太田述正コラム#4384(2010.11.18)
<米人種主義的帝国主義の構造(その3)>(2010.12.18公開)
(4)現在
「・・・しかし、<米国の>決定的な各瞬間において、社会運動が起こり、隷属も帝国も伴わないところの自由を想像することに努めた。
<しかし、>20世紀の半ばに至って、これらの努力は失敗に帰し、階統的な国家と企業の諸制度の興隆をもたらした。
この新たな枠組みは、国家的安全保障と経済的保障を、<米国>社会の方向付けを行うところのコミットメントとして提供し、米国が継続的に全球的に触手を伸ばすこと(global reach)を促進した。・・・」(C)
→20世紀の半ばに米国の人種主義的帝国主義は、日本型帝国主義へと変貌を遂げ、米国民は国家と大企業に隷属しつつ、この新たな帝国主義の下で、(法制上の人種平等と)経済的福祉を享受するようになった、ということをラーナは言っているようです。(太田)
「現在、米国への移民は、以前には植民者達が政治的に受け入れるには値しないと見ていたところの、アジア、アフリカ、カリブ海地域、そして中央及び南アメリカの一部の地域から主としてやってきている。
だから、驚くべきことではないが、1965年に明示的には人種別<移民>割り当て制が廃止されたにもかかわらず、現在の移民達は、彼等の欧州からやってきた先輩達のような迅速かつ完全なる包含へと<米国社会が>向かいつつある状況を享受することができていない。・・・」(D)
「・・・ラーナは、植民者的諸理念を再生させる民主主義的社会が、現在のところ米国の縁辺に追いやられている人々を有意に包含することと結びつくことを心に思い描く。・・・」(C)
→米国において、法制的な人種平等の下で、今後、実質的な人種平等を真に実現しなければならない、というのです。(太田)
「・・・保守派の反応は単純なものだった。
彼等は、官僚制の肥大と階統の問題を政府のせいにした。
茶会の連中は、国の諸計画を止めさせ経済の規制緩和を行うことで、<米国の白人達が抱いている>権限剥奪(disempowerment)感覚を逆転させようという希望を抱いている。
彼等は、市場が、そこで商業的自己規制が個人的企業精神(entrepreneurship)を増進するところの、平等者達による自由な交換の場である、と心に思い描く。
リベラル達の幾ばくかは、このヴィジョンが企業権力の諸病理を無視していることから、それがどうしてかくも大勢の彼等の仲間の米国人達の共感を得ているのかを容易に理解することができない。・・・
例えば、茶会の連中の幾ばくかは、この縁辺に追いやられた(circumscribed)自由を、「真の」米国人だけしかその祝福の便益を受けてはならないと言うことによって、一層制限させるように仕向けてきた。
この見解の下では、自由(freedom)は、経済的繁栄ないし国家安全保障に脅威を与えると彼等が懼れるところの移民その他の集団に対する規制的諸政策を求めている、とされる。
彼等にとっては、自由(liberty)は、米国人達によって実行されるべき普遍的理念であるというより、単なる講釈の材料なのだ。
<彼等は、>自由は、少数者の特権であって、除外と手を携えて進むものである<、と考えているのだ。>・・・」(E)
→白人を中心とする茶会の連中は、国家と大企業への隷属のうち、国家への隷属だけを問題視し、国家から権限剥奪をすれば自分達の権限剥奪感も解消すると思い込んでいて、非白人が多い移民のこれ以上の米国流入を阻止し、中共等からの輸入を規制するとともに、非白人を中心とするところの米国においてなお除外されている人々を一掃米国社会の縁辺へと追いやることも目指している、とラーナは、茶会を非難しているわけです。(太田)
(5)ラーナへの批判
「・・・<ラーナの>結論そのものが疑わしいものだ。
というのは、テロリスト容疑者達の裁判抜きの無制限な投獄といった恥ずべき大統領の諸政策にもかかわらず、世界の大部分が、米国人・・グアム、プエルトリコ、或いは「帝国」のその他の部分の人々においてすら・・が享受している空前の自由(freedoms)を羨んでいるからだ。・・・
しかし、仮にこの<本>が、自由と帝国について、完全に包括的な(comprehensive)(或いは完全にわかりやすい(comprehensible))説明を提供していないとしても、それが、米国の過去における、除外と寛容、安全保障と自由(freedom)、人道主義と帝国主義という、互いに衝突する諸衝動を和解させようと試みたことについては敬意に値する。・・・」(A)
→この書評は、米ラトガーズ大学歴史学教授のデーヴィッド・グリーンバーグ(David Greenberg)によるものですが、彼が、米国例外主義(exceptionalism)の立場で、米国人が享受している自由が世界一だと言っていること、そして、そんなことを言う人物を書評子として起用したワシントンポスト、のどちらもまことに困ったものです。(太田)
3 終わりに
オバマの大統領選出は、米国がようやく、人種差別を克服した、とまでは言えなくても、米国人全体を選民とみなす・・米国以外の世界に対する差別意識はなおある・・という形ながら米国内の人種差別は少なくとも克服した、と私は考えていたのですが、茶会の出現と、それに押される形での共和党の復権は、経済不況の下、米国において、人種差別意識のフラッシュバックがもたらされている、ということのようです。
米国における宗教原理主義が急速な退潮傾向を示しつつあることから、米国における、人種差別克服、選民意識の解消、リベラリズムの普遍化、の基調に変化はない、と私は思っているので、米国経済さえ上向きになれば・・これは大きなイフかもしれませんが・・オバマの再選も、民主党、というか、リベラル勢力の再伸張も必ず実現する、と私は固く信じているところです。
(完)
米人種主義的帝国主義の構造(その3)
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