の黒人奴隷のほぼ全員、及びインディアンの多くはキリスト教徒になっていたわけですが、それは、同じキリスト教徒たる白人による彼らの「屠殺」を妨げはしませんでした。
 この場合、「屠殺」は経済的理由及び人種主義によって行われたのであって、キリスト教と直接関係はないでしょう。
<雅>
 しかしながらキリスト教やイスラム教をこの世から消すのは不可能なので、敢えてキリスト教が、基本的中心的教義の三位一体説を(父と子と聖霊が一体(唯一の神)であるとする教理)三位三体にすればキリスト教は多神教化するのでしょうか?(あくまで推測ですが)
 といっても容易ではないでしょうが、、、。
 それか仏教や神道を世界に布教していく良いのかもしれません。
(参照 ; キリスト教徒による宗教的迫害 )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%BE%92%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E8%BF%AB%E5%AE%B3
 調べる課題にいかがでしょうか? 非常に興味深く思います。
ジョン・ヒック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%AF
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hick
<太田>
 ヒックは、三位一体説、就中キリストと神との一体説を否定しつつも、現在、なおキリスト教徒(2009年からはクエーカー教徒)であり続けているんですからねえ。
 彼のような考え方からは、キリスト教徒とユダヤ教徒やイスラム教徒との相互理解、というかキリスト教徒からの一方的理解、はもたらされたとしても、一神教と(無神論たる宗教である)仏教や(教義なき多神教である)神道といった宗教との相互理解、というか、一神教の相対化、はもたらされえませんよ。
 一神教の「根底的」な批判を「宗教是認論」の立場から行うことができるのは、一神教から解放されている人だけなのであって、私は「仏教徒兼神道信者」たる典型的日本人の誰かがこれをやるのが一番良い、とかねてから思ってるんですがね・・。
<雅>
 ・・・小磯国昭の言、「内鮮一体」をスローガンに前任者の南次郎総督が行った皇民化政策をよりいっそう押し進めた。総督在任中、小磯は朝鮮人官吏の登用、朝鮮人企業の推進、朝鮮人の政治関与の実現などを掲げる一方、1944年(昭和19年)に朝鮮にも徴兵制度を施行した。朝鮮独立について小磯は「今更、朝鮮の独立を夢みるのは九州や、北海道が独立を企図すると同じで馬鹿げた意味のないこと」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%A3%AF%E5%9B%BD%E6%98%AD
に見るように、日本の台湾・朝鮮の統治は寧ろ植民地支配ではなく、日本帝国の拡大と解釈すべきだと思うので、「日本の植民地経営」という言葉は不適切だと思います。
 寧ろ「日本の朝鮮・台湾・満州統治」というべきではないですか?
<太田>
 英国の北米進出や豪州進出は「植民地経営」目的であったけれど、その手段が原住民の隔離ないし絶滅だったのに対し、日本の台湾、朝鮮半島進出は「植民地経営」目的であっても、その手段が原住民の日本帝国臣民化であったことから、これを「日本の朝鮮・台湾・満州統治」と言い換えてもいいでしょうね。
 つまり、日本の場合、「植民地経営」という言葉も、「統治」という言葉も、どちらも使えるのではありませんか。
 なお、カナダ、豪州、ニュージーランドが独立したように、仮に日米戦争がなかったとしても、朝鮮半島や台湾が、例えばEUの東アジア版のような枠組みの下で独立するに至った可能性はあるのであって、私は小磯の言ったことには必ずしも同意できません。
<太田>(ツイッターより)
 (コラム#4162に関し)不倫は文化なのではなく生理なのであり、不倫に対する禁忌こそ文化なのだ。
 よって、躁鬱病に伴うセックス依存症(≒不倫依存症)は病気の症候だが、不倫依存症そのものはその程度いかんにかかわらず病気じゃない?
<太田>
 それでは、記事の紹介です。
 この朝日の記事はいいね。
 WikiLeaksがガーディアン、NYタイムス、シュピーゲル誌に「リーク」された経緯が出ている。↓
http://www.asahi.com/international/update/1208/TKY201012080130.html
 米共和党支持者達が民主党支持者達に比べていかに無知蒙昧か、一目瞭然だね。↓
 ・・・only around 6 percent of U.S. scientists are Republicans; 55 percent are Democrats, 32 percent are independent, and the rest “don’t know” their affiliation.・・・
 ・・・the scientific community enjoys the trust of 90 percent of Americans—more than for any other institution, including the Supreme Court and the military. ・・・
http://www.slate.com/id/2277104/
 真珠湾攻撃を受けた時のローズベルト大統領の異常な冷静さは、米国が「真珠湾」攻撃を受けることを予期していたためではなく、米国が真珠湾「攻撃」を受けることを予期していたためであり、これで米国が日米戦争を通じて第二次世界大戦に参戦でき、同大戦に勝利を収めることによって、米国が名実ともに世界の覇権国になれる喜びを懸命に抑えようとしたためであるのに決まってんだろ。アホ。↓
 ・・・How did FDR react to the sudden onset of war? He was “deadly calm,” Eleanor later remembered, according to Goodwin’s book.
“He was completely calm. His reaction to any event was always to be calm. If it was something that was bad, he just became almost like an iceberg, and there was never the slightest emotion that was allowed to show,” Eleanor later said.
 Today the outcome of World War II for the US may seem preordained. It has a story arc of great cohesion and drama: betrayal, darkness, struggle, and victory. But on the afternoon of December 7 at the onset of winter it did not seem like a play with a known ending. FDR knew full well the gravity of the situation. When he convened a Cabinet meeting later that day, he told the assembled officials that it was the most important such meeting to be held in Washington since 1861, at the beginning of the Civil War.
 Conspiracy theorists hold that FDR’s calm was the result of foreknowledge. He knew Pearl Harbor as coming and let it happen, they say. Or he tricked the Japanese into the attack, as a means to draw the US into the larger world conflict.
All these decades later, “no document or credible witness has been discovered that prove either claim. Most scholars view Pearl Harbor as the consequence of missed clues, intelligence errors, and overconfidence,” says an FDR Presidential Library analysis of relevant documents [PDF].・・・
 FDR was calm and deliberate, according to witnesses.
 “I could not help but admire his clear statements of the situation. He evidently realizes the seriousness of the situation and perhaps gets much comfort out of the fact that today’s action will unite the American people,” wrote・・・Agriculture Secretary Claude・・・Wickard.・・・・
http://www.csmonitor.com/USA/2010/1207/Pearl-Harbor-day-How-FDR-reacted-on-December-7-1941
————————————————————–
太田述正コラム#4426(2010.12.9)
<セオドア・ローズベルトの押しかけ使節(その6)>
→非公開