太田述正コラム#4380(2010.11.16)
<米人種主義的帝国主義の構造(その1)>(2010.12.16公開)
1 初めに
米国のアジズ・ラーナ(Aziz Rana)が上梓した ‘THE TWO FACES OF AMERICAN FREEDOM’ の書評類をもとに、表記について改めて考えてみることにしました。
A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/11/12/AR2010111203209_pf.html
(11月15日アクセス(以下同じ)。書評(以下同じ))
B:http://hnn.us/roundup/archives/36/2010/9/#130919
C:http://www.frogenyozurt.com/2010/11/the-two-faces-of-american-freedom-by-aziz-rana/
D:http://writ.news.findlaw.com/commentary/20101012_rana.html
(著者によるコラム(以下同じ))
E:http://edition.cnn.com/2010/OPINION/11/10/rana.freedom.democrats/index.html
なお、ラーナは、エール大学でJD、ハーバード大学でPh.Dをそれぞれ取得し、現在、コーネル大学ロー・スクールの憲法学助教授をしている、南西アジア系の風貌の人物です。
http://www.lawschool.cornell.edu/spotlight.cfm?pageid=167129
2 人種主義的帝国主義の構造
(1)序:人種主義的帝国主義米国
「・・・米国では、最も階級平等主義的政治傾向のあった人々は、最も人種主義的傾向があったし、最も多元主義的見解を持つ人々は、最も選良主義的傾向があった。・・・
ラーナは、彼の研究を、米国の例外主義という前提に疑問を投げかけることから開始する。
すなわち、彼は、米国は、多くの観点から、最初からかなり典型的な帝国であった・・ただし、征服した人々を直接従属させるのではなく追放するか排除する傾向があったという事実を除いて・・と主張する。
(もっとも、これさえユニークなことではなかった。彼は、南アの発展の際に同じパターンが見いだせることを指摘する。)
何が米国と他との違いで際だっているかというと、それは、帝国的首都(metropole)から成功裏に自治を獲得する能力だ。
それへの熱望は、英国が、植民地の植民者達(settlers)が荒野における彼等の用向きとは正反対であると考えたやり方であるところの特権均質化と<領域>拡大制限によって、その不規則に広がった帝国を<フレンチ・インディアン戦争(7年戦争)が終わった>1763年以降において再編しようとした時、結晶化した。・・・」(B)
→ラーナは、米国の独立と米国における州権の強さとを同根のものと見ているわけです。
なお、ラーナ自身が人種主義的帝国主義という言葉を使っているわけではもちろんありません。(太田)
(2)植民者・移民・領域的拡大
「・・・米国の植民者達は、独立以前も以後も、自ら意識的に移民と帰化の欧州的基準(judgements)と彼等が考えたものと縁を切った。
米国はイギリスの王室から独立したわけだが、この王室は、臣民と異邦人(alien)との間に根本的な区別(divide)があるべきであるということを当然視していた。
これは、現在の茶会の人々のお気に召す考え方だろう。
欧州の王国においては、外国人への疑いの念から、土地所有、相続、そして(例えば投票といった)意味ある政治的諸権利は、王室の臣民だけにしか与えなかった。
対照的に、米国では、瞠目するほど柔軟な移民諸政策が進展し、境界は、新しい<移民の>到着を防ぐ意味ある障壁というより、入国するための港となった。
これらの諸政策には、非市民に投票権を与えたり西部における連邦の土地へのアクセス権を与えたりといった、今日においてはまことにもってびっくりするような諸慣行が含まれていた。・・・
かかる開放性は、植民者達が抱いていたところの、政治的自治と経済的自律にコミットした独特な「自由の帝国」なる歴史的に例外的国家たる米国、という見方と結びついていた。
トーマス・ジェファーソンの良く知られている主張であったところの、植民者達に土地に対する平等なアクセスを提供することによる領域的拡大は、この国家的事業の推進を支える動力源だった。
しかし、このような拡大が維持しうるものであるためには、この国は初期のイギリス人植民者達の流入の域を超える大量の人口を必要とした。
その結果、我々の過去の大部分の期間において、植民と移民とは深く相互に結ばれ続けたのだ。・・・」(D)
→米国の帝国主義は、(ポルトガルのように)交易で高収益をあげることを目的とするものではなく、また、(スペインやフランスのように)原住民の支配・収奪を目的とするものでもなく、あるいはまた、(日本のように)安全保障を目的とするものでもなく、もっぱら植民領域の拡大を目的とするものであった、ということです。
なお、イギリスの帝国主義にはポルトガル的帝国主義と米国的帝国主義の両面があった、ということになりそうですが、米国、オーストラリア(奴隷制なし)、カナダ(奴隷制なし+原住民と共存)が、それぞれ異なった軌跡を辿ったことには興味深いものがあります。(太田)
(続く)
米人種主義的帝国主義の構造(その1)
- 公開日: